A500010
A500010・トオル号は、内山空也が退職金で半年前に購入したロボだった。同型のロボが全国でまだ三百体ほどの頃である。
空也は市の文書課時代に書いた歴史小説が認められ、勤めを辞めて作家となった。
しかし密かに案じていたとおり、三ヶ月もたたないうちに妻のヒロが重度の亭主在宅症候群に罹ってしまった。空也は怖れ閉口し逃れるようにして近所のアパートでひとり暮らしを始めたのだが、妻が心身健康をとりもどしたのちも家にもどる気はなかった。妻も娘ももどれとはいわなかった。
しかし当初のうち空也は気楽さを謳歌したひとり暮らしではあったが、ほどなく食欲がなくなりすっかり元気がなくなってしまった。これもまた密かに案じていたとおり独り暮らし症候群に陥ったのである。
空也は掃除も食器洗いも出来ない不器用モノなのに整理整頓、清潔が好きという、周囲の人間にとってはこの上なく厄介な性癖の男だった。床にチリがあったり屑籠が溢れていたり、流しに食器が積まれていたり、洗濯籠に汚れ物があるなどはとても容認ができず仕事が手につかない。さりとて手を汚したり濡らしたりするのはイヤというのでは妻が心身の均衡を狂わすのもむべなるかなである。
疎ましいことはまだあった。訪問者がじつに多いことである。書留、速達、宅配便などの配達人が主であるがセールスもまた多い。昨今、通販ITの反動で、どの企業も対面営業に力をいれてきた。ほんの些末なモノウリまでもがピンポーンとやってくる。メールやFAX、電話も多い。作家という職業上、それらを見もせずに捨ててしまうわけにもいかない。
夫婦がそれぞれの症候群の責任を押しつけ合っていると、いつも冷静な娘のシズがロボの購入を提言したのである。お父さんの仕事の助手を兼ねてやってもらってはどうかと。
(なるほど)
空也はすぐにその気になった。
諸経費も含めるとざっと高級乗用車三台分ほどの買い物、ただし空也が介護を必要とする状態になったときは国から取得額の六割が還付されるとあって、空也は慎重にことを運んだ。
まず、ソミック社のショールームを訪れて説明を聞いてみた。いろいろなタイプがあっても総和的な能力はほとんど変わりがないようである。しかしロボにも得手不得手があるようで万能というわけにはいかない。空也はAタイプといわれる優しげな子どもタイプが気に入った。力は劣っても器用なやつがいい。力が強く用心棒代わりにもなるというマッチョなやつもあったが、目の前にするとどうも気味が悪かった。故障して主人に殴りかかってきたりしたらどうしよう。
(おい。間違えるな、俺だ俺だ)
(ソレヲ、ショウメイ、セヨ)
そんな権助ロボもどきの問答の末に電撃スパークを浴びせられては叶わない。物書きを生業にするだけにそういう妄想は人一倍生々しく湧きだす空也である。
営業マンは、そういう怖れは絶対にないというのだが、そこは信用しないほうがいいと思った。本当は事故は歴然と起きていて、口封じのためユーザーに多額の補償費を払って密かに回収しているというようなトピを掲示板ではよくみかけるからである。
またマッチョは家の中で転ぶと周りのものを壊してしまうというのも有った。これはいかにもありそうだった。とにかく体力にはまだ自信がある空也の場合、そのような腕力はとりあえず必要がないので、知能と器用さに重点を置くことにしたのである。
ルックスとしては溺愛して育てた一人娘、シズの子ども時代の面影を入れた少女タイプ(AFタイプという)にしたかったのだが、怪しい「事」をさせる男性マスターが多いという噂があり、センタ―との切断を頻繁に行うユーザーがいることから、ソミック社では本当だと思っているらしい。一方家族や近所から妙な目でみられてもと、空也は少年Aタイプに決めた。
いろいろなセッティングと個体との親和・調和のために空也は丸々五日間、お渡しセンターでロボと共に合宿をしたが、ユニークタグを埋め込み、「お父さん、はじめまして。トオルです」と呼ばれたときには全身が粟立った。
カメと共に車の助手席に乗せて連れ帰るとセンターからのアドバイスを聞きながら、まず家の中のことを教えた。各部屋を隅から隅まで見せて、ドアや窓の開け閉めやブラインドコントロールの使い方などを教えた。
次には自慢の蔵書・資料の名称と所在を覚えさせたが、ひとつの書棚を十秒ほどのペースで完了させ、空也を複雑な気分にさせた。
「青べか物語をとってきてくれ」
トオルは三秒で持って来た。
「はあ」と空也。
「おおおお」と妻と娘。
テレビ電話やインターネットの各機器についてはすでに知っている(というよりトオルが高級なそれである)ということだったので省略した。一応、キーボードも使わせてみたが、機械のような(機械なのだが)正確さで指を這わせるのには空也も妻も娘も思わず拍手をしてしまった。
次に炊事、掃除、洗濯、バスルームなどは妻のヒロが教えた。洗剤やブラシなどの附属品についてもひととおり説明したが、トオルはむろんのことながらすべてを一度で覚えた。やらせてみると初回はぎこちなくても二度目は驚くほど巧みにやるのである。正確で早い。
「ちゃんと段取りを考えてやってるよ。お前の倍は早い」
空也は、自分が発明でもしたように自慢げに妻に語ったが、いかなるときも沈黙を嫌う妻は、「あなたの十倍ね」と、ひと言で切り返した。
最後に空也自身の好みを教えた。
とにかくすべてを常に清潔に保つこと、テレビ番組の好み、焼酎ロックの氷の盛り方、コーヒーと砂糖とミルクの混合率、お風呂の湯加減、照明の色彩強弱なども教えた。つまりはまあ、ありきたりのことである。
カメはA、AFタイプだけの付属品で、端的にいえば背丈を補うための踏み台である。トオルからの微弱電波による指示で亀のように首をもたげながら、のこのこ四つ足で移動するのだが、それが可愛いくAタイプの人気のひとつでもあった。
(きれいにさえしておけばあとはなんでもいいという人だから。この子も楽よね)
棚に積まれた缶詰や乾燥食品のパックを見回して妻が嫌みをいったが、その嫌みは功を奏して、トオルは毎週決まった曜日に掃除や洗濯や食器洗いなどを手伝うために―現実にはほとんど一人でやる、「実家」にも行くことに決まった。
あのときは八百屋に行かせたんだ。午後の二時を少し過ぎたころだったか。
(お父さん、いってきます。問題があったら連絡をします)
トオルは、この程度の用で問題などは絶対に起きないのに決まってそういう。今はもう慣れたのだが、初めのうちは、「ダンナサンノイウトオリニシマス」などと妙な合成語でいわないのが、かえって不気味だった。お渡し期間中からよく囲碁を闘わせたが、そのときに受けた違和感と同類のものである。
トオルの碁力はプロ棋士を上回る棋力があるのだが、アマ三段の空也と同等のレベルにしてもらった。本当はトオルに命令をしたらアマ三段になるのだが、センターにそうしてもらったと言えば言い分が通る。
そこで棋力はほぼ互角なのだが、なんの感情も表さないままに―仄かながら喜怒哀楽の表情が時折出ることはあるのだが、ちらりと上目遣いに相手の顔を盗み見るなどは間違ってもしない―大石を捨てたり、これは空也はいいとして、ごっそりと取ったりもママある。
こういう場合、人間同士の戦いなら相手が驚き悔しがるのをみる快感がたまらないのだが、トオルにはそれが一切ない。取られた直後、いささかの動揺もみせずに新しい局面に打ち込む。不気味というのはそれである。
お、振り替わりか、はたまた大逆襲かと一瞬どきりとするのだが必ずしもそうではなく、そのまま空也の快勝となるケースも多い。要は、取られてしまった石を嘆くのは外れ馬券をとっておくのと同じ、全くの無駄だからであろう。
(口惜しくないか)
(わかりません。お父さんは、口惜しいといって欲しいのですか)
(ん・・・いや、いい。言わなくても)
石を取られたら常に口惜しいといった方がいいのですか?
次にそう問い返されるのが経験的に空也には知っていた。それに逆襲のための捨て石という場合もあるのだ。だから一律に「口惜しい」といっては虚言になる。
ならばゲームに関しては虚言は許すといおうか。
しかし、インストラクターのアドバイスは「奨めれません」というものだった。その理由は空也にもわかった。人間同士であればその中に楽しむという要素が含まれているのだが、トオルにはそれは無理だろうし、怖い。ここまでの嘘は許すという線引きをどう教えればいいのか。そもそもゲームか否かの判別をどうする。
インストラクターはこうもいった。
(石器ロボとちがって、ゲームというのは製作でも結構考えさせられたようです)
大原則として、「勝つ」ということをうち立てております。自分が楽しめは無理ですが、相手を喜ばせろ、というのも入れてはおりません。
(だっていやでしょう?)
そりゃそうだ。いやらしいもの。しかし子守ロボとかお年寄りの介護ロボはどうなの。わざと負けてやって喜ばせるというのも時には必要なんじゃないですか?
(どうすれば喜ぶかというのがうち立て難いものですから、やはりワザマケはしません。ただし、考慮時間を極々短くさせるなどのハンディを与えることで調整はできます)
なるほどね。
(囲碁、将棋、これらはそもそもが難しいので問題はありません。ハンディをつける方法が出来てますし。しかし、純粋な記憶を競うゲーム、例えばトランプの神経衰弱。これはもう人間は叶いません。負けず嫌いの方はお止めになった方がいいですね(笑)。もっとも、完璧な記憶に対してどの程度戦えるかという挑戦が面白いという人もいます。ポーカーは強いですよ。一発勝負は別ですが、徹底した確率計算と持ち前のポーカーフェイスがモノをいうのでしょう。ただ、ブラフへの対応ができませんのでマスターにも勝つチャンスは大いにあります。概して勉強になるが面白みに欠けるという評価のようです。そんなこんなで、ゲームや遊戯への対応をどうするかはロボの近未来のあり方を考える上で、非常に示唆に富むことなんです)
たしかに示唆には富むわな。遊びの心がわかれば小説だって書けるようになってしまうじゃないか。遊びというのは創造だからな。そうなれば俺は失業だ。
(実際、そこを越えたロボはシーザーと呼ばれることになるでしょうね)
シーザー? なんだい・・・あ、そうか。最初に人間の言葉を話した猿、あれか。
(そうです。昔、猿の惑星という映画がありましたね。あれに登場するシーザーのことです。コンピュータの得意な方なら、CPUがスーパーニューロン、ボディにフジ樹脂。何かが期待できるのじゃありませんか)
研修室に奇妙な沈黙が流れた。
(ははは、冗談ですよ。いや、本当に冗談です)
冗談なもんか。わからないというのが本音だ。
サポートセンター専用のウエブ掲示板には目撃情報が集まっていた。
――○月○日15:55。NYとついた野球帽をかぶった子でしょう。14:50頃、駅前市場の八百屋さんでみました。
あ、これか。トオルだよ。
――ネギの束を抱えていたわ。十束くらいも一緒に。マスターはよほどネギが好きなのかしらん。それともどこかの焼鳥屋さんのお手伝いさんなのかしらと、少し笑ってみてました♪。
ネギを十束もだって? おかしいな。ひと束といったんだ。復唱させてみればよかったな。でも聞き返すはずだ。これまで十束なんか買わせたことがないんだからな。あ、小野さんから聞かれた変調の兆候といえば、これなんかそうか。
――○月○日15:58。歩き方がとてもいい。14:55ころ駅前を西の方に歩いていくのをみたが、新しいタイプなのか、チューニングがいいのかと少しみとれていたよ。
まちがいない。うちの子だ。もともとダントツに歩行がうまいのをオプションソフトで更にチューニングしたんだ。なんてたって歩行のスムーズさというのは生命線だから頭脳やフジ樹脂を活性化させるというし。
――○月○日19:55。失踪だなんて信じられないが、うちのも心配になるからなにが原因でそうなったのか心当たりがあれば教えて欲しい。
こんなときになんて薄情なやつだ。わかってもこいつにだけは教えないぞ。
トオルは依然として帰ってこない。センターにも入信がない。どこでどうしているのかと思うと空也は悲しくって仕方がなかった。カメは起こしてやったが、首を竦め手足を縮めてうずくまったままなんだか寂しそうだった。
「寂しいよな。トオルボッチャマが帰ってこなくて」
空也は甲羅の部分を掌でぴたぴたと叩きながら慰め顔でそういってみた。しかしカメはピクとも動かなかった。そういうものなのである。
そうこうしているうちに仙台に行っていた妻が帰ってきた。扉の暗唱キーを叩く音が聞こえたときは、一瞬、トオルかと思い腰を浮かしたのだがそうではなかった。
「ただいま。十一月ともなると仙台は寒いわ。こっちの暖かさがありがたいわね」
「ああ、おかえり。お義母さん、どうだった」
「まだまだ大丈夫よ。でも疲れちゃったあ。あそこでこそロボを買えばいいのに」
「そうだよな。もう補助が出るんだし」
「そういってはおいたんだけど、一度トオルちゃんを連れて行って見せようと思うんだけど、いいかしら」
「いいとも。しかしミキさんもマスオさんもご苦労だな」
「それはいいのよ。あの子は好きで家を継いだんだから」
へえ、そうなのか。
「それにお祖母ちゃん、年金をすごくもらってるの。ミキとマスオさんはずいぶん貯め込んでいるはずよ」
「あ、そう」
「トオルちゃんはどうなったの。その後、なんとも?」
「ああ、なんともだ」
「失踪証明をだしてもらって、もう保険金を受け取ったらどう。少しくらい損してもその方がいいのじゃない」
この女はどうしていうことにまとまりがないんだ。今、自分の実家に連れていきたいといったばかりじゃないか。
空也はむっとしたふりをして答えないでいると、ヒロはちょっと肩をすくめた。
「ちょっといってみただけよ。でも、もう海の向こうなんじゃないの」
「海の? いったろう。センターからもらうのは情報だけじゃないんだ。バッテリーの充電も電波でもらうんだ。トオル用の電波は日本でしか出してないし、出せないんだ」
「でも、分解して調べるという目的だってあるのじゃない?」
「ハードのノウハウはもう公表されているし、ソフトは盗めないようになっている」
「怨恨のセンはないの」
「俺にか?」
「ないわよね」
馬鹿。
「シズは? あの後こないけど」
「ずっと部屋で頑張ってたみたいよ。今でも食事のとき以外は出てこないわ」
そうか。そういうことならトオルを手伝いに行かせるんだったかな・・・