"晦"
石窟寺院には、蝋燭がゆらめく他には一切の光が無い
音もまた同様で、地の底の静寂にこだまするのは、ただ経文の斉唱だけだ
『聖なる犠牲』は特定の数種の『香』を吸引した状態で聖衣を纏い、柱の後ろに両手両足を拘束された姿勢にされるのが恒例だ
『香』によって精神はトランス状態に在り、これにより『儀式』は尊厳有るもの───『聖なるもの』となる
今年の『聖なる犠牲』も例年通り、前年の其れの生まれ変わりであるとされる人間が『使用』される
選考の基準がそうしたものである都合から、人種や年齢、性別などは考慮されない
今回の儀式に選ばれたのは、碧色の瞳をした優しげな少年だった
西の民であるらしく、衣に隠されて居ない顔や素足、指先は陶器のように白い
しかし、吸い込んだ香が躰を巡った結果、全身がぐっしょりと艶めかしい汗に濡れ、その汗が、唾液が、床に滴ってさえ居た
矢も盾も堪らず官能的な眺めだったが、取り囲む僧達は粛々と読経を繰り返すだけだった
僧達の声の昂まりが最頂を迎える頃
ぬらり、と、樫を鉄よりも硬く加工した、枹を持った打撲僧が石窟に現れる
彼は聖者を諸共に柱を百八度打撃し、衆生の罪を清める
『聖なる犠牲』は、とろん、とした眼で其れを視る
儀式の手順は事前に伝えられて居るが、この段階になってなお精神が酩酊しない者は居ない
即ち、儀式の始まりだった
打撲僧が枹を後ろまで振りかぶると、水平に一撃、少年の腹部を打つ
生きたものの肉を叩く、鈍い音が僅かに響き
聖なる犠牲の口からは唾液が、打撲僧を濡らす程に散り返った
手首足首の拘束は、脱走を禁じる為のものではない
総ての場合に於いて、聖なる犠牲には脱走の意志は無く、むしろ拘束は、打撃による衝撃を躰内で最大化する為の固定なのだ
例年であれば、儀式には一打から激しい吐血が伴われる場合も有る
また、唾液の飛散は聖者の昂揚も意味する
今年の聖者が最上の者である事を、その場の誰もが確信し始めて居た
その後も打撃は繰り返された
打つ数が四十を越える頃に枹が折れ、六十を越える頃には柱がへし折れた
かつて無かった事だ
折れた柱と共に聖なる犠牲が躰を曲げる時、少年は手足が解き放たれ、腹部を押さえながら躰を曲げ、ごほごほと血を吐いた
凶兆だった
こうした凶事に視舞われた場合、取り返しを付かせる方法は『もう一度、百八度の殴打を行うこと』以外には有り得ない
数名の僧が『聖なる犠牲』へと駆け寄ると、それぞれ少年の肩や足首、頭などを掴み、彼を立ち上がらせた
少年が、打撲僧を恍惚と視る
枹が振りかぶられる─────




