第7章 修羅生死時代の僕
18歳の時に薬が詰まり、緊急手術をし、22歳の時に2回目の手術をし、そして25歳の時に3回目の手術を行ないました。
23歳の時にせっかく光り輝いたのに、24歳の時から痛みが強くなったため、「手術をしなければいけないのか~」そう思ったら、不安になりました。
今思えば、この頃から精神科にかかり、安定剤や功うつ剤、眠剤などを使い始めたのを思い出しました(薬物中毒になったのは、もっと後だと思っていました)
薬が効かなくなると、自分で図書館に行き、「この薬を出してください」といって、薬の量は増えてしまいました。
空手の四天王の一人、兄弟子が薬剤師なので相談した事もあります。
僕とその人とは薬剤師と患者という関係ではなく、兄弟弟子という関係であるため、「この薬は強いからやめろ」と注意してくださったのですが、僕は不安と恐怖に負け、結局、薬物中毒になり始めました。
さらに、自暴自棄になり、壁を殴ったり、自分の顔を殴ったり、患者と口喧嘩をしたりするので、医者から「こんな精神状態で長期入院は無理です」といわれ、結局入退院を繰り返していました。
でも、痛みが強いため、25歳の時に3回目のオペをしました。(手術前に安定剤などの量は減らしていきました)
だが退院後、僕はまた遊び人に戻り、修羅生死と云う名がふさわしい人間となっていった。
空手道場に行かなくなり、勝手に辞めてしまいました。
仕事も適当にやるようになった。
さらにすごい問題を起こしたため解雇された。
借金も作ってしまい、最終的には父親が払ってくれました(病気じゃなければ、間違いなく勘当されていました)
僕は生きる希望を失った。
当然、その時つるんでいたヤンチャ仲間と縁を切ったのだが、裏切り者扱いされ、携帯の留守電には脅しのメッセージが、また自宅前で待ち伏せされた事もある
この事を警察に相談したが、自業自得、「どこか遠い場所へ引っ越すのがいい」などといわれた。
そのためしばらく外出禁止で、通院の時も親と一緒だった。
僕は、精神的にまいっていた。
また安定剤などを出してもらうが、また徐々に量が増え、再び薬物依存症にもなった。
さらに手術後、また1年くらいで調子が悪くなり、点滴か筋肉注射で、強い痛み止めをよく使うようになり、母親は僕に内緒で、医師と相談し、精神科に通わせないようにしたり、筋肉注射や点滴での痛み止めを禁止し、痛み止めは錠剤だけとなりました。
まあ、僕自身は覚えていませんが、ラリって、ろれつは回らないし、目がとろ~んとして、わけの分からない事を言っていたようです。
そのため、一人にさせとけないと、母親も心配し、よく来てくれた。
でも、自分に内緒で、医者と相談し、精神科にかかれなくしたり、筋肉注射や点滴での痛み止めが禁止になったりしたため、当然その時は腹が立ちました。
世の中が本当にイヤになっていました。
そんな時だった。
ある一冊の本と出会ったのは……
そしてその本を読んで、僕に生きる目標を与えてくれたのです。