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開拓のユートピア  作者: すが ともひろ
5 キミのためにボクは戦い続ける
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【2】描かれたはずの理想

 夜の住宅地を自転車で秋の風を押し退ける彼はアパートに着いた。空腹で眠ったクリスピーは家に置いてきた。自転車を塀に立て掛け二階を見上げる。部屋の明かりはついていて、チャイムを鳴らすとしばらくして日南が出て来た。


「話があるんだ」


 しばらく来ないうちにまた部屋は荒れ放題になっていた。日南は全く気にする様子もなく机に水彩用紙を広げていた。


「はかどってるの」

「うん」


 描くのに夢中で彼女はそっけない。


「また掃除しないとね。やるのはボクだから心配しなくていいよ」


 何も答えない。

 日南が絵しか目に入らないように開拓にも彼女しか映らなかった。無為な時間は必要ないから切り出した。


「学校で大変なことがあったんだ」


 太子がケガをした。予想通り彼女の顔が途端青ざめた。


「どうして」

「殴られて蹴られて……止められなかった」


 彼女はパニック状態だった。気ばかり焦って何度もその名を呼び、ドアに足をぶつけなが靴も履かず外に出ようとした。


「行っちゃだめだ」

「離して! 離してよ」


 叫ぶ彼女の肩を彼は掴み部屋に押し戻した。まだ日南は暴れていた。


「太子が言ったんだ。誰にも知られたくないって」

「どうしてなの」

「殴ったのは太子の親だからだよ」


 日南を座らせ震える両肩をしっかり抑え付ける。


「そんな酷い親がいるなんて」

「ボクだって辛いよ」


 キミなら受け入れてくれる。確信してだから彼は抱きついた。腕の中に彼女の体を押し込んだ。

 振り解こうとした日南だが構わず開拓はキスをした。肩から胸に掛け手を回した。


「好きだ新村さん。きみが好きだ」


 手を滑り込ませた。暴れる彼女に体重を掛けた。彼女は顔を真っ赤にして小さな体をよじった。また強引にキスをした。


 でもそこまでだった。突然開拓は彼女から上体を退けた。日南は荒い息で震えていた。シャツのボタンが外れ胸が露になっている。


「こんなことするつもりはなかったんだ。新村さんにボクの辛さを解って欲しくて」


 明日は太子の親の家に行くから。そう話すと彼女の震えが止まった。


「太子は友達だから。でもどんな目に逢うかと思うと恐くて恐くて」


 彼女は俯き何も答えなかった。


「もう帰るよ」


 開拓は去り際にもう一度謝った。


「今日はごめんね。新村さんおやすみ」



 ――友を助けたい。

 親からの暴行に、苦しむ親友に男子は胸を痛めた。平然と暴力を奮う連中を許せなかった。だが戦いの結果がどうなるのか想像すると震えてしまう。

 男子は心の救いを求め女子を頼った。女子は優しく男子を受け止めようとした。

 だがそこまでだった。親友を気遣う身で自分だけが救われることは許されなかった。男子は決意を固め襟を正した――。


 開拓の部屋に残された原稿用紙だった。


 ――――――――


 部室は今日も日南一人だけのものだった。絵の具をパレットに乗せ筆を運び色を混ぜる。紙は白いままだ。筆はパレットに戻され、また絵の具が混ぜられる。線一本、点一つさえも作られないまま時間だけが過ぎてゆく。


 ドアの方ばかり気にしていた。チューブの中身は全て絞り出され、溢れた絵の具は彼女の指を汚していた。乱暴にティッシュを引っ張り出した。部屋の隅に脱ぎ捨てたジャンパーが昨日の開拓の話を思い出させる。


「会いたい。会いたいよ」


 何度も何度も呟き日南は立ち上がった。

「白浜くん」

「呼んだか」


 突然ドアが開き驚いた。やっと会えた人は派手な目出し帽を被っていたからだ。


「俺のことが解るとは立派。さっきは変質者扱いされたからなあ」


 マスクの中からくぐもった声を出す太子はジャンパーを手にした。


「これがないと寒くてな」


 日南は体を伸ばし目出し帽を剝ぎ取った。思わず顔を隠したが痣は覆えなかった。


「なんであたしに黙ってるの? なんでなんで」


 彼女は彼の傷に触れていた。


「痛」

「ごめんなさい」


 慌てて手を引っこめた。


「誰から聞いたんだ」


 ――――――――


 ワンマン電車がホームに停まっている。開拓と晶子は向かいの座席に座っていた。暖かな午後なのに二人とも重い表情だった。最初に行こうと言ったのは彼女だった。これから先のことを考え開拓は小さく震えた。


「がんばれ開拓。しかしこのチョコ最高のうまさだね」


 緊張をよそにクリスピーは食べ過ぎだった。


 大きな川の三角州は松林で囲まれその中に駅がある。昔は支線も貨物ホームもあったらしく、敷地は幾つにもレールが別れている。今はこの電車だけだった。


 木造の駅舎。高い天井。手書きで直された時刻表。コンクリートの床。待合のベンチには誰も居ない。売店の人があくびをついている。ロータリーにタクシーが一台だけ。噴水の水は緑色に淀み。鳥のさえずりだけが聞こえる。


 ――――――――


 溜め息をつくと太子は窓際に腰を降ろした。


「あれだけ内緒って言ったのに全く開拓は」


 彼はジャンパーをラフに着た。


「新村。ほかの連中には言うなよ」


 日南は何も答えなかった。太子は呟いた。


「お前、親に芸大行くの反対されたんだってな」


 日南は入口に近い場所に座っていた。


「俺は大学に居ること自体反対されてる。四月はここにいないかもな」

「そんなの嫌」

「新村は本当にいい子だな」


 太子は立ち上がり、彼女の肩を軽く叩きドアを開けた。


「今日はもう帰る。レポートまだ仕上がってないし」


 閉じられるドアを彼女は見詰めていた。



 日南はリュックを背負い部室を出る。彼を追うのではなかった。日南は走った。林を抜け川の方へ。息が切れ足が痛むが走るのを止めなかった。



 運転手が変速機を操作した。音を上げ動き出すワンマン電車。開拓はクリスピーと窓から顔を出した。きっと間に合う。


 ホームを離れ掛けていた電車が突然止まった。トラブルに運転手が焦りの色をみせる。しばらくしてドアが開きアナウンスが鳴った。


「えー発車の方、遅れております。しばらくお待ちください」


 数分。ドアが再び閉じようやく電車が動く。


「岡崎くん! 白浜くんを助けて」


 開拓と晶子の目の前に現れた日南は唾を飲み込んだ。だから開拓は頷いた。


 窓枠に立つクリスピーのローブがはためく。欄干のない鉄橋の下は河口だ。中州には葦が繁り鳥が羽根を休める。青く輝く海はすぐそこで、せめてもの救いだった。

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