途切れながらも続くのです
_人人人人人人_
> 登場人物 <
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莉子 背伸びしたい時期の中学生。奏音に感化されGitHubの連続更新を始める
奏音 大人びた中学生。莉子を連続更新に誘い、自身でも更新している。
この学校は夏服は可愛いけど、冬服はダサい。もっと早く気がつけばよかった。
莉子は教室の後方の席から、男子に混じって互い違いに並んで座る、女子中学生たちを見ていた。みんな冬服。紺色のつまらないブレザー。
なぜ服に目が行ったかというと、授業がつまらないからだった。30歳前後の英語教師は、それなりの熱意を持って、中学生たちを教えているように思う。どちらかといえば、生徒たちのほうが授業の熱を冷ましていた。そんなことをすれば退屈するのは自分たちだというのに、誰もが悪癖をやめられないのだ。
「ホワット・アー・ユー・ドゥーイング?」
先生に指名された生徒が、カタカナ英語で教科書を読んだ。莉子は知っているが、この生徒は本当は英語が好きなのだ。もっとうまく読めるはずなのに、教室の空気が、彼女の足を引っ張っていた。
「アイム・プレイング・テニス」
次の生徒も同じように読んだ。日本語を発音する時でも、あんなふうに「G」の音を出す人はいない。これもまた教室の空気だ。だいたいブレザーの色のせいだ。
莉子の番が回ってきた。彼女は空気を無視してやろうと思った。あんなカタカナ英語の、あんな「G」の発音で英語を話すのは、莉子のプライドが許さなかった。
……はずだった。
「オー、ソー・ユー・アー・プレイング・テニス」
*
莉子は席に座りなおすと、自分に何が足りなかったのか考え始めた。
何が「オー」だ。あんな感情のこもっていない「オー」があるか。私はなぜ、本来の実力を出すことができなかったのか。別にクラスメイトたちが怖いわけではない。「みんな日本人ナイズした発音で読もう」と協定を結んだわけでもない。それなのに、私は全員の中でもっともアホみたいな発音しかできなかった。
莉子が屈辱を味わっているところに、涼やかな風のように、別のクラスメイトの音読が響いた。それはちゃんと英語の発音をしていた。文言は相変わらず不自然だったが……。
"Let's play tennis, shall we?"
莉子は振り返った。教室の一番後ろの席には、先週転校してきた奏音が座っているはずだった。
果たしてそこには、奏音がいた。彼女は薄っすらとほほえみながら、背筋をピンと伸ばし、目線はまっすぐに前を向いていた。教師を見ているようで、見通していた。
これだ。莉子は直感した。私に足りないものは、きっとこの子が知っている。
*
「おはよう、莉子。芝生、緑になってたね」
莉子が初めて奏音の存在を認識した次の日、教室で目が合うと、奏音はそう言った。
「うん、やりかたがさっぱりでさ。12時ちょっと前にあわてて仕上げたよ」
莉子と奏音が話しているのは、システム開発をサポートするWebサイト、「GitHub」のプロフィール画面のことだった。
GitHubでは、過去1年分の活動を、並んだブロックで表現する。ブロックの色は、その日の活動によって緑に変化する。その並んだブロックを「芝生」と表現しているのだ。
昨日莉子は、GitHubに登録し、自分の「芝生」を作った。登録したてだから、当然、芝生は緑色ではない。そこに1日ぶんだけ、緑色のブロックができたのだ。
奏音のプロフィール画面は、まさに芝生だった。薄い緑の日もあったが、濃い緑が断然多い。それだけ多くの活動をGitHub上で行っているということだ。
昨日、奏音を問い詰めてみて本当に良かった。
莉子はまず、奏音の英語の発音を褒めた。そして、自分にはそれができなかったことを認めた。能力的には、莉子も奏音と遜色無い発音ができるはずだ(ちょっとは負けるかもしれない……)。しかし、莉子の発音は無惨なほどのカタカナ英語だった。
「あんたと私、何が違うんだと思う?」
奏音はしばらく考えると、タブレット端末を取り出して、GitHubを表示した。
そこにあったのが例の芝生だ。
「これは『芝生』とか『草』とか呼ばれているものでね、GitHubでの活動の量を示してるの。私はこれを全部緑に染めることを目指してるんだ」
莉子は「芝生」を見ながら奏音の話を聞いた。
「GitHubって、プログラミングのためのサイトだっけ。あんたはプログラミングもやってるの?」
「プログラミングもやってるけど、もっとゆるく使ってる。『何らかのドキュメント』を作ったら、GitHubに登録。登録した結果が、この芝生になるの。英語や古文なんかも登録してるよ」
「なるほど。じゃあ、私とあんたの違いは、練習量?」
莉子は訊ねた。
「練習量……、とも言えるけど、もうちょっと違った角度のような気がする。私は、『積み重ね』た。積み重ねたぶんだけ、私の中に残ったものがある。『自信』と言っても良いかもしれないし、『自己効力感』かもしれない。とにかく、この芝生が私を育ててくれた」
奏音は、自分の芝生を見つめながら、そう言った。
その日のうちに莉子は、奏音に聞きながらGitHubにサインインし、『英語の宿題.docx』というファイルを登録した。そして1ブロック分の『草』と、僅かな自信を手に入れたのだ。
*
「奏音」
莉子がPCに向かって名前を呼ぶと、奏音の声が応答した。
「なあに?」
二人はSkypeを使って、遠隔音声会話をしていた。ここ2週間ほどは、夜の時間はつなげっぱなしだ。
「今日もつなげてくれてよかったよ。学校、休んでたから、調子悪いのかと思った」
「ちょっと疲れてたから、ごめんね。莉子はどう?」
「それがさ」
莉子は話したかったことを話した。
「今日の英語で、また音読があってさ。私、今日はちゃんと発音できたよ。声は震えてたけどね」
「すごいじゃん」
奏音の声がはずんだ。
「芝生も、一月ぶん緑になった」
「ちょっと見てみるね」
奏音がPCを操作する音がした。莉子も同様に、自分のGitHubプロフィールを開く。
莉子の芝生は、1ヶ月ぶん約30個のブロックが、緑色になっていた。薄い緑もあったが、だんだん濃い緑が多くなっている。
「本当だ。莉子、頑張ってたもんね」
「でもまだ、プログラムに関係ない宿題とかの更新がほとんどだからね。奏音みたいに、プログラムで草を生やすのが本当のような気がする。それに、他人のプロジェクトの修正とかもやってみたいなあ」
莉子はしばらく夢を語り続けた。熱くなっていたので気が付かなかったが、だんだん奏音のリアクションが薄くなっている。そのことに、遅れて気がついた。
「ごめん! 調子悪かったんだよね。また明日、話そう」
「こっちこそ、ごめんね」
奏音は莉子に謝ってきた。
「話、後半、聞けてなかった。また、前兆が、来たみたい」
「前兆?」
莉子は奏音の言っていることが分からなかった。しかし、奏音の反応はだんだんのろくなっている。
「奏音、あんた、どこか悪いの?」
しばらく沈黙があった。
「病気。慣れてるけど、明日は休むかな……。話したかったし、更新もしたかったけど」
約半年も続いている奏音の更新が途絶える。それほどの事態なのか。
「私、なんかできることある?」
「ごめんね。もう切るね。おやすみ」
通話は切れた。
*
次の日の午前中、奏音からの返信が来た(莉子は考えに考え抜いたメッセージを、昨晩のうちに送っていた)。
奏音はてんかんを患っていたらしい。本人が言うには、さほど大きな病気ではないが、たまに発作が起きると療養が必要になる。昨日はその『たまの発作』の前兆があったらしい。
てんかんについて調べたり、返信の返信にどんなことを書くべきか考えたりしているうちに、どんどん時間が経った。家に帰り着き、夕食を食べ、シャワーを浴びても、まだ奏音のGitHubアカウントには動きがなかった。このままでは、毎日続いていた奏音の芝生が、途切れてしまう。
そして夜の12時が来た。これで確実に、『芝生』は途切れる。莉子はベッドに突っ伏した。
半年間続けていた更新が、『一年を目指す』と誇らしげに宣言していた更新が、これで途切れた。莉子は胸の奥に痛みを感じた。
そして気づいた。今日、莉子も更新どころではなかったため、自分の『芝生』の緑もまた、途切れてしまったのだった。
*
次の日、莉子は重い足取りで学校へ向かった。
意外なことに、奏音はすでに来ていた。莉子は奏音の席に向かって歩いた。
「……体、大丈夫?」
教室の中だったので、病気とか病名とかは出せなかった。
「うん、もう落ち着いた」
奏音は微笑んだ。
「こうなるって分かってたの?」
「まあ……、可能性は高かったかな。発作……、がさ、今までだいたい3ヶ月から半年に一度、起きていたんだ」
「草、途切れちゃったよ」
莉子は言った。言うべきではないかとも思いつつ。
ところが奏音は、あっさりと認めた。
「そうだね。昨日はちょっと無理だった。今日からまた頑張るよ」
「また、頑張れるの?」
莉子は驚いた。
「1年だよ? 半年に一回発作が起こるんでしょ?」
思わず大きい声が出た。周囲を見るが、誰も気にしていない。
「前の私は発作に動揺するだけだったけど、今は『前兆』が分かるようになった。この調子で行けば、発作を軽くしたり、未然に防ぐことだってできるかもしれない」
奏音はそう言った。相変わらずピンと張った背筋だ。
「私は……、そんなに強くなれない」
莉子は率直に言った。
「莉子は強いよ。最初に声をかけてくれたときからそうだった。莉子には、自分の弱さを認める強さがある」
それに、と奏音は言った。
「もう体が慣れちゃってるはず。気づいたら更新してるよ、たぶん」
*
考えさせてほしい、と言って奏音のもとを離れた。
莉子は考え続けた。てんかんは、治まりはすれど治る病気ではないらしい。いつか発作は起きるし、その時やはり、更新は途切れてしまうのではないだろうか。
わかった上でなお、また連続更新に挑むという気持ちが、莉子にはまだ理解できなかった。
理解したかった。
だから考え続けた。英語の授業中も、帰宅しながらも、家に帰ってからも考え続けた。
そして、考えが堂々巡りになってきたのに気づき、文字にすることにした。「奏音.txt」というファイルは2000文字を超えた。
莉子はファイルを保存し、何も考えずGitHubに登録した。そして、自分の芝生を見た。一連の動作が、もう癖になっていたのだ。
莉子は青くなり、それから赤くなった。途切れた莉子の芝生に、「奏音.txt」がまた緑の色を加えている。奏音はそれに気づくだろう。ファイルを見られたら、ものすごく恥ずかしいことを書いた気がする。
Skypeを鳴らした。
「見るな、見るなーっ」
莉子は奏音に叫んだ。
「今読んでる」
奏音は笑っていた。
「読まないで、恥ずかしいから」
「莉子、新しいファイルはとりあえず『プライベート』の設定にしたほうが良いよ」
思わぬ形で、莉子は再び『草』を生やし始めた。
一年間続くかどうかは分からない。今度は自分に何かアクシデントが起きる可能性もある。でも、莉子はやってみるだろう。友達がそばにいる限り。