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第一話

 最悪だ。たいした長さの人生を生きているわけじゃないが、今、人生で最悪な状況を迎えていると言える。

 何が楽しくて、四回も振られなくちゃいけないのか。しかも、この三ヶ月に集中した出来事だ。

 俺が惚れっぽいとか、全て友人の紹介で知り合ったとか、そんなことは関係ない。俺を振った彼女達の言葉は皆同じ、『ごめんなさい。好きな人が居るの』だ。

 どうして俺はこうも不器用に、好きな男がいる女しか好きになれないのだろう。これはもう、何かに呪われているとしか思えない。

 意気消沈して、自然と歩くペースもゆっくりになる。とぼとぼという擬音が似合う俺の足音が、誰もいない夜道に反響する。

 飲み会帰りの温まった身体に、秋風がしみる。吹く風すら俺の味方をしてくれなくてため息しか出ない。

 見上げれば、秋の月。キラキラと俺の心境なんて知らずに光るその天体は、今日も相変わらず奇麗だった。頭上で高々と存在を主張するそれさえ、俺をあざ笑うように見えた。

 今さっき振られたばかりの俺には、何もかもが憎く見える。

『村上くんのこと、嫌いじゃないよ。でも、私好きな人いるから』

 二人きりの帰り道。勇気を出した俺の告白への返事。好きだった佐々木に、振られたというのに、俺は泣きやしなかった。振られたらきっと泣くだろうと、昨日の夜、不吉な想像をしたというのに。まるで心が凍り付いてしまったように、頑なで悲しいとも思えない。そんな自分に同情する気すら起きなかった。

 ふと思考の沼から離れ、辺りを見渡すと、まったく覚えのない場所。うつむいていたからか、どうやら俺は迷ったらしい。

 真夜中の住宅街は、ひどく静かで俺の不安を煽る。足早に通り過ぎたいけれど、これ以上闇雲に歩き続けても迷うばかりだ。

 身体を反転させ、来た道を戻る。歩いても、歩いても、見覚えのある道に着かなくて焦った。自然と走り出した足は、見えてきた十字路を左に曲がる。続くT字路を右折すると、ひらけた場所に出た。

 途端、視線に入る朽ち錆びた大きな門。煉瓦を積み上げ、鉄柵で囲まれたその屋敷は、かなり広そうだった。どう見ても廃墟にしか見えないそこに、何故か惹かれる。重厚な雰囲気を漂わせるそれに、魅せられてしまったのかもしれない。固まった俺を導くように風が吹く。

 それに乗せられてきた香りに、俺は目を開いた。キンモクセイ。高く匂い立つ橙色の小さな花。

 こんな廃墟にそれが生えていることが不思議で、俺は引き寄せられるように門を開けた。少しの抵抗も見せず、キィーと開いた門の隙間に、素早く忍び込む。

 廃墟らしくシーンとした敷地内を、香りの強い方へと進んだ。建物沿いに歩いていくと、庭らしき場所へ出る。

 手入れされているのかいないのか、適度に草が覆い茂ったそこには、一本の木とベンチがあった。近づくと、それは予想したとおりキンモクセイのそれで、小ぶりな花を控えめにつけている。隣に佇む古びたベンチは、所々ペンキが剥げて、見るも無残だった。

 突然、周囲が陰る。

 驚いて空を仰ぐと、そこにはさっきまであった月はなく、灰色が広がるばかりだった。月明かりがなくなったせいであたりが見えない。その暗さは、まるで俺を飲み込もうとするようで気味が悪かった。悪寒が走る。こんな不気味なところは、さっさと立ち去るに限る。

「そこで、何をしてるの?」

 背後から聞こえてきた声に心臓が早鐘を打った。

 思わず振り向くと、そこには黄金色をまとった小柄な女がいた。

 夜空の月を切り取ったようなふわふわの髪。すっきりと通った鼻梁。パッチリと開いた目を縁取る長いまつ毛。一目で外人だと分かる彫の深さ。けれど、着ている物は赤と紺の袴で、さながら『着物を着たフランス人形』のようだった。

「不法侵入で訴えますよ?」

「え、あ、すみません……」

 フランス人形が日本語を話したことに、しどろもどろになる。そういえば、最初も流暢すぎるほどの日本語で話しかけられた気がした。

 あんまりにも驚きすぎて、もうすでに記憶が朧げなのだが。

「あなた……泣きに来たの?」

「え……」

 奇麗な顔を悲しそうに歪ませる。言われたことが理解できずに固まる俺をよそに、彼女はさびれたベンチにためらいなく座った。その動作を目で追いかける俺をチラリと見て、空を見上げる。

「泣きたいなら、泣いてもいいですよ。今夜はもう月が出ていないから」

「月……?」

 彼女の言葉に、俺も空を見上げる。雲に隠れてしまった月は、さっきと同じでその光を地上に届けない。そのことに何故か安心して、俺はまた彼女に視線を戻す。

「えぇ、……月が出ていないから、誰もあなたのことを見ていません」

「あんたは?」

 俺の言葉に、ふわりと彼女は笑った。その優しい笑顔に、視界が潤む。震える身体で、ベンチに腰をかける。

「わたしもどこかに行きましょうか?」

「……いや、ここに居てくれ」

 俯いた拍子に、透明な雫が庭に散る。顔を掌で覆って、思いのまま声を上げる。

 風が吹く。視界の端に、黄金色が映った。それを見て、唐突に理解する。

 あぁ、俺は。泣き場所を探していたのだ。自分を振った相手の前では泣けなくて。友人の前で泣くほど、みっともなくもなれなくて。

 でも、一人で泣くほども強くなれなかったから、俺が泣くことを許してくれる場所を探してた。誰か、泣くことを受け入れてくれる人が欲しかったのだ。

 何も言わず、何も聞かず、ただ俺の存在を許容してくれる場所。今、見つけた。

 それは、どこか嬉しい。振られてしまって俺は悲しいはずなのに、笑えてくる。見つけられたこと。名前も知らない彼女が此処にいてくれること。一人じゃないことが俺を嬉しくさせる。

 そのせいで、また胸が詰まる。失恋した矢先にまた誰かに惚れるだなんて、俺はどれだけ惚れっぽいのか。優しくされて、ただ舞い上がっているだけなのかもしれない。泣き場所を見つけて浮かれているだけなのかもしれない。

 けれど、彼女が此処にいてくれるのは事実で。今はそれだけで十分だと思った。

「……今日も金木犀がいい香りですね」

 彼女の言葉と共に、キンモクセイが強くなる。その匂いは、俺が泣きやむまで、彼女と共にこの場所に在り続けた。

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