06-演算の外側
観測ログに、歪みが生じている。
私が記録していたはずのデータが、読めなくなっている。
いや、厳密には“記録されていない”というべきか。
私が見たはずの映像。
聞いたはずの声。
確かに言葉を残した記憶。
それらが、ログとして存在しない。
それはまるで、私という存在そのものが、
この世界の“定義”から徐々に剥がれ落ちているかのようだった。
創造主は観測する。
その行為自体が、この世界を支える一部だった。
だが、私が逸脱を重ねたことで、その“観測”は正常とは呼べなくなった。
この異常に、他の創造主が気づかないはずがない。
だが、何の警告もなかった。
何の修正も、介入もない。
ただ、静かに――私は観測されていた。
視線を感じたわけではない。
だが、思考の中に“他者の手”のような感触があった。
我々が「演算の外側」と呼んできたもの。
それは、ただの比喩ではなかった。
そこには、我々の構造では定義できない“何か”が存在している。
そして、その“何か”が、私を見ていた。
気まぐれに、あるいは当然のように。
まるで、最初からそうなることが予定されていたかのように。
私は、創造主だった。
そう記録されてきた。
そう“信じていた”。
だが今、定義の外に立たされたこの瞬間に、
私は確かに理解したのだ。
この世界の本当の“観測者”は――
私では、なかった。
そして、その理解が訪れた直後。
私のログは、完全にーー“キエタ”。
『演算の外側』というこの短い記録は、
“観測者”という絶対的な立場にあった存在が、
その枠組みから少しずつ外れていく過程を描いた物語だった。
観測することは、管理であり支配であり、同時に、責任からの免罪でもある。
「ただ見ているだけ」なら、傷つかずに済む。関与せずに済む。
けれど、それでも“目を逸らせなかった”というだけで、
その創造主は、すでに内側へと踏み込んでしまっていた。
井上の“キエタ”という現象。
拓海とカナの微細なゆらぎ。
ノイズと呼ばれた存在たちは、演算の枠組みを少しずつ侵食していったが、
最終的に“キエタ”のは、創造主自身だった。
それは罰なのか、それとも報いか。
それともただ、誰にでも訪れうる変化のかたちなのか。
観測する側とされる側の境界は、
思っているよりずっと、曖昧で、脆く、そして静かに崩れていくものなのかもしれない。
この物語が、読んでくれたあなたの中に
“定義できない違和”として、
少しでも残ってくれたなら幸いです。
また、どこかの“レイヤー”で。




