四ッ谷6
9
まだ間に合う。道路までまだ半分ある。
優貴はエントランスの屋根の上を走るとそのまま地上に飛び降りた。引きずっていた莉愛を肩に抱え上げ、近所迷惑男が走り始める。
道路にSUVが走り込んで来る。先行したトンファー美女が取り付き、後部ドアを開ける。
「くっそっ」
優貴は全力で石畳を蹴った。全速力だ。だが、男が莉愛を後部シートに放り込んでしまう。壊れ物だぞ、乱暴に扱うんじゃねぇ。
優貴の忠告もむなしく、男とトンファー美女がSUVに乗り込んだ。間に合わない。
「行けっ」
優貴は速度を落とすことなく石畳を蹴った。SUVに飛びつく。ルーフキャリアを握った瞬間、SUVが急発進した。タイヤが軋る。
一瞬腕が抜けるかと思ったが、何とか耐えた。片足をリアウィングに引っ掛け躰を安定させる。
「莉愛っ」
優貴はサイドウィンドウから車内に叫んだ。後部座席に倒れていた莉愛が起き上がり、ドアに手をかけたが、それを近所迷惑男が押さえつけた。
助手席のトンファー美人が振り向き、驚愕の表情を浮かべる。そりゃそうだ、車外に人が張り付いていりゃビビるに決まってる。
車がさらに加速した。慣性力で腕がちぎれそうだ。
歯を喰いしばり、優貴は開いてる手を臀のポケットに手を伸ばした。ヴィクトリノックスを取り出し、ハンドル部の角を思いっ切りサイドウィンドウに叩きつけた。
一瞬でサイドウィンドウが粉砕した。車のサイドウィンドウは強化ガラスになっている。強化ガラスは鋭いもので強打されると粒状化するのだ。車が水没してドアが開かなくなった時に試してみるといい。まぁ、そんなことは滅多にないだろうが。
「田村さんっ」
「莉愛っ 来い」
押さえつけられながらも莉愛が手を伸ばした。優貴も手を伸ばす。
「ちっ」
銃声が響いた。頬を熱いものがかすめる。助手席のトンファー美女のシグ・ザウエルP226から紫煙が漂っている。
「くっ」
トンファー美女と目が合う。P226の銃口がまっすぐに優貴を見た。今度は当たる。
「だめっ」
莉愛がP226に掴み掛かった。勢いに押されたトンファー美女の体勢が崩れ、ドライヴァにぶつかった。
「うおっ」
優貴の躰が振り回された。加速中にステアリングが動けば当然だ。七〇〇馬力の車体のローリングに躰がついていかない。
SUVが急停車した。危険を感じたドライヴァがブレーキを踏みやがったのだ。
「くそっ」
ずるずると躰が前に持って行かれる。耐えられない。
優貴はボロ雑巾よろしくルーフの上を転がるとSUVの前方に飛ばされた。さぞかしルーフはきれいになったろう。
必死で受け身をとるが勢いを殺すことが出来ない。近代マシンの圧倒的な力で自分で自分の躰がコントロールできない。
優貴は三十メートルも転がるとやっと止まった。ボーリングなら三回はストライクが取れる勢いだ。
だが、休む暇はない。
モーター音が高まった。タイヤが軋る音がする。轢き殺すつもりだ。
優貴はグルグル回る視界に堪えて、膝立ちになった。ジーンズをまくり上げ、アンクルホルスターからグロッグ26を引っ張り出す。
「ちっ」
なんとかグロッグを構えた優貴は舌打ちした。SUVが全速で後退していたからだ。
「待ちやがれっ」
優貴は立とうとしたが立てない。世界が回る。昨日は呑んじゃいないのに。
「くそっ」
優貴は上品な生まれにそぐわない悪態をつくとその場に手をついた。アスファルトの地面がぐるぐる回っていた。