【2】そこはディストピア
どこにでもある地方都市だった。通勤電車から駅ビルの改札へと続くエントランスが混雑している。車線の多い道は朝のラッシュで苛ついている。バスが乗客を詰め込み次々発車して行った。
ビルの通りの一角から悲鳴と怒号が聞こえた。通勤通学の誰もが声に向く。二人の男女が数人の男女に追われていた。逃げ切れない女子が叫んだ。
「上級国民だからってこんな暴力が許されると思ってるの」
男子も息を切らせた。
「みんなと同じことをやって何が悪い」
二人の反論への抑圧はすぐだった。
「店に迷惑掛けて被害者ぶるな」
「だからあなたたちは過酷民なのよ」
同じくらいの歳だった。外套は少ない色がグラデーションを成し見るからに裕福だった。中心に居る女子はウエーブの掛かったロングヘアを小さな肩に揺らしていた。華奢で幼くて、でも堂々としていた。
おしゃれなカフェは朝からリア充で溢れている。権力を笠に着ず正しく並ぶ彼ら彼女らは上級国民の規範だと自認していた。そこであらゆるカフェメニューを、持ち込んだミキサーに掛け謎の飲み物を作っていたのがこの二人だった。客が訝りミキサーが中身を撒き散らすのを店員が注意したのに従わなかった。
「これ動画サイトに上げれば百万再生よ」
「広告収入で大金持ちだな俺たち」
度を過ぎた非常識に上級国民の制裁が振り降ろされた。男女は暴行を受け逃げ惑い遂に取り囲まれたのだ。
「昨日過酷民の強盗が死人を出したから。家族が殺されたんだから。働きたくないから楽に金を稼ごうとした、あんたたちの仲間でしょうが」
やはり過酷民は野放しにしてはいけないと女子は言い切った。無関係の犯罪でも同じ過酷民というだけで攻撃される。コネと権益で上級国民になり、その金で社会的地位を継承する奴らと同じように不労所得を得るという希望さえ奪われる。この現実にに二人は絶望した。
男子は細身の優男だった。
女子は小柄で垢ぬけなかった。痩せて中身の飛び出したダウンジャケットでは、この厳冬は凌げなかった。
「上級国民は汚いことして偉くなったくせに」
「黙れ過酷民」
「努力しないくせに成果を欲しがる奴をわたしたちは許さない」
「どういう意味だ」
男子が怒りを露わにした。
「俺の親は毎日働き詰めだ。なのにまともに食べることすら出来ない」
「あたしたち過酷民は働いても決して報われない。住むところも奪われたら犯罪するしかないじゃない」
「過酷民が貧困なのはお前らが搾取しているからだろうが。過酷民は名前の通り生きるのが過酷なんだ」
「人類は誰もが平等。当たり前のことを言わせないで」
だがその叫びが掻き消された。
「それが努力を捨てた証拠だから」
勉強という努力。いい大学に入る努力。就職活動という努力。資格取得。職場で率先して難しい仕事に挑む努力。コミュニケーションを取る努力。
「今が楽しいから勉強せず。いま楽したいから進学せず。大学も底辺校で遊んでばかり。バイト三昧で目先の小銭に夢中になり、底辺産業しか就職先はなく。資格を取ることもせず難しい仕事を避け単純作業だけを繰り返し。非正規で使い捨てなのは必然なのに」
それで努力をしてきたなんて。
彼ら彼女ら上級国民と同じように、一般市民も白目を向けている。味方はどこにもなく男子と女子は勇気を振り絞りどうにか立つだけだ。
「わたしは川島 晶子。上級国民の子弟であるエリートのリーダーだから」
ロングヘアを揺らす小柄な女子が名乗った。
「過酷民は努力を放棄しこの国の社会保障を食い潰す。本当に困っている人に生活保護が生き渡らないのはあなたたちのせいだから」
二人の単純さを晶子は鼻で笑った。ほかのエリートも一般市民も失笑した。
ふと、直径30センチメートルほどの半球形の物体が目についた。ビルの壁にも電柱にも信号機にも、目で見える範囲ですら数十のそれが固定されている。半球で透明の中には動作ランプの光るカメラがあった。あらゆる角度からこの様子を映しているのは、まるで監視だった。
晶子は自信たっぷりに続けた。
「教養課程さえ再試が必要なくせに。ネットゲーム? アニメ? 物語の世界ではどんなゴミクズでも無条件に勝者になれる。それで満足しているから過酷民だから」
言い切ると晶子はスマホを手に正面にかざした。同時に唸るような音が上がった。野次馬の市民とエリートが過酷民である二人を嫌悪する。その意識が音波になって空気を凶器に変える。二人の服を切り刻み手足や顔が鈍い痛みで血を流す。
「こんなことで負けない。日南やるぞ」
「うん。太子」
日南と太子という名の女子男子は二人で息を合わせた。スマホを同時に前に構え、振り下ろすと同時にアスファルトから水柱が上がった。
「過酷民の力を思い知れ」
街より高く空中に突貫する土中の水分は、鉄をも寸断する破壊力を持つ筈だった。
「昨日のアニメで見た。無敵の主人公と同じように」
「あたしたちは理不尽に完全勝利する」
しかし息を切らせたすぐ後、二人は驚愕した。