【6】誘うことと誘われること
スーパーマーケットで惣菜を作るのが開拓のアルバイトだった。この仕事のおかげで揚げ物は上手になっていた。
「結婚したらいい夫になるよ。憎いよこの」
「誰が結婚だって」
「赤くなってるの。かわいい」
クリスピーは彼をからかって遊んだ。
裏の従業員口から入り、エプロンとゴム長靴で行くと調理はもう終わって何も残っていない。今日の仕事は半額シールの貼り付けと売れ残った惣菜の片付だった。売り場でシールを用意しているとさっそく手が伸びてくる。
気のはやいお客さんだ。そう思って振り返るとなんと日南だった。彼女も開拓の姿に驚いていた。見ると日南のカゴにはレトルトやインスタントや缶詰や刺身、調理しなくていいものばかり大量に入っていた。
「いつもそんなの買ってるの」
量もさることながら中身に彼は驚いた。でも日南は当たり前だと頷いた。
「そんなのばっかり食べてると栄養バランスよくないよ」
「あたしご飯ぜんぜん作れないから」
困った顔の彼女に開拓は咄嗟に答えた。
「これでも料理は自信あるんだ」
急いでシールを貼り終え彼は彼女の前に立った。
「時間があるならいっしょにおかず買おう。店終わったらボクが作ってあげるから」
張りきって彼は野菜売り場に向かった。
「こりゃあ結婚したら苦労するぞ」
「だから結婚は別だって」
妖精の冷やかしに赤面しつつ開拓は後ろに向いた。彼女が飽きて帰らないかと不安だった。だが日南はついてきていた。
「新村さんの家、何か野菜残ってる」
「ないよ」
「ならこれだね。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、あとブロッコリー。次は肉だよ」
「いっぱい買うんだね」
「料理するなら当然だよ」
開拓は店じゅう回ってカゴに材料を入れた。全部揃うと日南に自分の財布を渡した。
「二人分だから。あとちょっとで閉店だから待ってて」
日南を信じて全力で仕事を片づけた。シャッターが降ろされ照明も次々と消える。着替を大慌てで済ませ、店を飛び出し自転車で入口に回り込む。シャッターの外で彼女は袋を提げ立っていた。開拓は胸を撫で下ろした。
さすがにもう秋だ。冷える夜に彼女も上着のボタンを留めた。
いっしょに帰るところを見られたら噂になるかな? 高校生じゃあるまいし……開拓は気にしながら自転車を押し日南の横に並んだ。
「新村さんいつも歩きなの」
「家近いし。絵のネタたくさん見つかるから」
日南は歩くのが意外と速く、ついて行くのに開拓は気が抜けなかった。落ち葉がアスファルトに舞っていた。
――――――――
実際に来たのは初めてだった。日南のアパートは二階建てで外見は新しかった。
「おじゃまします……」
壮絶さにクリスピーも口をあんぐりしていた。玄関にゴミ袋が積んである。トイレの匂いが鼻をつく。傍の流し台は……見るんじゃなかった。
「ほんとにここに住んでるの」
「うん」
「どこで寝てるの」
「適当にその辺で」
「洗濯なんかしてるの」
「最近洗ってない」
「料理の前にまず片づけないと」
「岡崎くんおなかすいたよー」
「ちょっと待ってて」
洗濯機と掃除機をフル回転させ、部屋の床がようやく見えはじめた。
「こんなの原稿に書いてないよ。どうしてなのクリスピーさん」
「ぼくが知るかよ。本筋に影響ないことは細かいことなんだよ」
台所を手伝わされ妖精はご機嫌斜めらしい。荒んだ生活に開拓は溜息をついた。でも彼女に喜んで貰えるのが楽しみだった。
「はいお待たせ」
湯気の出る鍋にぐったりしていた日南が飛び起きる。皿をスプーンで叩く彼女にシチューを注いだ。遠慮なしにガツガツ食べる姿は飢えた獣を連想させおかしかった。
「おいしい? 新村さん」
「がつがつ」
本当に獣みたいに言葉さえ発していない。でも彼女を見るだけで彼は嬉しかった。この時間を二人だけのものにしたかった。
「残しておいてくれ……ぼくもう駄目」
クリスピーはへとへとになって流し台でのびていた。
「今日は大変だったね。新村さん」
「何?」
「太子の奴、調子に乗って無茶するんだから」
「そんなことないけど」
日南はスプーンを咥えたまま首をかしげた。
「白浜くんといるといつも楽しいから」
え?
「白浜くん。みんなに人気あるの当然だよ。かっこいいし」
瞳を輝かせ声を弾ませ彼女はその名を言った。部屋の隅には開拓が渡した原稿の束が積んである。
「小説、読んでくれた」
「面白かったよ」
「どんなふうに」
「あたし小説なんて普段は読まないけど、岡崎くんのは面白かった」
「それだけ?」
「どうかしたの」
彼女の考えは思考の外だった。
それから数日はチャンスが訪れなかった。学科も選択科目も違うから会っても挨拶くらいしか出来なかった。開拓は待った。やっとその日が来た。
――――――――
講義が終わると、後から太子が講堂から出てきた。
「開拓! 同じ教室で居たとは知らなかったぞ」
知っていたが、太子が一人はしゃいでいたから巻き添えを受けたくなかった。
「昼いっしょに食おうぜ」
太子はタバコを道に捨て食堂を指さした。
クリスピーも言っている。日常生活に食い違いがあっても、全体には影響しないことだと開拓も解っていた。
日南はまだ来ていない。今日は今日こそは。その瞬間を考えると鼓動が速くなる。
食堂で太子と二人でうどんを啜る。
「なあ開拓」
「何」
「新村ってどう思う」
「前にもそれ聞かなかった」
「そんな気がする……いや、新村って俺たち以外の友達もいないし、絵ばっかり描いて何考えてるんだろうって気になってな」
平静を装った開拓に太子は神妙な顔をしていた。
「普通なんじゃないかな」
「そうか」
聞きながら食べる太子の箸から、うどんがテーブルに滑り落ちた。拾おうとしても掴めない。焦っているわけじゃない。彼は箸を握り込んでいたのだ。箸もまともに持てないなんて。思ったが開拓は口にはしなかった。
クリスピーは鉢に頭を突っこみ、開拓のうどんを齧っている。
「この汁うまいぜー」
「いつまでも食べてると食器ごと洗われちゃうよ」
「うまいぜー」
返却口からクリスピーはようやく出て開拓の腕に掴まった。
食事が終わり開拓は颯爽としていた。
「部室に行くのか開拓」
「うん」
聞いた太子は部室には来ない。そう書いたから今日は絶対に来ないはずだった。
「なら俺も行くぜ。ひと眠りしよっと」
なのに。
本当に書いたことが実現するのか。心配が心埋めたそのときだった。
「太子くーん」
あくびをついた太子のもとに女子が駆けて来た。
「太子くーん」
開拓は聞き覚えのある声に震えた。彼女は息を切らせていた。
「なんで来るんだ川島」
ウェーブの掛かったロングヘアとと踝まであるスカート。幼い感じのする女子は川島晶子だった。美術部を辞めた彼女がどうして。開拓は背中を向け俯くだけだった。
「太子くんレポート見せて」
「ってお前まだ出来てないのか」
「へへっ」
「そんなんじゃ留年するぞ」
「お願い」
「しょうがないなあ。図書室にでも行くか」
「やったあ」
太子は後ろを向いたままの開拓に耳打ちする。
「すまない開拓。どうしても離れてくれなくて」
「いいよもう」
諦めたような開拓の返事に太子は晶子の隣に戻ってゆく。二人ともお幸せに。開拓は鼻で笑いくるりと背中を向けた。
部室の隅に日南は居る。開拓はごくりつばを飲み、シャツの襟を正しジャケットの袖を手繰った。
「がんばれ開拓。ぼくも応援してるよ」
クリスピーに言われるまま、開拓は日南に目を合わせた。
「新村さん。話があります」
いきなりの敬語に彼女はきょとんとしていた。無邪気な顔に言葉が続かない。
心の中でもう一人の開拓が叫んだ。
『書いた通りの展開なんだ。うまくいくはずなんだ。言ってしまえ』
今度の日曜……暇ですか?
「山に行きませんか? 高瀬峡谷、知ってますよね? 紅葉の名所。ボクはテレビでしか見たことないけど、すごく綺麗だって。車で日帰り出来るらしいし。もちろんボクは車持ってないから太子に乗せてもらって、そう思って」
しばらく答えは返ってこなかった。
二人きりだと断られると思って太子の存在を挟んでみたのに。文章で人を動かせるなんてやっぱり勘違いなの。
「うん。行こう岡崎くん」
「ほんとに」
「うん」
開拓は絵を一枚描いてから日南と学校を出た。それぞれ夕ご飯のおかずを買い路地で別れた。
「熱いぜ開拓」
「恥ずかしいじゃないか」
「祝福させてくれよ」
開拓は興奮を抑えられずガッツポーズを取った。家に帰っても何度も何度も。
鉛筆がまた輝いた。これさえあればボクは認められる。
「書かないのか」
「あとで」
小説の方は全く進んでいなかった。にやけきった開拓は原稿用紙を座卓から床に移動させた。放置されたそれは端が折れ痛みはじめていた。




