後編
前編、中編、後編の三つのパートに分かれています。
「うちの家は、この島の中でも一番大きな家だった。さらに、今でこそ手放した畑や山も多いが、昔はうちが最も多くの土地を持った、この島の地主のような存在だったのだ。だが、わしたちのご先祖様は、最初からこんな裕福だったわけじゃない。……ご先祖様が、『座敷の恋』に出会ったから、これほど裕福になったのだ」
「座敷の恋って?」
「座敷の恋は、いわゆる座敷童のような者のことだ。妖怪のたぐいだと思うが、正体はわからん。……だがこいつは、普通の座敷童とは違う。わしたちの先祖は、どのようにして座敷の恋を呼び出したのかわからんが、こいつは幸運をもたらす代わりに、数十年に一度、子供をさらうんだ。……神隠しにあわせるということだ」
「どうしてそんなことを?」
「それもわからん。わかっているのは、座敷の恋が遊び好きだということだけだ。……この島では、『かくれんぼ』という言葉は忌み語なんだ。座敷の恋の「恋」が使われているからというのが理由らしい。最も、今ではそれを知っている者も、ほとんどおらんがな」
「それじゃあ康弘は、その恋とかいう妖怪に、さらわれてしまったっていうの?」
「そうだと思う。……あの男の子、太一という子だが、わしはこの子を知っておる。……正確にいえば、会ったことはないが聞いたことがある。この子はわしの母親の弟じゃ」
「おばあちゃんのお母さんの弟? でも、この子、子供だよ」
「そうだ。……この子が今現れたことこそが、座敷の恋が康弘をさらっていった証拠になる。……座敷の恋は、かくれんぼが最も好きな遊びで、子供をさらうのも、ずっと遊びたいからだといわれておる。そして、丸一日遊んで、遊び飽きた子供は解放してもらえるんだが、恋にとっての一日とは、わしらにとっての数十年だ。つまり」
「まさか、この子が座敷の恋と丸一日、ううん、数十年遊んで解放されたから、子供のすがたで現れた、そういいたいの?」
「そうじゃと思う。……そして、座敷の恋は新たな遊び相手として、康弘を選んだ。康弘は今ごろ、恋とかくれんぼして遊んでいるんだろう。その間に、何十年も時が経っているとも知らずに……」
和雄と文香は、その日のうちに家に戻ることになりました。特にハルおばさんはもう半狂乱になって怒り狂い、おばあちゃんや太一だけでなく、和雄にまでつかみかかろうとしたので、和雄のお母さんともみくちゃになって、ようやく親戚一同に押さえられたのです。
「……ハルの気持ちもわかるけれど、でも、わたしはあんたが連れていかれなくて、少しホッとしているわ。……康弘君には申し訳ないけど、あの太一君のことを見てしまったら……」
帰りの船の中で、お母さんは神妙なおももちで和雄の頭をなでました。いやなことを思い出して、和雄もへの字になってうつむきます。
数十年間も時が流れ、自分の知っている人たちはもうみんな死んでしまい、誰も知り合いがいないと知ったときの、太一のわめきようは、ハルおばさんの半狂乱のすがたとはまた違った怖さを感じたのです。たった一日かくれんぼをしていただけで、お父さんもお母さんも、お姉さんまでもいなくなり、太一は全然知らない人たちと暮らすことになってしまったのですから。
「母さん、あの家を壊したらどう? そしたら、その座敷の恋とかいうやつも死んで、ヤスも助かるんじゃ……」
和雄の言葉に、お母さんはそっと目じりに手をやり、あきらめ顔で首をふりました。
「おばあちゃんもいっていたでしょう? わたしたちは、座敷の恋の力によって、今を生かされているのよ。うちがあれだけ広いのも、たくさんの田畑や山を所有しているのも、恋がうちに住んでいるから。……だから、家を壊して恋を追い出したら、それこそわたしたち全員が不幸になるはずよ」
「でも、ヤスは……!」
お母さんは目をそむけて、それから静かにうなずきました。
「……かわいそうだけど、でも、もうどうしようもないわ。……それに、家を壊すなんて、ハルが許すはずないわよ」
「どうしてだよ? だって、そうしたらヤスが助かるかもしれないんだぜ?」
「でも、そうじゃない可能性もある。座敷の恋の怒りが、康弘君に向けられる可能性のほうが高いわ。……だからきっとハルは、あの家をずっと守ると思う。いつか康弘君が帰ってくるのを祈って、ずっと……」
だだっ広いあの家に、一人ですむハルおばさんのことを思って、和雄は胸がどうしようもなく苦しくなります。ですが、母親の次の言葉を聞いて、その胸の痛みも恐怖に変わってしまったのです。
「だからこそ、わたしたちはもうハルにも、そして文香ちゃんにもあったらダメなのよ。そして、二度とあの家に近づいたらダメよ」
「なんでだよ? そんなの、おばあちゃんが、それにハルおばさんに文香もかわいそうじゃないか!」
「和雄! ……約束して。あなたが大人になっても、絶対にあの家に近づかないって。そして、あんたの子供たちにも、そう伝えるのよ」
「だから、なんでそんな」
「わからないの? ……ハルは、少しでも早く康弘君を解放したいって願っているはずよ。そして、解放されるには、恋が新たな遊び相手を選ばないといけない。……つまり、誰かが生贄にならないといけないのよ」
ぞくっと背筋が凍る思いをする和雄に、お母さんは目をきゅっと細めて祈るように続けました。
「……そのことに、文香ちゃんも気づいたらいいけど」
「どういうことだよ?」
「……母親っていうのは、一番大事なのは、自分が産んだ子供なのよ。……もし文香ちゃんに子供ができたら、ハルはどうすると思う? ……でも、もうわたしたちはそれを文香ちゃんに伝えることもできないし、関わってはいけないわ。誰も康弘君のことを忘れてしまって、そして新たな生贄が、向こうから近づいてくるまで……」
文香のくりっとした目に、日に焼けた顔が目に浮かび、和雄は思わずおえつをもらしました。
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