波州
「へい、いらっしゃい。今日は、新鮮なアジが入ってるよ。どうだね、奥さん。」
「まだ、独身よ。」
「南方でとれた果物は、いかがだね。食べれば、たちまち美肌が手に入ると言われている極上品だ。」
「間に合ってるわ。」
「いやあ、美女にはヒスイのかんざしがピッタリだ。」
「お世辞をどうもありがとう。でも、安物の髪飾りをつける年でもないわ。」
露子達は、波州の港町、湘夏で船を降りた。
河と海の交わるところに位置する湘夏の市場は、かなり大規模だと聞いたことがあったが、これほどまでとは思っていなかった。
規模も活気も都の市場と比べて、遜色ないといってもいい。
とにかく、尋常ではない活気である。
一歩進むたびに近寄ってくる露天商に露子はいささか辟易していた。
太一に追い払ってもらいたいところだが、前を歩く青年は、船頭にもらった宿の地図と睨めっこしている。
馬に乗っていれば、このように絡まれることもないだろうが、借りることができた馬の背には、ぐったりした朱里が乗っていた。
太一に何か言えば、朱里を馬から下ろして歩かせることになってしまうだろう。
そもそも、貸馬が一頭しか残っていなかったことが問題である。
露子は、少し苛々しながら、頬と伝ってきた汗を拭った。
初夏といえども、日中は、かなり日差しがきつい。
なんだか、喉が渇いてきた。
露子は、立ち止まると、太一の背中に声を掛けた。
「太一、少しの間、あの木の下で待っていて。何か飲み物を買ってくるから。」
「俺が買ってきますよ。」
「自分で行くわ。待っている間に朱里の汗を拭いてあげて。」
太一が頷いたのを確認した露子は、一番近くに見える店へ向かった。
「檸檬水とハッカ飴一袋ください。」
「ちょうど、檸檬水が切れたところなんですよ。今、奥から出してきますから、ちょっと待っていてください。」
店主を待っていた露子は、ふと、店と店の間にある路地にいる子供の集団が目に入った。
話の内容までは聞こえないが、何やら怒鳴り声も混じっている。
いじめだな。
露子は、直感的に思った。
宮中学問所で子供達を教えていただけあって、こういう勘は、はずれたことがない。
露子は、店を離れると、路地に入っていった。
「お前、目ざわりなんだよ。」
「そんな姿で恥ずかしくないのか。」
「泥棒が、市場に何の用?」
どっと笑う少年達。
どうやら、嘲笑の標的になっているのは、集団の中心でうずくまっている少年のようだった。
小柄な少年は、頭巾で頭を覆っているが、怯えているのが分かる。
「ほら、何かいえよ。」
少年達の一人が、頭巾の少年を足で蹴った。
露子は、もう見過ごせなかった。
「恥ずかしいのは、あなた達だわ。」
ぎょっとした少年達が、怒鳴った露子を振り返った。
露子は、少年達の輪にずんずんと押し入ると、頭巾の少年から蹴った少年を引き離した。
「寄ってたかって、一人をいじめるなんて。卑怯者のすることよ。」
露子は、頭巾の少年をかばうように立つと、少年達を睨みつけた。
少年達は、露子の気迫に気圧されたようで、何も言えないようだった。
しばらくして、先程頭巾の少年を蹴った少年が、口を開いた。
「俺達は、盗人を捕まえただけさ。」
露子は、目を見開いた。
「あなた、何か盗んだの?」
露子は、背後の少年に尋ねた。
「ぬすん、でない。ぼくは、なにも。」
頭巾のかすれているけれど、はっきりと聞こえた。
「彼は、何も盗んでいないと言っているわ。」
少年は、一笑した。
「だけど、こいつの母親は、盗人だぜ。盗人の子供は、盗人なんだよ。」
露子が何か言う前に頭巾の少年が大声を出した。
「母さんは、盗人なんかじゃない!」
その時、強い風が吹き、少年の頭を覆っていた頭巾が外れた。
「盗人が正体を現したぞ。」
少年達の声が大きくなる。
振り向いた露子は、息をのんだ。
そこには、銀色の髪をした青い瞳の少年が立っていた。
「ジャナ」
露子は、低い声で呟いた。
少年は、はっとしたように頭巾を被り直すと、その場を走り去った。