【005】イチジク通りの被害者
処刑人というのは、王国騎士団特務部隊直属の、罪人に対する刑を執行する騎士の俗称だ。現在その部隊の副隊長をしているのが、ぜんまい族の人物で、胸元から上の部分がギロチンなのである。主に極刑――斬首の担当をしているようだが、多くの場合、この国では終身刑が採用されるので、出番はあまりないそうだ。代わりに普段は、書類仕事をしているという噂であるが、処刑人は謎に包まれた部隊のメンバーなので嘘か本当かは分からない。
「死んじゃったんですか?」
「いいや? 靴屋の親方が、接着剤で首に頭を戻して、事なきを得たよ」
「それはよかった……」
ぜんまい族の身体構造は人それぞれなので、致命傷や急所も人間の人体とは異なることが多い。血管の有無も様々だ。
「二人目の被害者は、果実屋さんが育てている犬型ぜんまい族のラックだ。まぁ犬型といってもライオン程度の大きさだがねぇ」
「動物の魂が入っているんですか?」
「ああ。二百年前に亡くなった当時の愛犬の魂を定着させたと聞いているよ。経緯は知らないが、許可が下りたと果実屋の当時のご主人は泣いて喜んでいたからねぇ。今となってはラックの方が長生きであるが、犬もまた大切な家族だ」
さらさらと巨大な犬の絵を描きながら、ファレルさんが続ける。
「腹部に弓矢を突き刺されて発見されてねぇ」
「……し、死んじゃったんですか?」
「いいや? 長生きだと言っただろう。頼まれて私が診て、弓矢を引き抜いて縫合した。今ではピンピンしている。ラックの中身は主に無機物であるから、血の代わりに黒い油が少し漏れ出した程度で済んだ。ラックの餌も油だしねぇ」
「それはよかった」
「いずれも状況までは、私は知らないが。ただ……ぜんまい狩り――に、違いは無いだろうが、過去の例とは少し触感が違う。普通は、全てのぜんまい族の急所ともいえる、ぜんまいの破壊。体のどこかにあるぜんまいを引き抜いて破壊して、器を壊すことをぜんまい狩りと呼称すると私なんかは考えるのだが、まるでぜんまい族の体の構造を知らない誰か、あるいは、ただ単に残酷性を持ち合わせた者が、戯れに痛ましい行為をしているように思えたねぇ」
つらつらと続けたファレルさんの言葉を聞き、これは有益な情報だと思った。
ぜんまい狩りに見せかけた、愉快犯の仕業なのかもしれない。
「ファレルさんも気をつけて下さいね」
俺は、証言を聞いて注意を促すという予定を思い出しながら、念のため告げた。尤も、ファレルさんは、見た事は無いが聞いた話によると、非常に強いというから、犯人を撃退することなど雑作も無いかもしれないが。
「ありがとう、ジェイス。そうだ、今から珈琲を淹れるとしよう」
「あ、お気遣いなく。俺は、そろそろ帰りますので」
「私も飲みたいところだったのだよ。空いているビーカーはあったかなぁ」
俺は複雑な心境で笑った。ファレルさんは、アルコールランプの上にビーカーを置いてお湯を沸かし、それで珈琲を淹れることが多い。ただ、俺が昔気を利かせて、同じようにしてお湯を沸かそうとしたら、『一般的には、アルコールランプでお湯を沸かすのは危険な行為だから決して行ってはならないんだ』と、注意された。
こうして俺は、黒のアトリエで珈琲をご馳走になることになった。
珈琲の豆は、王国の南方で採れるものや南隣の国からの輸入品だ。魔術製法で粉にされているものが多いが、ファレルさんは自分で豆を挽くのが好みらしい。
俺とファレルさんの前には珈琲が入るカップが、キルトの前にはミルクの入る皿が置かれたが、キルトは飲まない。実際、動物の猫にもあまり牛乳はよくないと聞いた事がある。
「ジェイスは私に気をつけるようにと言うが、そしてその心配してくれる優しい心は嬉しいが、キミも気をつけるようにねぇ。人間による人間への加害のほうが、世界には圧倒的に多い」
カップを器用に持ち上げて、そう言ってからファレルさんが飲み込んだ。
頷きながら、俺も珈琲を頂く。
扉の向こうから鐘の音がし、勢いよくアトリエの扉が開いたのは、その時のことだった。
「失礼する。王国騎士団第二師団の者だ」
入ってきたのは二人連れの騎士で、声を上げた青年に俺は見覚えがあった。兄上の同級生であり、こちらも二十七歳で、師団長を務めているヴァレンさんだったからだ。ヴァレンさんはダイヤを家紋にもつ公爵家の人間でもある。
もう一人は、どこかで見たことがあるが、咄嗟には思い出せない騎士だった。装束で騎士だと分かる。
二人は俺を見ると、どちらも驚いた顔をした。ヴァレンさんはともかく、やはりもう一人もどこかであったことがあるのだと思う。
「ジェイスじゃないか。ここで何をしてるんだ?」
「あ、ちょっと珈琲をご馳走に……俺はそろそろ帰りますので」
慌てて俺はカップの中身を飲み干す。
「王国騎士が、私になんの用かね?」
ファレルさんはそう言いながら、ゆっくりとカップを傾けている。第二師団というのは、主に王都の治安維持を担当している存在だ。犯罪者の摘発や、事件の捜査、取り調べなどを行う。第一師団が魔獣討伐を主要な任務としており、第三師団は国境警備だ。
「最近起きたぜんまい狩りのことで少し話を聞きたいんだが……」
ヴァレンさんはそう言うとチラリと俺を見た。慌てて俺は立ち上がる。邪魔をしては悪いだろう。
「ファレルさん、ご馳走様でした。行くぞ、キルト」
「キース、ジェイスを送ってくれ」
「はい」
キースと呼ばれた騎士が、静かに頷いた。俺は見覚えのあるその青年の揺れるタークブロンドの髪と目を見て、慌てて首を振る。
「あ、一人で大丈夫なので」
「――ジェイス。自分の身分を考えるように。グレイグが知ったらまた心配するんじゃないか? いくら王都の治安がいいといえども、公爵家の人間が供の一人もつけず」
「……」
俺は曖昧に笑った。キルトがいるから大丈夫だという感覚が強かったが、返す言葉がない。
「とにかく、キースにきちんと送ってもらえ」
ヴァレンさんはそう述べると、ひょいひょいと手を振った。キースさんが会釈をしてから、改めて俺を見る。
「参りましょう」
「え、えっと……はぁ……はい」
こうなっては仕方が無いと考えて、俺は素直に送ってもらうことにした。
とはいえ外食予定であるから、大通りまで出たら、適当な理由をつけて別れようと考える。
こうして俺は、キルトとキースさんと共に、黒のアトリエを後にした。