淫魔
「え~……私といたしましてはぁ……」
現魔王軍の2TOPでもあるアリスとゼリムに挟まれ、キューイルは言葉を詰まらせる。
キューイルはアリス直属の使い魔ではあるが、魔王軍の一員でもある。アリスの悪戯に付き合わされ、ゼリムに大目玉を食らった事は一度や二度ではない。
「えぇぇ~~~とぉ~~~……」
キューイルは必死に正解を導き出そうと頭を捻る。しかし、キューイルの立場でどちらの機嫌も損ねない回答などありはしない。キューイルが頭から煙を出しそうになった、その時……。
「主の思う様にして頂ければ良いのではなくて?」
何もない空間から、艶めいた声が響いた。
「……リリン?」
アリスが室内のある一点を見つめると、淡く薄い朱色の煙が立ち上る。煙は竜巻の様に渦を巻き、やがて人型に形成されていった。
「魔王軍諜報部隊顧問リリン、部隊の再編制完了の報告に参りました」
現れたのは、肉感的なボディラインを惜しげもなくさらした褐色の美女だった。
元魔王軍諜報部隊隊長で現顧問である、淫魔のリリン。
その魅惑的な身躯と傾国とも評される美しさで、多くの人間や神の使いを誘惑し、長年魔王軍の諜報活動を支えてきた。本人の意向で現場を離れる事となったが、その影響力は未だに魔界随一。魔王軍最高幹部の一柱である。
リリンは白銀の髪を揺らしながら、アリスの前で片膝を着いた。
「お久しゅうございます、我が主よ」
「リ、リリンさまぁ~~~!」
追い詰められていたキューイルが、涙目でリリンの豊満な胸元に飛び込む。
「あらあら……お二人とも、私の元部下を虐めないで頂けますか?」
リリンはキューイルの頭を優しくなでる。
「心外ですね、虐めたつもりはありませんよ。それよりも……」
ゼリムが険しい顔でリリンを睨みつける。
「先程仰られた言葉の真意を、お聞かせ願えますか?」
「はて? 私何か言いましたでしょうか?」
「えぇ……私には『好きに行かせれば良い』と聞こえましたが?」
「そう聞こえたのであれば、そのままの意味なのでしょう」
瞬間、ゼリムとリリンの間に緊張が走る。
ゼリムはアリスとも口論はするが、主従の壁を超える事はない。あくまでも参謀として意見を述べているつもりであり、魔王軍の為を思えばこそだ。
しかしリリンに対しては別。時に感情を優先し、嘗ては二人で魔王軍を二分する程の争いを演じた事もある。
生真面目なゼリムと奔放なリリン。共に最高幹部でありながら、二人の関係は水と油。参謀と諜報部隊の元隊長と言う切っても切れない間柄が、尚更二人の関係を拗らせていた。
「魔族と人間が同じ円卓を囲む等、過去に幾度も行われてきた事。今更、主だけを例外とするのは聊か横暴ではありませんか? ゼリム殿」
リリンの後ろで、アリスが「そーだそーだ」「良いぞリリン」と声援を送る。
「私はヴェルナス様の、いえアリス様の事を考えて申し上げているのです」
「アラいやだ、過保護すぎる男は嫌われましてよ?」
リリンがワザとらしく眉をひそめると、ゼリムのコメカミに一筋の血管が浮かび上がる。
「ゼリム殿は何時も沈着冷静であらせられるのに、主の事となると視野が狭くなっている様に思えますわ」
「……ご忠告痛み入ります。しかし、流石リリン殿。魔王軍最古の重鎮と呼ばれるだけあって、含蓄がありますな」
ゼリムから返された言葉に対し、今度はリリンのコメカミに以下同文。
「アラアラ……それは私の事を『ババア』と仰りたいのかしら? ねぇ……ゼリム殿」
一瞬で美しい顔が歪み、引きつった笑顔で凄むリリン。アリスには二人の間に火花が散っている様に見える。
キューイルは慌ててリリンの胸元から脱出し、アリスの後ろに身を隠した。
「ちょっとちょっと、二人とも話がズレてるよ」
二人の争いを見て若干冷静になったアリスが、二人の間に割って入る。二人が本気で喧嘩を始めたら、この玉座の間どころか魔王城その物が消し飛んでしまいそうだ。
「申し訳ございません……」
「失礼いたしました、我が主よ……」
アリスに窘められ、幹部二人が渋々矛を収める。
「ゼリムが心配している事は分かってる。確かに私はコリーナに会いたい。でも、それだけじゃない。ちゃんと魔王の代理として、魔王軍の代表として会談に臨むつもりよ」
アリスが胸を張ってそう言うと、リリンがハンカチを取り出して目頭を押さえる。
「おぉ……主よ、ご立派になられて……」
過保護なのはゼリム様だけではなさそうだ……キューイルはアリスの後ろで傍観者を気取っていた。
「ゼリム、アナタの言う通りよ。今の私達は大黒柱である魔王を失っている。だからこそ、動かなければいけない事もあると思うの。魔王軍の為に、私が真の魔王となる為に」
「…………」
ゼリムが無言でアリスの瞳を見つめる。
覚悟を持った眼の光。外見は似ても似つかないが、その眼の光だけは元の主である魔王ヴェルナスに良く似ていた。
「はぁ……わかりました……特別大使としてのお立場を遵守して頂けるのであれば、会談への参加を了承致します」
ゼリムが渋々ながら認めると、アリスはニッコリと微笑んだ。
「ありがとう! ゼリム!」
「アリス様の代理で玉座に残す分身体は、コチラで用意しておきます。良いですか、この城を離れている間は必ず従者と行動を共にして下さい。必ずです」
「うん! まっかせて!」
アリスはゼリムに向けて、親指をグッと立てる。その後ろではリリンが涙目で拍手をしていた。
不安だ……不安しかない。ゼリムは自らの判断に若干後悔しつつ、護衛部隊編成の為に玉座の間を後にした。