【4】だが勝利する
網の目のようなネット回線と無数のサーバーを光の速さで辿り、開拓の意識が到着したのは倒壊寸前のあばら家の子供部屋だった。
自虐的な過酷民は引きこもりだった。怠けてばかりでどうにか入学したのはFラン大学。卒業後はブラック企業しか就職先がなく心身折れて働くのを止めた。親の僅かな年金でネットゲームに課金を続け無為な日々を過ごしていた。
カーテンを閉め切った子供部屋でゲームの傍ら、日南や太子を中継するPCのモニタから過酷民が首を向け椅子ごと振り返る。
そこに開拓は居た。心だけのはずなのに引きこもりにとってはまるで実体だった。
『親が死んだらこの家もなくなってホームレスだよ』
――現実を知りたくないから引きこもっているんだ。
『早く仕事を探さないと。年を取ったら単純労働でさえ雇って貰えないよ』
――今更きつい仕事なんてしたくない。上級国民がデスクワークで過酷民の何十倍も稼いでいるのを知ったら二度と働きたくなくなった。
『上級国民が憎くないの? 上級国民を倒したくないの』
――出来るわけないだろ。
『出来るよ。過酷民は今まで我慢してきたんだ。必死に生きてきたんだ。もう報われよう。現実を変えよう』
――それは夢だ。
『本音は違うよね。自分が報われる社会を作りたいんだよね』
男は答えず椅子で俯くだけだった。だが向き合った開拓は諦めなかった。
『変えられるよ。インフルエンサーがそこに居るから』
モニタに映る過酷民の大学生に、まさかと男は言った。
『きみの人生も変えられる』
――こいつら過酷民が勝てるわけがない。同じ過酷民だから嫌ほど解るんだ。
『だったらこの声を聞いて』
――上級国民は何世代にも渡って資産を蓄積し、政治も経済も動かしている。非正規ばかり増やして、過酷民が本来受け取るはずの収入を奪い取っている。上級国民は泥棒だ。その子供のエリートだって同罪だ。
――バイトテロでSNSで炎上してしまった。大学は退学になるし就職も取り消された。本名も顔写真も住所も知られネットで現実で叩かれ続けている。でも犯罪紛いの行為をしなければ広告収入で一発逆転は出来ないんだ。
――過酷民の凶悪犯罪は身勝手とは違う。この不条理な社会を変えるため。過酷民の境遇を放置した社会への警告なんだ。
――アニメもマンガもスマホゲームも、その内容は成り上がりやチートものばかり。それが過酷民の本来の姿だからだ。過酷民は偉くなって当然。今まで虐げられた分を何倍にもして上級国民に返す。因果応報なのはお前らだ。
新しい書き込みがSNSを完全に上書きしてゆく。
――これだけたくさんの人が過酷民を応援しているなんて。
『そうだよ』
――こんな僕でも変われるのかな。
『もちろん』
湧き上がる恨みや憎しみ。それが他の過酷民と同調してゆく。巨大な負の力が差別を集中攻撃で潰してゆく。引きこもりの過酷民にとってゲーム以上の達成感だと胸のすくような思いだった。
――変えてみせる。絶対変える。
開拓は微笑んだ。
『過酷民の力を一つに』
そして開拓の意思が街に戻った。
納得した太子と日南がもう一度が腕を振り下ろした。途端、膨大な量の水が地面から吹き出す。逃げ惑う市民の中で水流が轟音とともに晶子たちを真下から突き上げた。二人の想像の遥か上のダメージが周囲を完全になぎ倒した。
――――――――
市民もエリートも倒れる光景に太子と日南は足が震え立ちすくむ。そんな二人に開拓は言った。
「勝ったんだよ」
二人はようやく正気を取り戻した。
「やったよ太子! エリートに、川島晶子に勝った」
日南は嬉しくて太子の手を取った。太子は顔を赤らめ彼女を振り回してみせた。
一方ずぶ濡れのエリートは、それでも傷ついた市民を救助していた。救急車を見送ると晶子は息を切らせようやく声を上げた。
「どうして過酷民なんかに」
「本当の声がエリートよりも大きかったからだよ」
「信じられないから」
「信じないからエリートは負けたんだ」
言い放った開拓を晶子たちエリートが睨み付けた。一歩も退かない開拓に晶子がもう一歩顔を寄せた。吐息が撫でる距離でも彼女は離れようとしなかった。物理的に殴られないかと開拓は冷や汗を掻いた。
「過酷民が偉そうに」
そう怒鳴り散らすのは当然だった。だが続けようとする彼女の語尾が掠れたのだ。
『過酷民が勝つなんてあり得ないから』
『貧困者ほど声が大きいのが常だから』
『絶対叩き潰すから』
しかしどの言葉も口に出せない。首を掴まれ声帯を潰されたかのように彼女は感情を選べなくなっていた。ようやく出せたのは諦めたような軽い口調だけだった。
「しょうがないから」
バツが悪そうな彼女が下がると開拓は安堵の息をついた。
「新村 日南さん。白浜 太子くん。たまたま主張が通ったからって喜ばない方がいいから。エリートの権力は絶対だから」
水たまりの通りをエリートが去ってゆく。晶子だけは突然足を戻すとまた開拓に顔をギリギリまで寄せた。いや、誰かにそう操られたのだ。
「岡崎開拓くん。その名前、覚えておくから」
本当に美少女だった。開拓は残り香の本当の理由を知らなかった。
「岡崎。過酷民の声があんなに大きいなんて思わなかった」
「岡崎くん。過酷民の不満があの力をくれたんだね」
「外は味方でいっぱいだよ」
好奇心いっぱいの日南が開拓にかぶりついた。
「おい日南」
「エリートのあの子と同じことしてるだけだよ」
日南には太子と開拓の困惑などまるで届いていなかった。
「どうしてボクばっかり」
「だって岡崎くんカッコいいからね」
すると日南はなぜか開拓と手を繋いだ。
「おい日南。何やってる」
裏切りのような行動に太子は怒りを露わにした。しかしその太子が動きを止めた。なぜか指一本、声一つ発することが出来ない。太子の視界には自分と入れ替わったような開拓の姿があった。
「あたしの家に行こうよ。岡崎くん」
手を引く日南には太子の存在はまるで眼中になかった。ようやく足が動き太子は二人を追いかけるしか出来なかった。
……引きこもりの過酷民が久しぶりにカーテンを開いた。眩く青い現実。そこに行けば仲間が居ると信じ彼は慣れない靴を履いた。