禁忌事項
トオルがネギを十束も持っていたのは、八百屋のお婆さんがサービスとして持たせてくれたのだということがわかった。
他に、なんらかの禁忌条項に触れた扱いをしたのだろうかと反芻してみた。高度にプログラミングされた頭脳に、それだけに一層発見しにくいバグが潜んでいる可能性はメーカーでも認めており、購入にあたっては空也もその点が気になった。古典的SFでも二重の虚偽指令を受けたために狂って反乱を起こすというのがあったではないか。
マスターが公共の良俗に反するなどの行為を指示した場合は服従義務とのあいだで葛藤は生じないのか。悲しみや、おかしみという感情を教えるとどうなる。メーカーが標榜するスーパーファジー論理とはどう兼ね合いがつくのだろう。
禁忌事項に関しては、丸一日をかけて重点教習が行われた。
(まず感情の表現はまったく不十分、というよりはできないと思ってください)
いわゆる喜怒哀楽は表現しない。擬似的なものを演じさせることは可能だが、どうしても不自然さが残る。心理学者を交えたプロジェクトチームで試行錯誤を何十回もやってみたが、結局、当分は断念ということに決したのだそうである。
(擬似的になら嬉しい楽しいはまだなんとかなりそうなんです。どんなに大笑いをしていても、あなたのお母さんが死んだよとでもいわれたら笑いは止まります。火に水を掛けるようにですね。しかし哀しみはそうはいきません。例えば愛する者の死です。これは長く容易に消えません。洪水を火で防ぐのは不可能ではないにしろ、とてつもない火力が必要ですよね。これと同じで終息の制御がそれ以上に難しいんです)
職業的な笑顔で話すインストラクターの説明は空也にもよく理解できた。
空也が小学六年生の頃、就学前の弟が病死したときの哀しみは気が狂いそうなほどで、そのピークを乗り越えるだけでもみつ月はかかったものだ。好きな漫画も少しも面白くなかった。
(概して感情というものは人間の不完全さの上に成り立っています。たとえば人間は生理という不完全要素が感情に大きく作用しますが、ロボにそれはありません)
なるほど。なるほど。
(従いまして、ロボは人間の感情をも理解しえません。もし皆さんがご機嫌が悪いとしてもロボにはなにも期待しないでください。人間の機嫌というやつこそはウルトラファジーですからね)
全くファジーの代表だな機嫌というやつは。空也は、ふんふんと大きくうなずいた。
(あれやこれやでロボには立ち入ることを禁じている領域がいくつあります。そのひとつがさきほどいいました「死」です。哲学、宗教もそうです。百科事典に記載されている事柄の受け答えはします。ですが、そこまでです。「お前はどう思う」という質問はしないでください。同じ意味で芸術もそうです)
一緒にいた受講者のひとりが質問した。
敢えて質問すればどうなるか。
(ロボは、わかりませんと返答します。しかし、ここで皆さんへご注意申し上げますが、これはきっぱりとあきらめるのがマッチベターです。それ以上のことは、わたしどもはアタックと呼んでおりますが、どうか踏み込まないようにお願いします。長く一緒におりますとついついロボであることを忘れ、そのような返事が物足りなくなり極端な場合は皆さんの機嫌の方がおかしくなります。これ、困るんです)
受講者はどっと笑った。
(やっぱり、あれが災いしたのかなあ)
トオルを購入してひと月ほどたち、所定の慣らしを終了したとしてセンターの許可を得て初めて一緒に外出したときのことを空也は思いだしていた。
連れだって歩くと人間の子どもを連れて散歩しているとしか人はみない。ちょっと目深に野球帽を被って歩くトオルにすれちがう誰も特別な視線を注ぐことはなかった。
顔も洋服から出ている手足の部分も極めて巧みに出来ている。法律で定められた黄色いリボンを見なければロボであることはまずわからない。
道を歩かせてあらためて思ったのだが歩行動作はとりわけ完璧であった。他のロボもたまにみかけるのだが、トオルはそれらに遙かに勝っていた。
人によって好みがあるのだろうが俺はトオルを選んで正解だった。
今度は、子どもらしく足下の小石をちょっと蹴るくらいのことを教えてやろう。
考えることは大体そのテのことだがそれだけでいい気持ちだった。
「ここは水谷三丁目だ。GPSマップと周りの風景をよく対比させておいてくれ」
「はい、お父さん」
外にでたら、お爺ちゃん、と呼ばせた方がいいかもしれないな。
「これが畑だ。季節によって植える物が変わるがね。隣は栗林だ。クリはわかるな?」
「はい。でもクリの実がありません」
「下にクリのイガが落ちているよ。もう十一月だから実はもう収穫されたんだ」
「食べられたのですか」
「そうかもしれないし売ったのかもしれないな」
空也の答えはどうしても慎重になる。インストラクターから、「虚言が許されないロボに虚言は禁物です」といわれていた。虚言の定義が崩れる恐れがあるからということだったが、いつか徹底的に嘘をついてみたいという誘惑がわき出るのに困ってもいた。
畑の反対にこんもりとした塚が見えた。
「あそこの木の名前がわかるか」
あそこというような代名詞が使われるとトオルは空也をみる。茶色味を帯びた目をくるりと回して指し示す手を見る。同時に空也の両目をみてその距離を測定し、あそこを瞬時に判定するのである。
「モチの木だと思います」
「モチか。どういう特徴があるんだ」
「モチノキ科の常緑高木で高さは十メートルほどになります。葉は長楕円形、質は厚く、全縁です。ゼンエンという言葉がわかりますか」
言葉に難度というものがつけられているのだろう。
「わかる。葉っぱの縁がなめらかということだ。ケヤキとサクラの葉は鋸歯、ブナの葉は縁が波形、俺は言葉や文字には強いんだ」
「そうですか」
「まあまあだけどね」
空也は急いで補正した。
「お父さん。木の根本にある立方体の古い石はお墓ですか」
苔むした墓石が大小とりまぜ十柱ほどあった。地主家の墓のようである。このような問い返しは往々ある。実見したものを教練期間に流し込まれた知識と照合確認するのだろう。
「そうだ」
「人の墓ですか」
「うん・・・」
人の死体が埋められているのですね。
そういうかと思って空也は少し身構えたが、トオルはそれ以上の質問はしてこなかった。