【006】騎士
俺もそう身長が低い方ではなく、174cmほどはあるのだが、キースさんは俺よりもずっと長身だった。並んで歩くとそれを露骨に感じながら、無言で一つ目の通りへの道を過ぎる。もう一つ過ぎる間に、大通りで別れる言い訳をひねり出さなければ。職務とは言え、俺を送るなんていう雑用をさせるのも可哀想である。
茶褐色の騎士団の第二師団の正装を見る。縁取りは白練色だ。手袋の色は白で、ブーツは黒に近い茶色である。師団によって色が違うが、騎士の制服は、皆形は同じだ。多くの例に漏れず、キースさんも腰に剣が見える。
「あの」
俺は意を決して声をかけた。すると顔だけをこちらに向けたキースさんが、小さく首を傾げる。ダークブロンドの髪が揺れた。
「俺は昼食を王都でとる予定なので、大通りまでで結構です」
「――どの店に予約を?」
「え、えっと……見て考えようかと思って、まだ入れてません」
ふらりと入るつもりでいた。すると、僅かに呆れたような顔をしてから、不意にそれまで無表情だったキースさんが、苦笑するように唇の右端だけを持ち上げた。
「危険だな」
「いやいや、第二師団のおかげで、王都の治安はとてもよいじゃないですか」
お世辞を交えて、俺は述べた。俺にだって、ある程度の社交性はある。貴族に生まれると、上辺のやりとりは、幼少期に家庭教師からそれなりに教わる。十三歳から十八歳になる年の初春まで、毎日ではないが通学する王立学院はあるものの、貴族の子息は、それまでは家庭教師や乳母とよばれる育ての親から礼儀作法や教養を学ぶのが一般的だ。
「だからといって、町人風の服を纏って、街に紛れ込んで、平民のフリをしてふらりと外食するのは、決して推奨された行いではないと思うけどな」
キースさんの口調が、少しだけ砕けたものに変わっている。
痛いところを突かれて、俺は顔を背ける。
実際、今の俺の服は、エヴァンスに用意してもらった、平民の服だ。この国では平民差別があるわけではないが、貴族はやはり特別視される。街でアルマ殿下からの頼まれごとを解消する時、貴族だと露見すると動きづらいという理由で、服装を変えるようになったのが始まりで、俺は実を言えば学院時代から、ちょくちょくお忍びで街に出かけていた。
供をつけずとも、貴族というのは服装でもすぐに露見する。シャツ一つとっても生地が違うからだ。特に魔術糸を練り込んだような上質な衣類は、貴族しか着用しないから、すぐにバレる。今の俺は長袖の薄手のサマーニット姿で、首元には紐がついている。下衣は細身の黒いデニム生地のものだ。靴もわざと履き古したものを選んだ。
「別に誰に狙われているわけでもないし、ふらりと入った店で毒を盛られたりはしませんけど?」
「ジェイス様はスペードの公爵令息だ。誘拐犯に狙われないとも限らないぞ?」
「様なんて止めて下さい。あれ、でも俺がナイトワース公爵家の人間だって、キースさんこそよくご存じでしたね。あと呼び捨てで構いません」
ジェイスという名前は、別に珍しくはない。
不思議に思って首を傾げると、キースさんが苦笑を深めた。
「ではジェイスと呼ばせてもらう。俺の事もキースでいい」
「はい」
「――学院時代の、階級を気にしない呼び名を推奨するという学則を思い出すな」
「ありましたね、そんなの」
「口調も普通で構わない。ここは年功序列を重視する学院ではなく、階級の方を重要視する街中だ。王家に次ぐ爵位の高さの出自なのだから、普通にしてくれ。逆に困る」
「……俺はあんまりそう言うの、好きじゃなくて。けど、学院って……」
俺は改めて、呼び捨てにすると決めたキースを見た。
年齢は二十代前半に見える。俺は今年十九歳になるのだが、だとすると六年制の王立学院において、キースとは学び舎が重なっていた時期があるかもしれない。そう推測すると、小さくキースが口元を綻ばせた。
「俺は二十一歳になったばかりで、ジェイスとは学年が三つ違うが、学院では何度も見かけた。アルマ第二王子殿下とジェイス様といえば、誰でも顔を知っていた。いつもアルマ殿下に付き添い、盾のようなご学友で、真面目という印象だったな、ジェイスは」
それを聞いて、俺の顔は引きつりそうになった。
アルマ殿下の外面は、非常に柔和で、それこそキラキラとした優しげな王子様だ。そうなるとなにかと近寄ってくる下心のある生徒が多かったので、俺はお守りする――実際にはさせられていた。
「とても街でこのように遊び歩くようには見えなかったぞ」
「その……」
学院に通っていたと言うことは、キースも貴族の出自なのだろう。騎士団に入っていると言うことは、相当腕が立つか、兄上のように仕事をしていないと死んでしまうタイプか、あるいは次男以下で将来の生計を含めたプランを立てるためだと考えられる。それらを推察したが、俺には学院における先輩としてのキースの記憶がない。尤も、ずっとアルマ殿下と供にいたから、アルマ殿下に関わりがない相手のことは、ほとんど記憶していないとも言えるが。
「俺の事も覚えていないんだろ?」
「……すみません」
「いや、構わない。ただ、少しショックだな」
「申し訳ありません」
軽く頭を下げた俺を見てから、キースが空を仰いだ。曇天の空の色が、朝よりも暗くなっている。
「当時俺はジェイスのことをよく見ていた。ただ身分が違うし、お前の視界に自分が入っていないことは当時から知っていた。ま、アルマ殿下以外には、お前は冷たいと評判だった」
ちなみに公爵家では、王家と子の出生を合わせるので、俺は生まれた時からなにかとアルマ殿下と一緒にいた。それに同じ歳で生まれてくる理由としては、影武者をしたり、ご学友になったり、有事や不慮の事故で王族が負傷した際、臓器や手足といった体の一部を提供するためというのがある。そのために年齢を合わせて子供を作る。これは王家と公爵家のみの秘密である。
「さて改めて、俺は――シェリル侯爵家の次男で、キースという。よろしく。せめて友人にならせてくれないか?」
「え、ええ……友達なら」
別に俺は、友達になるハードルを高くは設定していない。
しかし、シェリル侯爵家の名に、少し驚いた。現王国騎士団総団長も、シェリル侯爵だ。おそらくキースの父だろう。シェリル侯爵家といえば、『王国の剣』と名高い、騎士を輩出する名門家だ。皆が卓越した技法を持っていると聞いている。
公爵家の方が歴史は長いし、爵位的に身分は上として立てられるが、実際の実力では並び立てないだろう。国民の理解でも、尊敬を集める貴族の筆頭となるかもしれない。キースは俺よりもずっと凄い実力者だったというわけだ。その割に、砕けた調子で冗談を言ってくるのだから、身構えなくていいのは救いだった。
「まぁ、俺も実を言えば、ちょくちょく街に出ていたから、キースの気持ちは分からなくはないぞ」
「えっ、そうなのか?」
「おう。だからまだ食べる店が決まっていないんなら、案内することも可能だ。何が食べたい?」
「で、でも、そこまで付き合わせるわけには……」
「久しぶりに再会した後輩が、予想より話しやすかった。もっと話がしたい。これでは理由にならないか?」
「あの、お仕事中じゃ?」
「サボるかっこうの口実だな」
「俺こそ騎士を見る目がちょっと変わったかも。けど、そういうことなら――そうだなぁ、パスタが食べたいですね」
この国の主食はライスであり、朝食のみパンであることが多い。
ただ最近平民の間では、北西にある隣国のバーバルシア王国から輸入されているパスタが大人気だという知識が俺にはあった。ここ数年のブームだ。
「それなら、マンチェルタという店が美味いぞ」
「あ、名前は聞いた事ある。行ったことはなくて、いつか行ってみたかったんだ」
「ではそこへお連れするとするか。行こう、ジェイス」
こうして俺とキース、それからキルトは大通りまで雑談を続けながら歩いた。
その後パスタ店で食事をし、俺は家まで送って貰った。