第4章 クローン病
高校を卒業し、僕はパン工場に就職した。
まさかこの後に、地獄が待っているとはこの時は知らない。
入社してすぐに、お腹が痛くなった。最初は酒の飲みすぎ(未成年者の飲酒も法律で禁じられています)かと思っていた。
だが、痛みは激痛となり、さらに嘔吐や高熱、体重減少など体に異変が起きた。
さすがに働けないので、僕は3ヶ月経つか経たないかくらいで会社を辞めた。
そして地元の病院で検査をしたが、医者からは五月病だとか精神的な痛みだとか言われた。
当時クローン病は、今以上に知られていないため、誤診を受ける患者さんが結構いました。
親もただ事ではないと思い、祖父が通っていた大学病院で検査入院をし、クローン病と診断された。
医師からは「治らない病気です」と言われた。
この時から僕は、治らない病気を抱えながら生きていかなければいけない……いや、生きていたい……そう思った。
クローン病の治療は、点滴による絶食や薬物治療、そして外科的治療である。
消化器の病気で、口か肛門、主に小腸や大腸に潰瘍ができたりし、狭窄つまり、腸が細くなったり、ろう孔と言って腸に穴が開いたりする。 主な治療は点滴による絶食や薬物治療、そして外科的治療である。
食事は非常に難しく、食べるよりエレンタールやラコールという栄養剤か点滴で生活した方が再発しにくい(だが、個人差はあり、栄養剤だけで生活していてもすぐ再発する人もいるし、暴飲暴食をしても何年か平気の人もいる)
薬物治療として、プレドニン(ステロイド)やレミケードという免疫抑制剤が使用される(薬ということで、個人差はある)
そうそう、97年はルナシーがソロ活動を開始しした年だ。
また、ガクトさんが2代目ヴォーカルを勤めたマリスミゼルというヴィジュアル系バンドが、メジャーデビューした年でもあった。
僕は病室のTVで彼らの「ヴェル・エール」というPVを見て、驚いた。
今では珍しくないが、当時は今までにないV系バンドが出てきたな~と驚いた。
中世ヨーロッパをモチーフにした衣装は鮮やかだった。
まるでおとぎ話の国から出てきたように思えた。
ガクトさんが王子様で、マナ様がお姫様だ。
この時から僕は、マリスファンとなった。
入院して1ヶ月くらい経った頃、僕は狭窄(腸が一部細くなっていた)のため腸閉塞
(ペンタサという薬で詰まった)を起こし緊急手術となった。
術後は地獄……
次の日には、腸を早く動かすため、歩かされる。
鼻やお腹にたくさんの管が入って、しかもお腹を切っているためすごく痛い(痛み止めも使用していたが、手術前に毎日使っていたため、効果がなかった)
だが、時と共に痛みも消え、回復したので、僕は内科に戻った。
肉体だけでなく、精神的にも楽になり、僕は久しぶりにタバコを吸いに喫煙所に行った。
そこで、たくさんの仲間ができた。
患者さんだけでなく、小さなお子さんの親御さんとも仲良くなり、そのお子さんや、他の難病と闘う子供たちと入院中によく遊んだ。
だが、悲しい事もある。
ある日、喫煙所に僕や他の患者さんに、ご両親が挨拶に来た。
ご両親の顔から、その子がどうなったか分かった。
小さな体で病気と闘い、そして空に羽ばたいて逝ったのだと……
また、入院中、よくしてくださった患者さんの何人かも空に羽ばたいてしまった。
僕らでは感じることのできぬ世界へ羽ばたいたのだ。
生きることがどれほど大切かを知る事ができた。
悲しい事もあったが、退院に向けて、栄養士から食事の事を説明された(でも未だに何を食べていいのか分かりません)
「エレンタールという栄養剤を中心に、油の多いものや繊維のあるもの、刺激物などはやめてください」と言われた。
当時の僕は今以上に無知だ。
特に調理師の免許を持っているのに、料理は出来ないし、知識もない。
この時、「ファーストフードも良くないです」といわれたのですが、僕はその時ファーストフードが何か知らなくて、自分で勝手に訳し、「最初の飯、ああ朝飯の事か」と思っていた(後に本で調べたら、ハンバーガーなどと書かれていた)
また「肉より魚のほうがいいです」といわれ、僕の中では肉の中に、鶏肉、豚肉、牛肉そして魚肉が入っていたので、肉と魚の違いが分からなかった。
これも親に聞いて「肉屋に魚が売っているか」といわれ、納得した。
他にもにんにくも肉だと思っていた。
なんとも情けない調理師……いや、似非調理師という言葉のほうが僕にはあっているか。
約4月という入院生活をしていたため、退院前は、ちょっと寂しくなった。
病気は違うが、苦楽を共に過した戦友たちとのお別れが淋しかったのである。
また、アニメのキャラ以外で、僕が本気で恋をした看護師がいた。
だが、婚約者がいると知り、僕の現実での初恋は終わった。
こうして4ヶ月以上の入院生活が終わったのだが、クローン病との闘いは終わったわけではない。
この病気と「おさらば」するときは、僕自身この世にいないことになる。
とにかく僕は入院中で己の弱さを知った。
退院後、僕は真の強さを手に入れたくて、弟が習っていた空手を習う事にしたのだ。
97年で診断されたため、2012年で15年目になりました~!!
アニメのキャラ以外で、僕が始めて恋をした年です。
あっ、そうそう、「ドラゴンボール」の孫悟空も心臓病で別の未来では死んでいるじゃないですか。
でも彼は死ぬという事実よりも、人造人間と戦えないことが悔しいという……僕は入院中コミック28巻をよく読んで、自分を励ましていました。
今でもDVDでその回のアニメをよく見ます(でもTVアニメでは孫悟空は注射が苦手という(笑))