【4】もうゴミと呼ばれたくない
居酒屋のある雑居ビルの四階で開拓は一人、ノートパソコンのキーボードを叩く。机とパソコンと床に敷かれた布団だけの部屋。台所には食器一つ見えないここが開拓の居所だ。
キーボードのクリック音を一心不乱に部屋に響かせる。画面に文章が列を成し、それが定量溜まったとき彼はようやくキーから指を離した。自作の小説をアップロードするのは投稿サイトだ。一般の小説ファンに混じって、アニメやマンガが大好きな過酷民も自慢の自作小説を投稿している。
それから数時間。開拓は何回もブラウザをリロードする。小一時間でリアルタイムアクセス数は数万になった。覗き込むと小説の感想欄は二分していた。
――この社会は理不尽だらけ。努力は報われない。だから主人公が努力なしで勝利を続ける姿は過酷民の夢と希望を叶える存在だ。
――過酷民は弱い。横暴な権力で人を傷つける上級国民と戦う術がない。しかしだから金と欲に塗れた連中と違って心が純粋なんだ。誰も傷つけず夢の中で生きる過酷民。その理想を描いたチート小説は彼らと同じで純粋なんだ。
それは過酷民の言葉だった。だが他の階層は違っていた。
――底辺の妄想垂れ流しは気分が悪い。これだから過酷民は。
――チートなんて不気味なものを書かないでください。過酷民は誰からも蔑まれる底辺なのです。当たり前です。自己責任で貧困に陥り安易な犯罪に走り、生活保護で遊び歩く連中です。
そんな一般市民の声の方が遥かに大きかった。
――過酷民は異常者ばかり。俺も過酷民だから解るぜ。
――授業は怠いから学校は中退。単純労働さえ続かないわたしはニートで過酷民。
――昨日まで刑務所にいた。現実と夢の区別がつかなくて捕まった。自分で言うのも何だが過酷民は秩序の破壊者だ。
過酷民自身が過酷民を否定する姿を何度見ただろう。
開拓の小説はネットで炎上のタネになり出版やアニメやドラマや映画などの商業化からはひたすら遠ざけられていた。
「ボクの小説が認められるには、全ての彼らを変えるしかないんだ」
不安は脳裏に深くて暗い霧を作った。床に直接敷かれた布団に潜り込み、リモコンで天井の照明を消すと周囲が霧と同化した。
――――――――
空は黒い雲に覆われていた。どの街灯にもどの電柱にもあるネットワークカメラが街から死角をなくしている。親水公園は川べりにずっと続き、やがて定員百人ほどのすり鉢状のステージに辿り着いた。過酷民の女子男子がステージに集まり、日南や開拓を怪訝に見詰めている。
尻込みする日南の背中を開拓が押す。彼女は足を突っ張って抵抗したが、ステージの中央、すり鉢の底に押し出された。彼女は落ち着きなく席の埋まった全周を見渡す。
「なんでわざわざ外で」
「講義以外で教室は使わせてくれないからだよ」
そう言う開拓がただの観客だったことに彼女は絶望した。一方太子は他の生徒と同じように円形の客席で生徒に徹していた。
「太子もこっちに」
日南が呼ぶが彼は彼女と開拓が通じ合う様子にそっぽを向いた。
「あいつら過酷民だぞ」
「外で講義やるんだ」
「底辺趣味だけは外で披露しないでくれよな」
周囲ではエリートが悪意で冷やかしていた。勇気を出して日南はマイクのスイッチを入れた。
「この講義は過酷民の素晴らしさを広めることがテーマよ。過酷民は心優しく慈悲深いのに虐げられている。そのルサンチマンは傲慢な上級国民を打倒する実力を持っているの。なのに過酷民は自らその可能性を否定している。
みんなには過酷民の悪い部分をあえて挙げてもらいあたしが論破する。それでみんなが過酷民の良さに気付く。ネガティブな考えを捨てるために掛かって来て」
日南はステージの座席から叫んだ。しかし誰も立ち上がろうとはしない。
「どうしてなの」
唖然とする日南に太子から声が届いた。
「誰もそんなことしたくないからだ」
言葉通り誰もが首を横に振るばかりだ。
「みんなはエリートと戦うためにここに来たんじゃないの」
――過酷民がいい生活が出来る方法があるって聞いたから来ただけなのに。
――そんな無謀なこと実現するわけないだろ。
――エリートに勝てるわけない。
「出来ないものは出来ない。日南」
太子がようやく腰を上げた。
「怖いに決まってる。失敗したらどうしよう。今の生活を捨てたくない。日南には解らないかも知れないが」
「あたしはやれば必ず出来るって言いたいだけで」
「それが傲慢なんだ」
太子がそんな日南に怒りを顕にした。
「全員が過酷民を脱出したいわけじゃない。俺だってぬるま湯のままでいいと思ってる。ゆでガエルになっても仕方ないと思ってる。それを無理やり戦わせようとする日南は何も解っていない」
「太子はどうして」
意外な太子に日南は悲痛な叫びを上げた。だが答えは冷たいものだった。
「日南こそ。得体の知れない考えに毒されて」
「もしかして嫉妬」
「うるさい! 解らせたければ俺と戦え」
太子は日南の意識の先を知っていたから叫んだ。
「覚悟して」
「望むところだ」
お互いを圧倒しようと二人はスマホを取り出した。