【5】作られた誤答
「過酷民の大好きなマンガやアニメは性的な興奮と理不尽なチートだけの薄っぺらい内容だ。過酷民はバカにされて当然だ」
「自分のことを棚に上げないで」
「日南こそ鏡見ろ」
太子の言葉がギャラリーの嘲笑と符合する。
――アニメや漫画ってあざといだけで中身が何もないよね。
――性的欲求が満たせれば何でもいいんだよ。
――モテない好かれない過酷民の気持ちなんて上級国民には解らないだろうな。
――底辺で結構。上級国民は私たちの世界に踏み込まないで。
そんな自虐を覆すために日南は必死でスマホを操作する。
「なぜ検索結果に出ないの。過酷民は自ら底辺になるなんて望んでいない。上級国民に勝ちたい。偉くなりたいって願ってるはずなのに」
本当の言葉がどこにも見つからない。
「さあ日南」
太子に焦らされ進退窮まった彼女の前に開拓が立っていた。ステージの中央まで走った彼は日南の手からハンドマイクを解いた。
「太子だってこの地獄から脱出するのを本当は望んでいるんだ」
「下劣な娯楽に時間を浪費して。勉強も仕事も出来ないままで。その結果が俺たちの待遇だ」
これが大多数の一番強い答えだ。
そう息巻く太子を前に開拓は迷うことなくSNSの源流に飛び込んだ。
――――――――
そこはアニメの制作会社だった。歳の変わらない女子が同僚と机を並べ手書きでアニメの原画を仕上げていた。
――今回もエロいカットばかり。過酷民が泣いて喜ぶわ。親は稼げない仕事だって猛反対したけど、スタジオに寝泊りすれば家賃も要らないしなんとか暮らせる。
『それで毎日楽しいの』
尋ねられ振り返る女子。椅子から立ち上がると同僚が時間を止めたように固まり、目の前の男子である開拓と二人だけの空間が始まった。
――仲間とアニメの話をして、エロい絵を描いて生きていけるなんて夢の生活だよ。
『それにしては顔が青いよ。不健康な痩せ方だし、いまにも死にそうだよ』
本当に幸せなの。開拓がそう聞くと静寂が訪れた。
――本当は限界だよ。もやしだけの食事。流し台でのお風呂。ノルマはどんどん厳しくなって一日2時間しか寝られなくて。1年間休みなし。製作費が増えないから、どれだけ描いても単価が削られ収入は増えなかった。
『これだけすごい絵が描けるのに貧しいなんておかしいよ』
――どれだけ評価されても変わらない。貧困は自業自得だと上級国民からバカにされるだけ。まともに生きていけない。この努力は無駄な努力なの。
『努力は絶対報われるよ』
――まさか。
『過酷民は報われて当然なのに。認められるべきなのに』
――それは夢よ。
『そんなことない。キミが本心で立ち向かえば、理解してくれる仲間と現実を変えられるよ』
キミが変わるんじゃない。現実を変えるんだ。
そう言った開拓の向こうに彼女にははっきり見えていた。
――私はそのままでいいんだ。わたしの実力を認めさせるために戦うよ。
女子はアニメスタジオを飛び出した。
――――――――
そんな女子の姿を開拓はこの場に持って帰って切り取った。
上級国民の偏見を変えるために過酷民は戦うべきだと。しかし太子の言葉の続きは意外だった。
「俺は今のアニメが好きだ」
それはほかの過酷民の生徒も同じだった。
「アニメーターが薄給のままだから作画のいいアニメがたくさん楽しめるんだ」
「アニメの制作費が高騰したら業界そのものがなくなってしまうよ」
「頭の悪い過酷民が報酬なんか求めちゃダメなんだ」
またしても自虐がステージに飛び交う。矛先がやがて開拓に向いた。
「これって講義じゃなくて、岡崎くんが過酷民をバカにしたいだけだよね」
「底辺の娯楽に上級国民の理論を持ち込ませるな」
反論と諦めの声とギャラリーの笑いが増えてゆく。
「あれが過酷民だ。努力を放棄した連中だ」
「まさにゴミだね」
外部のエリートの声に開拓の怒りが湧き上がる。
「日南さん見せてあげて。ボクの考えが正しいことを」
開拓の言葉に自信を持ち日南が念じると曇天を背景に膨大な量の水が地面から噴出した。同じように水で対抗する太子。勝負は明らかだった。
――アニメーターの女子は経営者やスポンサーからまるで相手にされず業界を追放された。ファンからも裏切られ人生に絶望しナイフを手に無差別大量殺人を起こした。
驚く開拓は洪水に溺れた。
「日南さん」
どうにか駆け寄る開拓だが、ずぶ濡れの彼女は恨みの目を向けてきた。
「やっぱり現実には勝てないよ」
「現実はそこにはないんだ」
日南の体を抱える開拓に罵声が飛んだ。
「過酷民はやっぱり犯罪者だ」
「努力なしで勝てるなんて夢ね」
「過酷民をこれ以上晒さないで」
周りの声が聞こえないのか。岡崎。日南。
太子が言い放つと過酷民がステージから去ってゆく。開拓が日南を置き慌てて生徒の手を掴んだ。
「ボクたちが踏ん張らないと上級国民の言いなりだよ」
「今が楽しければ将来なんてどうでもいいよ」
しかし振り解かれ開拓は地面に倒れた。
「自業自得だ」
そう呟き太子は最後に去って行った。
鉛色の空が雨を落としたのではなかった。
「あれ? なんであたし」
日南が言い知れぬ劣等感をこぼしていた。
「日南さん泣いてるよ」
「雨が降ったの」
ステージに腰を落として強がる日南に、開拓はそっと手を置いた。
「日南さん頑張ったから」
「雨だってば」
強気と裏腹に涙の粒はどんどん大きくなる。開拓がマイクをそっと拾った。誰もいなくなったステージで彼は野次馬のエリートに向け拡声した。
「皆さんはこの講義を聞いてどう思ったでしょうか」
開拓は冷たい空気に惑わされなかった。
「過酷民は確かに自虐的で自暴自棄だとは思います」
「だよな」
「でも過酷民は努力を続けてきたんです。生き延びるために。過酷な現実を強いられた人生は絶対に報われます。上級国民の作った傲慢なルールと戦い必ず勝ちます。ボクは諦めません」
開拓はスイッチを切って地面に置いた。日南はよろけ歩み寄った。ついに空が泣き出した。
――――――――
高層きっさで開拓は日南の頭を拭いていた。彼女は俯いたままだ。
「あたしって情けないよね。格差を解消したいのに。誰も納得させられない」
「納得させることが出来れば、太子もみんなも解ってくれるよ。変われるよ」
どうやって戦うかだよ。
諦め切れない日南のスマホが鳴った。仲間だと思っていた過酷民の仲間だった。
「日南さん早く来て! 大変なことになってるの」
悲痛な叫びに彼女の呼吸がまた荒くなった。