四ッ谷2
3
きゅっと莉愛の口唇が引き締まった。
「あたしにもよく判らないです。家に戻ったら突然襲われて。連れだされて」
「家から? 親は?」
優貴は当然の疑問を口にする。
「あたし、ひとりなのです」
「ひとり?」
「はい。中学の時、交通事故で両親とも死んじゃって、そのあと叔父が経済的な援助はしてくれたんですけど、一緒には住んでなくて。だからひとりです」
莉愛の口調に感情が混じらないので、優貴もそれに対応する。莉愛は慮り入らないのだ。
「なるほど、それならひとりだわな」
「ええ」
莉愛はまた嬉しそうな笑みを浮かべた。
「で、そのあとは?」
「あたし、はじめは怖くて大人しくしてたんですけど、このままじゃいけないと思って信号待ちで車が止まったところで逃げ出したんです」
「思い切りがいいもんだ」
「でも、結局つかまっちゃった」
がっくりと莉愛が頭を下げる。
「うまく行かないもんだぁ」
優貴は苦笑する。莉愛の言い方はまるで他人事だ。
「そこで、たまたまおれが居合わせたわけだ。きみ、ツイてるよ」
「ですよね。田村さんに逢えたわけだし」
「そういうこと」
優貴はにっと笑う。
「で、これからどうする?」
「どうしましょう? このまま部屋に帰るわけにもいかないし」
一瞬だけ、莉愛の顔に頼りなげな表情が浮かんだ。抑えていたものが僅かに零れてしまったのだ。
「帰りたいか?」
「うん、帰って元の暮らしに戻りたいとあたしは思っているのです」
溢れそうになるものを莉愛がまた一歩引いた表現で抑え込んだ。優貴を見てぎこちなく笑ってみせる。
「なら、決まりだな」
「決まり?」
いたずらっ子のような笑みが優貴の唇に浮かぶ。
「おれがきみを助けるって決まったのさ。帰してやるよ」
「でも……」
「あれ、結構贅沢だな、おれみたいな優秀なボディガード、鉦や太鼓で探してもなかなか見つからないぞ」
「ううん、そうじゃないよ。そうじゃなくて、これ以上迷惑かけるのは」
「気にすんな。言ったろ? おれは自分がやりたいことやってるだけだって」
莉愛が一瞬と胸を突かれた顔をし、優貴の眸をじっと見た。
にっと優貴は笑みを返す。
莉愛は困ったような嬉しいような笑みを浮かべてこっくりと頷いた。
「これで今後どうするは任せてもらうと決まったわけだが」
優貴はマグカップを持って立ち上がった。
「莉愛、腹減ってねえか?」
「え?」
さっそく色々訊かれると思っていた莉愛は目を瞬かせる。
「腹さ」
莉愛は急に空腹を感じた。お腹に手を当ててしまう。
「減ってるみたいだな。じゃ、飯食いに行こうぜ。行きつけのカフェ? いや、ありゃ喫茶店だな、そんなのがあるからさ」
「でも……」
「金の心配ならするな、莉愛のおごりだ」
「ええ~、あたしゼロです。出世払いでお願いします」
莉愛がようやく明るい声になった。立ち上がる。
「あっと、その前に」
優貴は振り向くとさっと莉愛の頬に手を伸ばし冷えピタを剥ぎ取った。莉愛が一瞬片目を閉じる。
「大丈夫みたいだな。腫れもないし、傷も」
優貴は頭一つ低い莉愛に顔を近づけて確認する。莉愛の瞳の瞳孔が開く。
「ない」
「ありがとうございます」
莉愛が腰から頭を下げた。
「いいさ、気にするな」
冷えピタを丸めてゴミ箱に捨てる優貴の背中に莉愛が続けた。
「やりことやってるから、ですね?」
「そういうことさ」
優貴は振り返るとまたにっと莉愛に笑いかけた。