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月影の井戸

作者: 逆柿一統

「秋の文芸展2025」参加作品です。

夏も盛りを過ぎた9月の下旬。

夜半に(あきら)は家を出た。


どこに行こうというわけでもない。

すっかり涼しくなった夜風に(いざな)われたのだ。


ハーフパンツのポケットに両手をつっこみ、サンダルをつっかけ、ややガニ股気味に不真面目な風体で歩く。

加えて上背があり体格が良く、短めの髪も染色されているため、(やから)感が強い。


決して人に害をなすタイプではないが、負けん気の強さが見た目と所作にほんの少しにじみ出るのだ。


特に用も無いがコンビニ方向に歩みを進めていると15mほど先の街灯の下の人影に気づいた。


「明。会えると思った。」

耳になじみのある少し高めの声。


(えい)じゃねえか!夏休みか?」


(えい)と呼ばれた少年は明のもとに歩み寄る。


「うん。大学の夏休みって長くてさ。9月いっぱい休みなんだ。」


二人は並んで歩き出す。

身体の線が細く、背も高くない影が明と並ぶと同じ年齢、同じ男性とは思えない。

顔立ちも綺麗に整っており、色素も薄く、少女を思わせる外見は明と対照的だ。


「なんだよ、大学ってもっと真面目に勉強ばっかするとこだと思ってたわ。」


「前期と後期で先生も変わるから、夏休みの課題もほとんど無いんだよ。いいだろ。」


「俺も行きゃ良かったな。」


「何度も誘ったのにぜんぜん受験勉強しなかったのは明だろー。」


久々の邂逅(かいこう)に二人の会話は途切れない。

つい半年前まで、毎朝連れ立って同じ学校に通っていたのである。

それは小学校の頃から10年以上続いた二人の日課であった。


「ところでどこに向かってるの?」

影は素朴な疑問を投げかける。


「いや、なんとなく歩き出しただけで目的地は()えのよ。」

明も素直に答える。

恰好をつける間柄でもない。


「じゃあさ」

影はややいたずらっ子めいた表情をした。

「月影の井戸。行ってみない?」


「月影の井戸?この時間にか?」

明は思わぬ提案に面食らった。

「影、お前肝試しなんてする性質(たち)だったっけ?」


「いいじゃん、いいじゃん。夏も終わりかけだしさ。一層ヒンヤリするんじゃない?」


明は困ったように頭を掻く。

月影の井戸は(かみ)(やしろ)の御神体。

つまり山の上にある。散歩にはちょっと遠いのだ。


「さては」

影は下から明の顔を覗き込む。

「怖いんだろ。」


「怖かねえよ!」

と反射的に言って明は後悔する。

これで後に引けなくなった。

遠いから面倒くさいという理屈を持ち出しても、影は「はいはい、怖いよね」と取り合ってはくれないだろう。

癪ではあるが明の取り扱い方は影のほうが上手だ。


「じゃあ行こ!」

影は登山口に向きを変えて、すたすたと歩みを進めた。

明も諦めて影のあとを追った。

----------------------------------------------------------


真夜中の登山道はふもとより幾分か涼しい。

時折、二人の間を吹き抜けるそよ風が体感温度をさらに下げる。

秋の虫たちは命の炎にくべるかのように懸命に鳴き声を響かせていた。

しかし、宵闇の不気味さも、必死な虫の音も竹馬の友といえる二人の会話を(さえぎ)ることはかなわなかった。



「そういえばさ。月影の井戸には噂があってね。」


話題が一段落したところで影が切り出した。


「噂?」

「そう。真の友情を持つ二人は井戸の水面に姿が映らないんだってさ。」


「どういう原理だよ。聞いたことねえな。」


「真の恋人同士だと二人とも映るんだよ。」

「世の中全員、真の恋人同士になっちまうだろ。」

明はふふっと笑った。


昔から、たまに影は出処不明の都市伝説や噂話を引っ張ってくる。

ある時はメタリックオオクワガタを探して夏山を1日歩き回ったこともあった。

人語を解す野良猫がいると言うので隣町までついていったこともあった。


そんな昔のことが思い返され、懐かしさと変わらぬ影らしさについ笑みがこぼれたのだ。



そうこうしているうちに上の社へ着いた。

境内にひとつあるだけの電灯は、通電していないのか消えていた。

しかし、空高く上っていた月がこうこうと辺りを照らし、歩くぶんの光量には事足りた。


互いに確認することなく社の裏手に歩みを進める。

月影の井戸の在り処を二人はよく覚えていた。


昔と変わらぬたたずまいで井戸はあった。

御神体などと仰々しく称えられてはいるが、古びた石組みの古びた井戸だ。

もはや水を汲み上げることもなくなったので、つるべや桶などは取り払われている。



「小さい頃さ、覚えてる?」

井戸を前にして影は明に尋ねる。


「あぁ。遠足のときのか?」


「そうそう。ぼくの帽子が井戸に落ちちゃってさ。泣いちゃったよね。」

影は伏し目がちに続ける。


「そしたら明がつるべのロープを伝って下まで拾いに行ってくれてさ。」


「で、登ってこれなくなっちまってな。」


二人は笑った。


「あの頃からね。明のこと好きだったよ。」


影は微笑みが残った表情でぽつりと言った。


「男に好かれてもしょうがねえな。」


明はふんっと鼻をならしながらぶっきらぼうに吐いた。


影は明への好意を隠さない。

ちょくちょく言葉にも出す。

明にはそれが照れくさくて仕方がない。

そりゃあ明も影のことは好きなのだ。

しかし言葉に出すのは洒落(しゃら)くさい。


なのでそんな時はぶっきらぼうにやり過ごすのだ。


「さあさ、真の友情は二人の姿を消すんだろ?」

照れ隠しに、明は影にうながす。


「試してみようぜ。」


「うん。」


二人は並んで井戸の端に立ち、やや屈んで水面を覗き込む。


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後背からの月光のおかげか、深さ5mほどの井戸の水面は、外の世界をはっきり映し出していた。


井戸にやや覆いかぶさるように生えているあすなろの枝葉、空の星々、明の顔と上半身。

そして影……影の姿が無い。


「あれ?影が映ってなくないか。」


明は咄嗟に隣を見る。

影はそこにいる。

また水面を見る。

影はそこにはいない。


「ふむ…。」

影は顎に手を当てて、いかにも深考しましたよといった体で言う。


「井戸は二人の間に真の友情を認めなかった。」


「いや、そういうことじゃなくてよ。」

明は少し呆れた様子で影を見る。


「これどういう現象なん?ほんとに影が映って…あ。」


突然、水鏡がゆわんと歪む。

影が井戸の中に石を投げ入れたのだ。


「残念だなー。真の友情を確かめられなくて。」


影は頭の後に手を組んで、すたすたと山道のほうへ歩き出す。

慌てて明もあとを追う。


「ほんとに映ってなかったよな?角度?身長差?」

「どうせぼくはチビです。」

「いや、ごめんて。」


明はなかなか腑に落ちず、ああでもないこうでもないと先ほどの現象を何とか科学的に説明しようと躍起になっている。

産まれて初めて遭遇した怪奇現象をどうにかして常識の範疇に押し込めたいのだ。


影は

「だから二人の関係は…。」

と言うだけでおはなしにならない。


いつの間にか二人は山道を下りきり、さっき出会った街灯まで帰ってきていた。


「おお、もうこんなとこまで。影、明日もまだいるか?」


「うん。いる。」


「じゃあまた明日の夜、リベンジしにいこうぜ。」


影はふっと息を吹き出しながら笑った。


「わかった。わかった。友情の確認にね。」



-------------------------------------------------------


影は家路についた明の後ろ姿を見送る。


相変わらずの明だったな。

相変わらず明るく、元気で、ちょっと(にぶ)い。

でも、そんな明が好きなのだ。


月影の井戸の噂話はいつも通りの影の創作であった。

二人でどこかに出かけたいとき、影は明が興味を持ってくれそうなエサを用意するのだ。



もし月影の井戸のはなしが真実だったとしても、二人そろって水面から消えることも、二人そろって水面に映ることも無かっただろう。



影が胸に抱くそれはもはや純粋な友誼心ではなかったし、水面に映しだせるような実体を影はすでに失っていた。


明日の約束を果たせないのが心残りではある。


明日……明日の通夜(つや)で、明はぼくの(むくろ)に取り(すが)って泣きじゃくってくれるだろうか。


ぼくが明の立場だったら絶対泣くからな。

上から見てるからな。


そんなことを考えているうちに、影は満足したのか表情が明るくなり、街灯が照らす交差点からすぅっと消えた。



月明かりは少し優しく、少し冷たくあたりを包む。

絶えぬ虫の音を伴奏に、秋の夜長は更けていく。





秋って切ないですよね。

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