君が見ていた世界
僕は、地上30センチから見上げる景色の写真を撮ってみた。
何気なく空を見上げた時に、君が見ていた景色を僕も知りたくなったんだ。
だって、君のことをすごいと思ったから。見上げる世界は思った以上に大きかった。君の6倍近くの大きさがある僕を家族として信頼してくれたんだから、すごいことなんだよ。
そりゃぁ、最初は怖がって噛みつかれたこともあったけど仕方ないことだったんだ。僕が身長10メートルの大男に手を伸ばされたら、恐怖しか感じないと思う。
逆に、今は体格差を物ともせずに立ち向かってきた勇気を湛えてあげたいくらいだ。
君と散歩したコースも、君の目線になって写真を撮ってみると君の大変さが理解出来た気がする。
撮影中は変な誤解をされないように注意が必要だったけど、嬉しい発見もあり、悲しい発見もあった。
アスファルトの道路って、こんなにも熱かったんだ。
アスファルトの道路って、こんなにも冷たかったんだ。
季節は変わっても大変だったね。
水たまりって、こんなにも大きかったんだ。
火がついたままのタバコって、こんなにも怖かったんだ。
草むらから飛び出すバッタって、こんなにもビックリするんだ。
こんなことにも気付いてあげられなくてゴメン。
あらゆる建物が、巨大に見えて僕でも少しだけ怖かった。車が通る時も、いつもと全然違って見えて怖かった。ちょっとした段差も一生懸命に飛び越えてたことも分かった。
それに、見上げた太陽は思った以上に眩しかった。
もっと早く君の見ていた世界を知ってあげていたら、何かが違っていたのかもしれないと思ったよ。
君が、いつも楽しそうに散歩してくれてるから見えていなかった景色だけど、今なら分かるんだ。
それに、ドッグランの広い芝生の上を走っている君を見て、ビックリしたことも思い出した。
「こんなにも速く走れるんだ。」って。
広い空の下で、君が怖いと感じる物が少ない場所だったのかもしれない。だから、安心して走り回れたんだろうね。
いつもの散歩のときは、僕に気を使ってくれていたんだろうけど、すごい速さで走り回る姿はカッコ良かったよ。君が見せてくれたドヤ顔も、ちゃんと覚えてるから。
単純に考えれば、僕が10メートル上を見上げているのと一緒で、毎日そんな上を見上げる生活を想像してみたんだけど、大変だったろうな。
それでも、一生懸命に見上げてくれていたんだ。
嬉しかったから見上げてたのかな?
不安だったから見上げてたのかな?
遊んでほしくて見上げてたのかな?……もっと、ちゃんと見てあげてればよかったと思う。
君の顔は、いつも笑顔に見えてしまっていたから僕は君に甘えてしまっていたのかもしれないな。いつも尻尾を振ってくれていたから気付かない見過ごしてしまったんだ。
家の中でも写真を撮ってみたけど、君がいた証しは今も残ってる。フローリングが君の歩いてたところだけ色が剥げてしまっているんだ。
テーブルの足も噛んだりしてたんだね。気付いていなかったけど君の歯形が残っていて、買い換えることを止めてしまった。
お風呂に入っている時、今でも君の足音が聞こえてくる気がする。「チャッチャッチャッ」とフローリングの上を歩く君の音で、お風呂から出てくる僕を待ち構えてドアの近くを歩き回っていたんだ。
何度かドアの僅かな隙間から見ている君と目が合って、慌てて着替えたことを思い出すよ。
僕が食事している間、君はイライラしていたのかな?
僕は食べるのが遅いから、ゆっくり食事をしてしまってテーブルの足に八つ当たりしてたんだとしたらゴメンな。
一緒にいた時は見過ごしてしまっていたことを反省してる。
君と過ごせた時間が、こんなにも短く感じるとは思わなかったから、後悔はたくさんある。
散歩に行くの面倒臭いと思っちゃったこともあったし、君と遊ぶよりもゲームを優先しちゃったことも、やっぱり後悔してる。
でも、その時は一緒にいることが当たり前になっていたから気付けなかったんだ。
でもね、僕にも君に一つだけ不満がある。
僕より、ずっと後に生れて来たんだから、もう少し長く生きてくれても良かったんじゃないのかな?
ただ、僕より長生きをしてしまうことになっても困るだろうから難しいことは分かってるんだ。でも、もう少し一緒に過ごしたかった。
それと、
「犬も歩けば棒に当たる」
この諺には文句を言いたいんだ。君は散歩中も上手く避けて歩いていたけど、君を見て歩いていた僕が電柱にぶつかったんだからね。君が驚いていて、すごく恥ずかしかった。
「子供が生まれたら犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時は、子供の良き守り手となってくれる。子供が幼い時は、子供の良き遊び相手となってくれる。子供が少年期の時は、子供の良き理解者となってくれる。そして、子供が青年になった時には、犬は自らの死をもって命の尊さを教えてくれる。」
イギリスの諺で、これは分かる気がしたんだけど、「命の尊さ」を君から教えてもらいたくはないと思ったんだ。
だって、この諺って不公平だとは思わないか?与えられただけで、僕は何も返してあげられなくなる。最後は、「青年になった時、青年は犬の良き守り手になろうと努力をする。」でなければいけない気がしてたんだ。
「犬は三日飼えば、三年恩を忘れない。」
君が恩なんか感じなくていいんだ。恩は忘れてくれていいから、僕と過ごした時間を忘れないでほしい。
恩を感じているのは僕の方なんだから。君に感謝しているのは僕の方なんだから。
最期の時も苦しいのに僕が帰ってくるまで待っていてくれて、ありがとう。
君の写真の周りに、僕が撮った地上30センチの写真も飾っておくから君が見ていた景色を覚えておいてね。
欲を言えば、写真の中でも僕を見上げていてくれると嬉しいかな。