上辺だけの優しさなんていらない
少し虐待表現があるので、苦手な方はブラウザバックでお願いします。
「上辺だけの優しさならいらない」
君はそう言って僕を拒否する。
上辺だけって何だ。優しさって何だ。
そんなものわからない。
◇
僕は愛されないのが普通だった。
子どもの頃は毎日殴られ、蹴られ、髪の毛を持って引きずり回された。そんな日々が続いた後は徹底した無視が続いた。
「お前は幽霊だ。幽霊に食事は必要ない」
そう言われ、食事さえ与えられなくなった。それでも水だけは最低限必要だろうと水で腹を満たす。
そのうちに、食べずに何日生きられるか数えるようになった。
十四日経った。もうそんなに経つのか。それでも僕は生きていた。最初のうちは食べたい、食べなくてはという思いに支配されていた。だが、限界を超えたのか、食に対する興味は段々と薄らいでいく。
そして頭がぼうっとして何も考えられなくなった。数えることもできず、立ち上がって歩こうとしても力が入らず崩れ落ちる。
自分はもう死ぬのだろう、そう思った時に転機が訪れた。
僕は見つかり、病院に入院した。診断は栄養失調や貧血や他にもあったようだが覚えていない。この頃には僕の心はもう凍りつきそうになっていたのかもしれない。
生きることはどうでもよくなっていた。いや、そもそも生きているという自覚すらなかったのかもしれない。
それから家に帰ったが、暴力や無視がなくなって僕は戸惑った。これまでは「耐える」ことが生きる目的だったことに気づいたのだ。
それが無くなってしまった。
僕は心を失ったまま、生きなければならなくなったのだ。
僕は周囲を観察するようになった。
それだけでなく、周囲の人がどんな風に他人に接しているのか観察して、同じことを自分でもしてみた。心がない自分には他人の真似をすることなどお手の物だった。
こうすれば人は喜んでくれるに違いない。こうすれば好きになってくれるのかもしれない。僕は人を使ってゲームをしている気分だった。
彼女に会ったのはそんな時だった。
◇
笑顔で接する僕に彼女は一言。
「気持ち悪い」
何を言われたのかわからなかった。これまでと同じようにしていたのに何故。彼女は醜い僕を一発で見抜いてしまった。
そうして僕は彼女を避けるようになった。少しでも不快な思いをさせないようにとの思いからだ。
僕は誰にも愛されない。
そんなことはとうの昔にわかっていた。
なのに彼女は僕に声をかける。不快そうな表情で。そんなに嫌なら声をかけなければいい。そう思うのに彼女は何度も何度も話しかける。
そして僕が一瞬表情を崩すのを見て、楽しげに笑うのだ。理解できない。
だけど僕は彼女に何も言わなかった。そのうちに飽きて離れていくに違いないと思っていたから。
そして彼女がぽつりと零した。
「あなたはいつもそうね。私のことなんてどうでもいいんでしょ」
僕はどう答えればいいか悩んだ。ゲームをしている気分の僕には何が正解なのかわからなかったのだ。
黙り込む僕に彼女は眉を釣り上げた。
「なんとか言いなさいよ! あなたはいつもそう! 私はあなたの気持ちが知りたいの!」
「僕の気持ち?」
僕は思わず問い返した。心のない自分にそんなものはない。いつもの演じている自分を忘れて素の答えを出してしまった。
「どうでもいいよ」
彼女の顔がみるみるうちに歪んでいく。目尻に涙を溜めてこちらを睨む。
しまったと思った時には遅かった。彼女の綺麗に手入れされた手が振り上げられて、僕の頬を思い切り叩く。
僕は間違えてしまった。どうでもいいのは彼女ではなく、自分の気持ちだ。いつもこうして言葉が足りない。彼女を傷つけるつもりなんてなかったのに。
彼女は涙を流しながら笑う。
「ざまあみろ。ようやく本音を言わせたわ。あなたの取り澄ました顔が憎かった。いつもいつも上辺ばっかりで。なのに、一番腹が立つのは、そんなあなたを好きになった自分の馬鹿さ加減だわ。もういいわ。さよなら」
彼女は踵を返して去って行く。僕は呆然としたまま、彼女の後ろ姿を眺めるしかなかった。
彼女は僕を嫌いだったのではないのか。どうして好きだなんて言ったのか。二十年も生きてきて、好きだと言われたのは初めてだった。
わからない。彼女の気持ちも、自分の気持ちも。
どうでもいいはずだった。
それなのにこうして彼女のことを考える自分がいる。
彼女をこのまま行かせていいのだろうか。こうなった以上、彼女はもう僕から離れてしまうだろう。
そう考えて寂しいと思う自分がいることにも気づいた。
僕の心はまだ生きている。
そう自覚すると途端に彼女を追いたくなった。この感情が何なのかはわからない。それでも今彼女を追わなければ後悔するに違いないと思った。
僕は彼女を追いかけ、後ろから彼女の腕を掴んだ。彼女の顔は涙で化粧も崩れてしまっていた。僕は初めて彼女という存在を認識したのかもしれない。ああ、こんな顔をしていたのか、と。
彼女は不機嫌そうに僕の手を払う。
「今更何の用?」
「傷つけてごめん」
彼女は口元を歪めた。
「心のこもってない言葉なんていらない。上辺だけの優しさならいらない」
「違う」
「違わない。あなたはいつもそうだった。笑顔で相手の望む言葉を話す。あなた自身の言葉なんてどこにもなかったじゃない」
僕の言葉? そんなものは必要なかったからだ。
みんな僕を見ない。僕は必要とされなかった。
そう考えたが、彼女は最初から違っていた。
彼女だけは本当の僕を見ようとしてくれていたのだ。これでは信用されなくて当然だ。だが、僕にはどうすればいいのかわからない。途方に暮れて思うままに言葉を紡ぐ。
「……ごめん。わからないんだ。僕には心がないから」
「は? 何を言っているの?」
「わからないから見よう見まねだった。こうすれば相手は喜ぶのかとか、反対に傷つけるのかもとか、全部ゲームのようだと思ってた。だから君の気持ちがわからなくて傷つけてごめん」
「意味がわからないんだけど」
彼女は困惑している。それもそうだろう。僕だって意味がわからないんだから。それでも僕は伝わればいいと思いながら一所懸命に続ける。
「僕はみんなに嫌われている。だから好かれるように振る舞わなければと思ってた。それがあの僕なんだ」
「どうして……」
「わからない。本当にわからないんだ……」
もはや自分が何を言いたいのかもわからない。僕はこんなにも駄目な男だった。僕は彼女の顔を見ていられず俯いた。
彼女がはあと呆れたように溜息をついて僕はもうおしまいだと思った。そもそも始まってもいないのに終わるという意味がわからないことにも気づかないほど、僕は追い詰められていた。
「馬鹿みたい」
彼女がぽつりと呟いた言葉が僕の心に刺さる。心なんてないと思っていたのが嘘みたいだ。
いや、違う。心がないと思いたかっただけなのだ。そうすれば傷つかなくてすむから。
「それで結局、どうして追いかけてきたの?」
「……わからないけど、このままだと後悔しそうだったから。これじゃあ答えになってないか……」
僕はやっぱり駄目だった。気持ちが落ち込むのと同じで、頭も下がってくる。
だけど、予想外に彼女は笑った。
「仕方がない人ね。許してあげる。だけど、どうでもいい女を追いかけてくるなんて変な人」
「そう、なのかな」
「そうよ。それとも、どうでもいいって思ってないとか?」
僕は顔を上げて彼女の顔を見た。眉を寄せて考えるが、やっぱりわからないしか出てこない。だけどそれを言うとまた彼女は怒るのだろうかと思って、口にできなかった。
それでも察した彼女はまた笑う。
「答えなんて聞かなくてもわかるわ。顔に書いてるもの。でも今はそれで充分。ようやくあなたの仮面を剥がせたんだから」
「え、いい、の?」
「まあね。あなたが不器用な人だってのがわかったから、いちいち怒るのも馬鹿らしくて」
僕にはよくわからないけど、納得したようだ。でも、それならこれからどうすればいいのだろうか。彼女は僕を好きだと言っていた。
「君は僕が好き、なのか? それならどうすればいい?」
「どうもしないわ。私が勝手にあなたを好きになっただけだもの。言っておくけど、私の気持ちに応えなきゃとか思わないでね。同情や優しさで付き合って欲しくはないから」
同情、優しさ?
僕はそんなもので彼女を追いかけたのだろうか。違う気がして僕は口を開こうとした。
「あの……」
「上辺だけの優しさなんていらない」
ぴしゃりと彼女に言われてしまった。これは僕に考えろということなんだろう。それなら僕はちゃんと考えて自分の言葉で彼女に伝えようと、この時思った。
◇
「もう何回言わせるの? 上辺だけの優しさなんていらないって言ってるでしょう」
あれから一年近く経つが、僕らの関係は相変わらずだ。彼女は未だに僕が彼女に優しくするのを上辺だけのものだと思っている。
だけど、僕はようやく自分の感情がわかってきた。彼女を追いかけたのも失いたくなかったのもその感情に基づくものだと。
優しくしたいのもそのためなのに、いかんせん僕には信用がない。ここまで待たせてしまった彼女には本当に申し訳ないと思う。
ただ、近いうちに僕らの関係も変わると僕は期待している。その言葉を一度口にしただけで信用してくれるかはわからない。だけど、信じてくれるまで言い続けようと思う。
「好きだよ」と。
読んでいただき、ありがとうございました。