【1】このままでは認められない
空が端から黒く染まってゆく。駅前のロータリーは帰宅の学生や会社員で賑わっていた。飲食店のビルの灯りが広大なロータリーを取り囲む。歩道だけのアーケードは賑わっていた。
アーケードの階段を昇ると店があった。廃業したカフェは内側からレースのカーテンで覆われ中を伺うことは出来ない。入口ではガラスケースの食品サンプルが色あせていた。日南がカギを開けスイッチに手を伸ばすと暖色の照明に店の全貌が浮かび上がった。歴史を刻むソファやテーブル。カウンターの向こうで酒瓶が白熱電球で輝き開拓が目を奪われた。
「おばさんのカフェだったの。『高層きっさ』って名前」
「二階なのに高層なの」
「おばさんは隠居したから」
三人は靴を下駄箱でスリッパと交換した。太子は慣れたふうに、開拓は日南の横でカウンターに座る。コートやマフラーがハンガーに掛けられた。カーテンを透かすと一階ではシャッターが降ろされてゆく。
開拓が驚いたのは壁一面に並べられた漫画本だった。
「まるで本屋さんみたい」
「すごいでしょ」
そう自慢する日南が新鮮で慣れているはずの太子も喜んだ。
「ボクも小説を書いてるよ」
その言葉に二人が反応した。
「本当か岡崎」
「読ませて岡崎くん」
二人に頷く開拓のお腹が鳴った。太子が音を合わせ日南も顔を赤らめ笑った。
「ご飯作るから待ってて」
「ボクも手伝うよ」
「俺も」
「食器の用意して」
「おお冷蔵庫には高級和牛が」
「太子それはダメ。明日のなんだから」
「ボクは魚がいいな」
カセットコンロと土鍋と材料の乗った大皿がカフェの隅に運ばれる。閉業後に作られた、クッションタイルから一段上がったフローリングだった。コタツに開拓たちが足を入れ寛いだ。土鍋に牛肉やガニや豆腐やネギが投入される。どれも外国産かまたは消費期限切れ間近の半額商品だったが、彼らはむしろ嬉しそうだった。
太子がすっかり黒く変色した肉のアミノ酸に一瞬で爽やかな顔になる。
「日南さん。ブリの切り身。まあ。おいしいよ」
開拓は血合の残った崩れる切り身に一瞬だけ嫌な顔をした。
「どんどん食べてね」
三人で熱々の鍋を突っつく。
「日南って飲むのか」
「おばさんが置いていっただけ」
「別に悪いとか言ってない」
外国産の第三のビールを、質ではなくモラルで否定する日南を太子は肯定した。
「ボクもちょっと欲しい」
「岡崎って飲むのか」
それでもどうにか肯定する開拓に太子が意外がった。
「あたしも飲む」
触発され日南も冷えた缶を取りアルコールを口に含んでみる。
「やっぱり苦い」
「日南ってお子様だよな」
太子が興味深そうに日南に顔を寄せた。しかし日南はなぜか不機嫌になりビールを一気に飲み干した。
「おい大丈夫か」
「このくらい何とも」
無理する日南の瞳はずっと平然と飲む開拓の方を向いていた。太子は視界の外だった。ビールのせいもあるのか日南の荒い呼吸が聞こえた。
「岡崎。お前もここの大学生か」
「それが。どうしてここにいるのか解らないんだ」
尋ね返す開拓に二人は呆然とした。
「それってまさか記憶喪失とか」
「気にするな。そのうち元に戻るさ」
お気楽な太子に開拓はむしろ安堵した。
「過酷民は劣った存在じゃないって岡崎くんが教えてくれた。だから岡崎くんは仲間」
日南は言い切って開拓の手を握った。太子があっと声を上げた。
「だから困ったことがあったら助けるよ。岡崎くん」
――――――――
「日南さん。結局一本飲んだね」
「すごくいい気分ー。うへっ」
陽気な日南を同じように顔を赤くした開拓と太子が指摘する。そこで日南が思い出したように開拓に体を寄せてきた。
「岡崎くん」
「近いんだけど日南さん」
「小説見せて。岡崎くんの面白い小説を」
「俺も見る」
開拓が二人のスマホに小説投稿サイトのURLを転送した。さっそく貪るように文字を追う二人。どのくらい過ぎただろう。
「どうかな」
すっかり酔いが覚めスマホから頭を起こす真顔の二人がいた。
「これってどこで売ってるんだ」
「人気がありすぎて売り切れとか」
興奮する二人に矢継ぎ早に期待される。だが二人に開拓は渋い顔をした。
「投稿サイトだけだよ。出版はあり得ないって言われた」
勉強もスポーツも出来ない。何の特技も持たない主人公が突然覚醒する。理由も原理もなく、無条件で賢く強くなり今までバカにしてきた連中を片っ端から倒してゆく。誰からも褒め讃えられ女子にも無条件で好かれ、やがては世界中の称賛を浴びる。
「ご都合的過ぎる。こんな安易な展開はあり得ないって」
だがその事実が信じられないと二人は口にした。
「主人公が努力なしで無敵になって世界を支配する。どのページを捲っても成功ばかりだ。チートものの小説はたくさん読んだけど、過程を全部すっ飛ばすのが最高に爽快よ」
「圧倒的な強さで無限に成功を続ける主人公が最高にカッコいい。まさに俺たち過酷民の希望が具現化されている。日南も俺も好きなマンガやアニメは全てチートが主人公だ」
二人は早口で熱弁を奮った。そして意識の矛先が小説から外の世界に移った。
「それなのにあいつら上級国民は口を開けば努力努力」
「努力してもいい大学に入学出来ないるとは限らない。いい大学を卒業しても就職出来るとは限らない。就職してもリストラされてホームレスになることもある」
「上級国民は成功をエサに努力を強要して、安い労働力を手に入れたいだけなのよ」
開拓が頷くと二人は上級国民憎しと叫んだ。
「夢の世界を具現化したアニメやマンガや小説は負け組の象徴でしかないんだ」
イメージが著しく悪いから出版されないんだ。
ここにも天井に半球形のカメラがありランプが動作を教えていた。ネットを通じて見るのは世界中の人々だった。
――怠惰で自己中心的な過酷民をわが社に入れるな。面接と個人調査を徹底させろ。
商談の前に秘書のスマホを眺めるのは大企業の経営者だ。
――あいつらが底辺のままだから無能な俺でも定職に就くことが出来る。
その会社で使われる一般社員が休憩時間にスマホを手にする。
――上級国民のせいで夢を見ることも許されないのか。
自分のことを棚に上げるのは過酷民だった。しかし過酷民は一枚岩ではなかった。
――過酷民は目立っちゃだめ。叩かれるだけだから。
――勉強が嫌いなのが過酷民だ。
――金儲けのためなら犯罪も当然だ。
――過酷民だからしょうがないよな。