月が綺麗ですね
本当はこれの前に本編としてもう一作品あるのですが、歌の二次創作要素がありましたので投稿していません。一応Pixivには載せてあります。題名は「花冠」です。(PNは同じですので、よろしければのぞいてみてください。)
でもこれだけでも読めると思うので・・・というか表現を少し気合い入れて頑張りました!
北の民の長だと言う彼は、その実力と献身的な態度をすっかり気に入った兄様に乞われて、宮殿に参内していた。
北の民との短い戦から早五年。
色素の薄い髪や凍るような青い瞳の民達は、極寒の地での開墾を命令された。じわじわと内側から力を奪う予定だったはずだったのに、いつの間にか荒涼としたその地は、他国との重要な貿易拠点として大きな役割を果たしていた。
寒さを利用した美麗な織物は高値で取引され、白樺や松を使った工芸品の細かさに人々は息をのんだ。
そして、豊かになったその土地ごと、私達の国の領地を奪おうとした隣国を、北の民達は撃退したのだった。その戦は素晴らしい功績を残し、賠償金の一部として得た天蚕の扱いを心得ていた北の民により、さらなる富をこの国にもたらした。
数年前まで敵だった者たちの活躍に危惧を示す声がなかったわけではないが、兄様はある日、その男を宮殿の自分の家来として侍らせた。
兄様が手元に置いているどんな女よりも、美しかった。
白銀の髪は長く、まるで絹糸のようだった。青い目は母様が好んで使っていた宝石のように深いのに、その目に宿る光は不思議なほど凪いでいた。あまり表情はなく、口数も恐ろしく少なかったが、それがかえって兄様のお気に入りだったようだ。
一歩引いたところで兄様を支える姿が、私の近くに立ったのはおよそ三か月前。
私の護衛を務めていた近衛兵が謀反を企てていたとか何とかで、信頼できる部下として、兄様が派遣して下さった。
・・・もっとも、兄様が彼を派遣したのには理由があった。私はもうじき輿入れをする。それも、兄様が今まで欲しくて、欲しくてたまらないと言っていた、南にある野蛮な国に。
むくつけきの無骨な顔をした男が多いその国には、貿易の要所となる港や未開の森林が多く、材木や水不足に対応しやすい。そもそも、そこからならば、他の大国に先駆けて新しい武器や医療などの技術が手に入りやすい。
それらを手に入れる第一手として、私は差し出される。
私は大切な献上品。
汚れないように大切に、大切に箱にしまわれた、退屈な娘。
退屈な私が世の中に退屈しないように、かつ危険がないように珍しい容姿の彼を送ってきたのだろう。
彼が私に付いてからというもの、彼は無言で私の無茶なわがままを叶えてくれる。今まで誰に聞いても言い当てられなかった鳥や植物の名前を彼は答えた。調理法を間違えたらすごく苦い茶葉を見事に淹れてみせた。兵士三十人抜きもお手の物。書も唄も剣舞も・・・何もかもが完璧だった。それはもう、腹が立つくらいには。
「何か出来ない事はないの?」
夜になると、私は大窓を開けさせ、温かい風に衣の裾を揺らしながら華奢な椅子の上から月を見詰めながら尋ねた。
常に一歩引いた所にいる男だったが、月を見る時は何故か窓辺によってじっと月を見上げていた。感情の見えにくい表情に、少しだけ微笑みを浮かべているように見えて、私は彼との月の鑑賞会が嫌ではなかった。今夜は猫の目のように細い、白い月が見えるだけだった。
全部できてしまうのは・・・素晴らしい出来だから見ているのは楽しいけれど、同時につまらなかった。困った顔や焦った顔をさせたい。その鉄面皮を歪ませたい。
でも、彼はいつも素知らぬ顔のまま。感情の片鱗すら見えない。
この質問に素直に答えるとは思わなかったから、空を見上げていた顔が下に向き、彼らしくないぼそぼそとした声が返ってきた時には驚いた。
「・・・女人を引き止めることはできません。」
ぽかん・・・と、はしたなくも音がつきそうなくらい目を見開いて、口を開けてしまった。よりにもよってそんな答えが返ってくるなんて誰が想像しただろう。
「・・・はっ?」
確かに見たこともないほどの美丈夫だが、この男が女を口説く姿を私は考えたこともなかった。よくよく考えれば、彼は曲がりなりにも一つの部族を統合する長だ。ならば、妃くらいいたって不思議ではない。もしくは許嫁。与えられた女しか知らないなら、確かに女人の口説き方は分からないだろう。
「貴方、女を相手にしたことがないの?」
自慢ではないが、兄様には皇后から中宮、妾も数多いる。男はみんなそうだと思っていた。特に地位があって、力があるならば。そこに美貌が加わっているこの男は、一体どれほどの女を虜にしているのかとさえ思っていたのに。
「・・・それは」
私の質問の意図が読めないと難色を示した男に、私は身を乗り出して問い詰めた。
「恋人はいないの?」
「居りません。」
即答されて、私はさらに身を乗り出した。
「こんな娘がいますが、嫁にいかがですか・・・とか、そういう誘いはなかったの?」
「幾度かは受けましたが、興味がありませんでしたので。」
「じゃあ、后や許嫁はいないの?」
「・・・居りません。」
若干時間がかかったような気がしたが、顔色一つ変えない男に私は質問を続けた。
「まぁ、貴方の部族は政略結婚などないの? 親に決められた結婚よ?」
「他部族間や、一族内でも高貴な者はたいていがそうでした。」
「じゃあ、恋愛結婚は?」
「我が部族の者達はたいていはそうです。」
「・・・羨ましいわね。」
私には望めない。恋なんて、献上品としての価値しかない私には、書物の中の絵空事。
「幸せなんでしょうね、好いた人と紡ぐ未来を夢見るのは。」
皮肉を込めた言い分に、男は無表情に私を仰ぎ見た。色素の薄い美しい双眸が、私を射た。
「姫君は・・・それをお幸せだと?」
不思議そうなその問いに、私は酷薄に笑って自嘲するように言ってみせた。
「そうね、愛する人と愛を貫き、他の何を犠牲にしてもその人と添い遂げるなんて・・・全ての女の夢でしょう?」
その夢を持つことさえ許されない私には、それは皮肉以外の何物でもなかった。
その時、男が笑った。
「・・・それは、なんとも残酷な夢でございますね。」
自嘲や皮肉をかなぐり捨てた、純粋な言葉に私は二の句が継げなかった。
残酷なと言うのは・・・どういうことなんだろうかと思った。
「何が残酷なの?」
「・・・たとえ女であろうとも、戦士となった者はそれさえ持ち合わせていないのですから。」
私は何となく察しが付いた。たぶん、この男の妻になる予定だった人は、先の戦乱で命を落としたのだろう。しかも、戦士として。
私はこの国で女の戦士を見たことはない。兄様の話では、間諜として教育され、他国や有力貴族に潜入して、諜報や暗殺を行う人物はいるらしい。
しかし、北の地では白兵戦に堂々と女性がいたと言う。小さく、細いその戦士達は強かったらしい。その舞のような剣舞に、この国の多くの戦士達が命を落として逝ったという。
この男の妻ならば、高貴な血筋の戦士だったのだろう。そんな強い女性に、私も想像を膨らませた。
何かを思い出すような静かな眼差しに、私は興味を抱いた。
「ねぇ、貴方には・・・恋人か許嫁が・・・いたの?」
男は無表情に私を見返しただけで、何も答えなかった。でも、それがなによりの答えだった。
私が知り得た情報は少なかった。だから、私は彼が自分の許嫁をどうやって失ったのかなんて知らない。でも、それは北の大地で散った女長ではないのかと思った。
今回の戦で戦犯として幾人もの北の民の長が処刑された。その中に一人だけ、年若い女性の長がいて、彼女だけが北の地で処刑されたのだと言う。
謎に包まれたその姿を、多くの戦士達が知っていた。戦士達に暇潰しに話を聞いていた侍女たちの間では、その女長は憧れのような存在になっていた。
美しかった。鬼神のようだった。凛としていた。
誇り高く、高潔な、美しい女長。
真実はともかく、私の中でも興味が膨れ上がった。
女長とはどんな人だったんだろう。
私は北の民に問うた。でも、皆がみんな、口を閉ざした。というのも、あの男以上に正しく彼女を語れる者はいないと言って。
でも、男は女長に対する質問は答えてくれるのに、それは私も知っているような客観的なことばかりだった。容姿は分かるが、どんな人物だったかなんて一つも話してくれなかった。
銀の長い髪を高く結い上げ、左右で長さの違う剣を操る、光に当たると紫色を帯びる藍色の瞳をした純潔の君。
彼は、彼女をそう評した。
最古の血を引く、北の民達の純潔の君。
民を守る為に戦い、志半ばに散った彼女は、大層悔しかったことだろう。
私の頭の中、彼女は美しく、気高く、何者をも寄せ付けない高潔さを持って常に佇んでいた。私も、そんな彼女になりたいと、背筋を伸ばした。
それでも唯一思い浮かばなかったのは、そんな彼女の横に並ぶ彼の姿だった。さぞや絵になっただろう美男美女の恋人達。しかし、あの彼が女性と寄り添っている姿が想像できない。私が知っている彼は感情自体がなく、唯一知っているのは微笑むような月を見上げる横顔だけ。それすら、実際は睨んでいるように見えると称されていた。
彼には北の民の純潔の君がいた。でも、それは戦士としての彼女だけなのではないかと思った。
彼は“女”として女性を見ていなかったから。それを、私は知っていたから。心のどこかで、それは当たり前だと思っていたから。そして、その思いは安堵を帯びてさえいた。散っていったものをどう思っているかは分からないが、彼は少なくとも誰かのものにならず、私の傍に居続ける。
彼が決して私のモノにもならないことも、永遠に傍に居続けることなどできないと知りもしないで。
だから、兄様に命じられて北の民達と共に新たな任地に向かうと報告された日、私は暴れ回った。
「貴方は私の護衛なんでしょうっ!? 勝手に離れるなんて許さないわっ!」
「姫君、私は陛下の命で・・・」
侍女たちも家来たちも追い払った私の部屋で、彼は少しも感情を乱さずに淡々と受け答えをする。大窓から入り込む満月の青白い光は、彼の白銀の髪を夜空の星のように煌めかせ、美しかった。しかし、この時の私にはそれすら、跪いたまま投げられた物を難なく受け止め、床に並べていく様をより一層腹立たしく見せるだけだった。
「貴方は私と兄様と、どっちの味方なのよ!」
「私は・・・」
「どうせ兄様って言うんでしょうっ!? 男の貴方なんかに女心なんて分からないんでしょうけど、時には権力に打ち勝ってでも選んで欲しい時があるのよっ!」
「・・・っ!」
その時、どんなことが起こっても凪いだように静かだった彼の瞳が、痛みに耐えるかのように大きく歪んだ。
「っ・・・。」
彼は・・・泣きそうな顔をしていた。
それは彼が初めて見せた、感情の片鱗だった。私は訳も分からず、謝っていた。
「・・・ご、ごめんなさい。」
「私の妻になるはずだった女は・・・私がこの手で屠りました。」
それは、予想もしていなかった言葉だった。
「え・・・なん・・・で・・・?」
何故いきなりその言葉が出てくるのか分からなかった。彼は、その問いには答えてくれなかった。ただ、吐き出すかのように言葉を続けた。
今思えばそれは、彼の罪の懺悔だったのだと思う。私の中にある気持ちに気付いていても、応えられない、応える気が最初からないことを示していたんだと、私は嫁いでから知った。決して彼が、女の心を理解できないわけではないという答えと共に。
「大切な者を置いてきました。もう二度と戻る事の出来ない、手の届かない所に。それを後悔はしていません。しかし、一時も忘れる事ができないほど、悔いてはいます。」
跪いた彼は床の一点を見詰め、感情を押し殺した凪いだ湖面のような瞳を伏せた。長い髪が、その秀でた額に落ち、表情全体を翳らせていた。
「愛して・・・いました。言葉にできないほど。出来るならば添い遂げたかった。その未来を約束され、していたからこそ分かるのです。それを投げ出した、あの者の心も誇りも。」
好きだから、何もかも分かっていたのだと。別れ別れになる事よりも、もっとしなければいけない事を、守らなければならない事を守ったのだと、彼は言った。でも、私にはそんな辛い選択をする意味が分からなかった。
「・・・好きあっていたのに、どうして置いてきたの? 無理やりにでも、掌中に収める事もできたでしょう? 貴方ほどの・・・男ならば。」
「どうでしょうか。確かにやろうと思えば出来ました。しかし、心ごと全てを奪うことはできなかったでしょう。あれは、手強かった。本当のじゃじゃ馬でした。柔軟に物を考えられない愚か者でした。」
どうして・・・
「私を置いて逝く事すら厭わない、強く、愚直なほどまっすぐな、孤高の存在でした。」
どうして・・・そんなに悲しいくらい優しい目をして、微笑むの? 泣きそうなのを必死で堪えるみたいに、目を鋭く細めるの? 月を見る時と同じ顔。まるでその人を思い出しているみたい。
その時、私は唐突に理解した。
──嗚呼、私は彼が好きで、でも彼は彼女以外を見ないのだ。
それは、自覚した瞬間に否定された、私の淡い、初めての想いだった。
月が好き。貴方と見る月が。月は太陽を追って真昼でも空を駆ける。未練のように霞んで薄れた、でも確かにあるその姿は、まるで今の私みたい。
でも、憎いわ。月は太陽を追い抜いて進む。消えてこの世にない夜の姿、でも名残のように絶大な光に打ち負かされずに残り続ける姿は、まるで貴方の中にいる人みたい。
夜に燦然と輝く孤高の存在。
輝かしく、冷たい、手に触れられないモノ。
私も月なの。なのに、貴方は見向きもしてくれない。
凛とした、孤高の、純潔の君。戦士であった貴女は、誰よりも・・・彼に想われているわ。唯一の・・・女として。ねぇ、知っていた?
憎らしく、でも想像だけでも麗しい純潔の君。貴女は私から彼の視線を最初から最後まで渡してくれなかった。だから、私は貴女が投げ出しただろう言葉を、代わりに私が貰う。そのくらい・・・許して。
「月が・・・綺麗ね。」
頷く貴方は知らないでしょう。この国の誰も知らないでしょう。この言葉の、もう一つの意味を。
──お慕いしています。
貴方が彼の人を忘れられないように、私も貴方を忘れられない。叶わぬどころか、最初から女性として見てもらうことすらできない、今はここにいない女に全てを持っていかれた貴方。そして、そんな彼にここまで思われながら、一人旅立って逝った彼女。
この一度でいい。意味を分かってくれなくとも、応えてくれなくともいい。
言葉を許して。
せめて、この時だけは。
月が綺麗ですね──貴方を愛しています。秘めた気持ちは、貴方を愛しているからこそ言えず、だからこそより輝いて、澄んだまま空を駆け続けるのです。