【7】開かれた時間
車は広いバイパスを疾走する。日曜日の道は空いていて、信号も送り出すように進む先で青になる。運転するのは太子。助手席には川島晶子がいた。髪は編み込み可愛らしさを強調している。
後部座席は開拓と、いつもと変わらないよれよれの上着の日南だった。彼女は画材を抱え周りの景色に心奪われていた。車を持たない開拓にとっても新鮮な光景だった。県外からこの大学に来て一年半。アパートと学校、近所の買い物のルーティンは日南と変わらなかった。
風景の手前の日南と目が合った。開拓は恥ずかしくて目を伏せた。時間を置き顔を上げると、彼女は気にするふうではなかった。トランクルームではバスケットやタッパー、それから深夜テレビの見過ぎで居眠りのクリスピーが揺れているはずだ。
「これどうぞ」
晶子がお菓子とジュースを全員に配った。
「太子くんも食べて」
「気が利くなあ」
「あーんして」
「だから人前ではやめろって」
「いいじゃない見られても」
晶子は開拓を空気のように扱った。開拓もまた彼女の存在を意識から消した。
空は晴れ雲は遥か高く。郊外で道を折れると途端に幅が狭くなった。対向車を停車しながら避け、商店や民家が窓の外にゆっくり流れる。
「どのくらい掛かるの」
晶子が太子に聞いた。太子はハンドル片手にタバコを咥えていた。
「一時間半くらいかな。道が悪いから酔うかもよ」
「そんなあ」
「吐くなよ。川島」
「そんなことしないよ。もう」
甘えた声の晶子を横目に太子は遊びで急発進してみた。窓を開けると後ろにも緩い風が入ってきた。気持ちのいい風に太子はタバコを窓から捨て晶子との話に夢中だった。
開拓は願った。そのまま二人で仲良くしてと。後部座席は二人だけのものだから。
やがて家並みは消えガードレールの外は巨石と砂利の河原に変わる。上流に行くにつれ曲がりくねり、やがて舗装も消えた。
「新村さん酔った」
聞かれると彼女は開拓にはっとした。
「道が悪いから」
「そんなことないよ。白浜くんの運転上手いから」
「当然だね」
太子は自信たっぷりだ。
「どこが上手いんだよ。車もボロだし」
「ボロくて悪かったな」
右へ左へ切れるカーブに、開拓が日南を追い詰める体勢になった。体がくっつくが日南は逃げられない。嫌がっていないことを確信すると開拓はカーブのたびにわざと体を彼女に当てた。暖かい感触をはっきり感じた。
ガードレールは途切れ途切れで、揺れる景色に赤や黄色が増えてくると四人はわくわくした。ここはもう高瀬渓谷だった。
――――――――
山を切り崩しただけの駐車場で車を降りる。開拓にはまだ地面が揺れているように感じた。ここから先は徒歩になる。トランクに向かいバスケットを出し、寝ているクリスピーを肩に乗せた。大きなバッグは晶子が取りに来た。
「岡崎くんもお弁当作るんだ」
「うん」
「わたしがいっしょに居てもいいんだ」
「うん」
「諦めたんだ」
「違うよ。最初からそんな感情は存在しないんだ」
開拓はバスケットを提げ得意な顔をみせた。相手はもちろん晶子ではなかった。
「ほら新村さん。早起きして作ったんだ」
だが日南はスケッチブックを抱え景色に夢中だった。紅葉に楓。崖と空と水。魅力的な素材に囲まれ瞳を輝かせている。開拓は景色を隠すように立った。日南が移動しても邪魔した。
「見えないよ」
「絵なんか着いてから描けるよ。行こう新村さん」
ポケットの鉛筆を握り締めると勇気が涌いてくる。先導するように歩き出した。だが振り向くと彼女は太子の傍にいた。その太子は晶子のバッグに興味を寄せた。
「どんな弁当だ? 見せてくれよ」
「着いてからのお楽しみ」
「開拓のもあるし楽しみだな」
晶子がくるりとバッグを背中に隠した。晩秋にもかかわらず汗ばむ陽気だった。じゃれ合う二人にを日南は喜んで追い掛けた。開拓は信じられない顔をした。
――――――――
光射す山道が平坦に差し掛かった頃、道が二つに別れていた。標識がない。
「こういうときは原始的だ」
訳の解らないことを言い太子は拾った棒を立て手を離した。倒れた棒はどちらの道も指さず来た方に向いた。
「こりゃ帰れってことか」
「そんなあ太子くん」
「開拓はどう思う」
「ボクはこっちだと思うよ。新村さんもそう思うよね」
日南は考え込んでいた。
「俺はこっちだ。野生のカンが冴えるぜ」
「わたしも太子くんと同じ」
「あたしも」
太子の裾を日南が引っ張っていた。
「新村さん! 二人ずつで行こう」
苛立つ開拓は彼女の手を強引に掴んだ。柔らかい手はいつまでも握っていたかった。
「そうだな」
太子の決断に日南は落ち込んだ。その思いを断ち切らせたい一心で開拓は進んだ。もう振り返らせなかった。すぐに木立が頭の上を覆い薄暗くなってゆく。道はぬかるみ肌寒くなってきた。
「こりゃ開拓の方が正解かな」
「静かだね」
不安な晶子は太子の背中に張り付く。知ってか太子はいたずらな目になった。
「ほらー! 恐いぞー」
いきなり叫び彼は彼女の前に両手を突き出した。
「どうだお化けだぞ」
調子に乗る太子だが晶子はスカートを抱えしゃがみ込んだ。想定以上の反応にどうしていいか解らず太子は宥めるだけだ。
「泣くなよ晶子、ごめん。本当にごめん」
「酷いよもう」
べそをかいた彼女の体を起こした。晶子は太子にしがみつき、太子は手を彼女の肩に乗せた。周りには人一人いない。だから晶子は瞳を閉じ全てを彼に委ねた。
……なのに太子は晶子の髪をくしゃくしゃに掻いただけだった。体が離れ彼は歩いて行く。彼女は呆然としていた。
「待ってよ太子くん」
何も起こらなかった。太子の顔を覗いてみた。笑んだのはいつもの太子だった。晶子には解らななかった。山道は森の中に続いていた。
分かれ道のもう一方も暗い森だった。足元はぬかるみ靴が滑る。開拓は日南を気にして何度も後ろを確認した。しかし開拓の方が足を滑らせた。あっと思ったとき、とっさに手を掴まれ助けられた。
「岡崎くん大丈夫」
彼女の荒い息が首に掛かる。開拓は彼女を抱き締めていた。日南はもがいたが構わず唇を寄せ瞼を閉じた。暖かさと柔らかさが押し寄せる。
「行こう」
日南の手を取り走るように進んだ。どこまでもどこまでも。
「ついに新村さんとキスをしたんだ」
――――――――
水が塊になって落ちて来る。瀧壷から跳ねた飛沫が少しづつ体を濡らす。どちらの道もゴールは同じだった。開拓は日南の手を握っていた。晶子も太子の手を離さなかった。日南はそんな太子の方を気にした。だから開拓はさらに強く握った。
――結ばれたい。
今感じていること思っていること。全てを守っていきたい。
キミを芸大に行かせたい。そのためにはボクが頑張らないと。
困難をキミと乗り越えたい。
この瀧のように尽きない想いを、激しい想いを受け止めて欲しい。
意欲が勇気がボクの心に湧いてきた――。
目覚めたクリスピーは開拓の肩で座っていた。彼の気持ちとは裏腹に、冷ややかな視線を向けていた。そのことに開拓が気づくよしもなかった。




