不安
アリスとリリンは護衛部隊に土産を下ろしておくように命じた後、エルサーにより城内へと案内された。
アリスからすれば勝手知ったるアルバニス城だが、エルサーに連れられた大広間は初めて足を踏み入れる場所だった。
威圧感すら感じる荘厳な空間。中央には、ひときわ存在感のある大理石の円卓が置かれていた。
何時の日か各国の首脳と共に、自分も魔王としてこの円卓を囲む日が来るかもしれない。
そんな未来を想像して、アリスの口元が緩む。
しかしアリスとリリンは大広間を抜け、隣接したとある部屋へと通された。
大広間に比べれば随分と狭く質素。しかし今日はコリーナと二人だけなのだから、この部屋でも十分なのだろうと、アリスは納得した。
アリスがソファに腰を下ろし、後ろにリリンが控えると、待ち構えていたかのようにメイドがお茶を用意する。
アリスが目の前に出された紅茶を口にすると、初めてコリーナからお茶に誘われた時の風景が思い浮かんだ。
もうすぐ会える。コリーナに……。
そう思うだけで、アリスは自然と顔を綻ばせた。
しかし、同時に今まで見て見ぬ振りをしていた不安も大きくなる。
アリスは、ゼリムの言葉を思い出す。
「相手にしてみれば、我々は多くの同胞を殺した仇敵です」
アルバニス軍と魔王軍との交戦は一度や二度ではない。戦死者は甚大な数に上る事は間違いなく、その中にはコリーナの母親も含まれている。
その大半はアルバニスからの侵攻だ。自衛だから、戦争だからと理由をつける事も出来る。しかし致し方ないと、家族を奪った敵と手を取り合える人間がどれほど居るだろう。
魔族であるアリスは、戦闘で兵が死する事を残念に思っても悲しむ事は無い。側近のゼリムやリリンであれば多少は違うかもしれないが、それでも相手を恨む事はない。魔族の基本理念が弱肉強食だからだ。
しかし人間は違う。時にヒトは理屈よりも感情を優先する。
特にアリスはコリーナの父である先代王に手を下した、直接的な仇でもあるのだ。
コリーナがアリスを恨んでいる可能性だって十分あり得る。それはアリスも当然の様に思い至っている。
しかしアリスは信じた。手紙に書かれた『親愛なる友』の一文を。
この世界で唯一、アリスを友と呼ぶコリーナの言葉を。
「遅いですね……」
そう言ったのは、アリスの後ろに控えていたリリン。
確かに、アリス達が今の部屋を訪れてから暫く経つがコリーナは姿を見せない。
それに脇で控えるエルサーの表情が、どこか冴えない様にも見える。緊張しているような、焦っているような……。
「主……いえ、アリス様、何かございましたらスグに私の後ろへ……」
本来であればリリンの主は魔王。その為、会談の場ではアリスを「主」と呼ばぬよう、リリンはゼリムに注意されていた。
「大丈夫よリリン」
アリスは、リリンにだけ聞こえる様に呟いた。
大丈夫、コリーナが自分達を罠にはめようなんてしない筈だ。
大丈夫、絶対に……アリスは自分に言い聞かせる様に心の中で反芻した。
暫くすると、アリスは部屋の外にヒトの気配を感じ、その後扉がノックされた。
アリスが反射的に背筋を伸ばす。しかし、開かれた扉から現れたのはコリーナではなく、白髪白髭の老人だった。
法衣かの様な白いローブを纏った老人は、アリスの前で恭しく一礼する。
「この国の宰相を務める、ワルドアーツと申します。以後お見知りおきを」
「は、はい……お願いします」
アリスも流石に虚を突かれ、戸惑いを見せる。
ワルドアーツは僅かにアリスを見つめたかと思うと、再び頭を下げた。
「申し訳ないアリス殿、今コリーナ陛下はいらっしゃらないのです」
「……え?」
一瞬、アリスはワルドアーツの言葉の意味が分からなかった。
「それは、どういう事でしょうか」
そう言ったのはリリンだった。その声には、明らかな苛立ちが感じられる。
「コリーナ陛下は他国を訪問する為に出国し、まだ戻られていないのです……」
ワルドアーツの説明を聞いた瞬間、リリンの殺気が室内を埋め尽くした。