【3】否定自虐
「で、この講義が不満ならどうするんだ」
講師がそんな日南を迎え撃つように仁王立ちした。
「親の金とコネで成り上がったエリートなんて」
「強がるのも今のうちだ」
日南の問いかけに講師はほくそ笑んだ。
「お前らなんか三秒で叩き潰す」
「日南、目が邪悪だ」
太子が指摘するが日南はお構いなしだ。昨日の成功体験が背中を押す。教室のネットワークカメラがこの様子を余さず世界中に配信する。
「これを見て」
日南が講師にスマホで転送した画像では履歴書のコピーが束になっていた。
「この500枚の履歴書は就職に失敗した過酷民一人のもの。過酷民だというだけで認めてくれない。正規職の就職は許されない」
周りの生徒が厳しい現実に落胆している。世界中の過酷民がこの配信に涙している。世界中の過酷民がエリートと戦ってくれる。
だがそう思っているのは日南だけだった。
――過酷民の僕は生活保護の受給のために電車に乗った。
――ギャンブルで保護費を使い果たして電気も水道も止められた。洗っていない服と体だが、賞味期限切れの格安缶チューハイを飲むと気分が良くなった。誰もが嫌な顔をしたが逃げ場はなかった。
――ロング缶三本目で周囲の悪意が目に耳に飛び込んできた。採用されないのはお前らのせいだ。ギャンブルは心を病んだ俺の最後の逃げ場だ。それを自己責任だと否定する連中に絡んだ。ナイフで脅すと誰もが犯罪者だと叫んだ。
――駅で警官が何人も乗り込みすぐに捕まった。裁判では弁護士でさえ罪を認めて減刑されようと言いやがった。同じ過酷民でさえ俺を社会のゴミクズだと罵った。
――最近刑期を終えてこうやってネットに書き込んでいる。
――本当は知っていた。自業自得だ。努力をしない者は迫害されて当然だ。
怒りよりも情けなさでトーンを落とす日南は投げやりに腕を振り下ろした。
「俺も手伝う」
太子がそう言うより早く水柱が上がった。しかし机や椅子や生徒を弾き飛ばすことなく、まるで水芸のような噴水で講師の前で消えてしまった。
「過酷民は掃き溜め。犯罪者の集団だ」
スマホを構えた講師の前で教室の天井を暗雲が覆い稲妻が落ちる。複数の光の束はまっすぐ日南に降り注いだ。誰もが諦める過酷民バッシングに太子も対抗できなかった。
教室の引き戸が駆け込む勢いで開けられた。
「岡崎開拓ただいま復活! 日南さん! 太子! いっしょに講義受けよう」
元気を取り戻した開拓の前には水浸しの教室と、勝ち誇る講師と諦め顔の太子と生徒。仰向けに倒れた日南だった。
――――――――
障害者用信号機が青の合図で歌い出す。早い日没の駅前ロータリーと取り囲む商業ビル群。バスとタクシーも乗客を降ろし飲み込んでゆく。
ロータリーの隅に、一段高い生け垣の後ろにベンチが備えられている。前はバス乗り場、すぐ背は道路なのにまるで街中の死角だった。
ベンチは日南が真ん中で両脇に太子と開拓がいた。バス停の庇にはやはり半球が明滅していた。開拓が聞くと太子が頷いた。
「どの道にもどの家にもあるネットワークカメラだ」
「あれってボクらを見てるの? おはようからおやすみまで見られてるの」
不安げな開拓に太子は小さく笑った。
「この街の大学生は生活全てを世界中にネット配信されている。その報酬として俺たちは衣食住全てと将来のそれなりの仕事を約束されている」
開拓はもう一つ聞いた。
「あの力ってどんな原理なの」
「視聴者を増やすための手段らしい。原理は誰も知らない。この街の中だけで、俺たち学生や選ばれた大人だけが使えるんだ。使える基準は誰にも解らないがな」
そこまで言ったとき、二人に挟まれた日南がどんより落ち込んでいた。
「これでも飲んで嫌なことは全部忘れろ」
太子が差し出したのはコンビニで買ったみかん味の缶チューハイだった。
「昨日は圧勝したのに」
「おつまみもあるよ」
開拓もいちご味のチューハイを飲みアタリメを頬張っていた。
「日南さんが過酷民を変えたいって気持ち。外の人もきっと解ってくれるよ」
「開拓くん。出任せじゃないよね」
嬉しくてチューハイを一気飲みした日南。そして太子の言葉を否定した。
「無償で大学に行けても過酷民は補助金も最低限。就職だって底辺職ばかり。こんな差別が無限に続くなんて耐えられない」
「そんなの解ってる」
コートの下は重ね着しても冷気は忍び込んでくる。日南の座る場所だけ街灯が届かず闇が覆っている。陰鬱な彼女だが突然立ち上り開拓の手を取った。
「あたしは過酷民の社会的地位を変えたいの」
「そうだね。日南さん」
日南は開拓の両手を振り回した。
「太子もいっしょに戦おう」
今度は開拓が伸ばした手だが、なぜか太子は返さなかった。
「どうしたの太子」
開拓が覗き込むと太子は顔を逸らした。日南は彼を無視し開拓に夢中だった。
――――――――
自分の安アパートに帰った太子はスマホでSNSに夢中だった。相手は外の世界の陽キャの男子だった。
――合コンでキモいやつに会ってな。
――どんな奴?
――不潔でアニメの話ばっかりしてくるオタク女。もう吐き気がする。
――災難だったな。
――そのくせ俺たちにマウント取りやがる。
――私は男と付き合ったことのない処女だから好かれて当然だとか。お前らのようなヤリチンは私に跪けとか。
――お前は過酷民のオタクだからその歳まで彼氏いないんだぞ。
――キモい過酷民は社会の害悪だ。早く抹殺しないと。
――SNS交換を断ったら遊び人だ性病持ちだって罵倒されて殴られそうになった。過酷民とは二度と会いたくない。
過酷民をバカにするSNSを眺めながら、太子はなろう小説を読み漁っていた。過酷民には負のイメージが多すぎる。今更何をしてもこの境遇は変えられないと思っていた。