トオルがいなくなった
駅前まで使いに出したあと空也はいつものように昼寝をしたのだが、一時間ほどで目が覚めたら、トオルが帰ってきてないことを知った。
シズにでも呼ばれていったのかな。
と思っているとピピピと鳴り、センターからだった。トオルがいるときはフラッシュにするのだが出かけると音響になる。みなトオルがやってくれているのだ。PCを叩くとソミック社の小野が現れ、
――もう一時間半も接続が断たれてますが。
空也はびっくりした。切断を指示した覚えがなかったからである。センターサーバーはロボの強力なサポーターであり、切断すれば個体の能力、とくに頭脳が半分以下になる。
――カメがひっくり返ってませんか?
「あ、返ってるよ。気がつかなかった・・・」
トオルが置いていったカメが食器棚の下で白い腹をみせてひっくり返っていた。
――交信が切れるとカメがひっくりかえるんです。
「そうだったね、忘れていたよ。なにしろこんなことは初めてだから。それで」
小野というサポート担当者は若いが、いかにもソミック社の社員らしい賢そうな顔をしている男だった。
――A500010号、トオル君でしたね。信号が絶えたのは今日の15:01です。その地点は今マップをみているのですが、同じ物をそちらの画面に出していいですか?
「ああ、そうしてくれ」
空也のPCの画面は32インチの大きさで小野の顔がスケールダウンして右下におりると中央にマップが現れた。アローが動いている。
――ここが内山さんとトオル君のお住まいで、奥さんたちは、ここですね。
「そうです」
――信号が途絶えたのはここなんです。
「おかしいな。そこは通らないはずですがね」
――そういう指示は出してないのですね。
「うん。八百屋に行かせて、ここです・・・こう通って帰ってくるはずですから」
空也もアローを出してルートを示した。
――八百屋ではネギを買ったようですね。目撃した人の証言がもう掲示板に出てました。
「そうですか。あとで見てみます」
――この、ちょうど信号が消えたところ、ここにはなにがあります? 小さな三角地帯がありますが周りは畑のようですね。
「そうです・・・あ、そこに墓地というか古い墓石がいくつかあったな」
――お墓ですか。トオル君にみせましたか。
「散歩のついでになんどか。お墓がなにか? まずかった?」
――いえ。発売当時はループしてしまうケースが結構あったんですが、集中的に刈り取りましたから最近ではありません。八百屋へのお使いはこれまで何回くらい験してますか。
「そりゃもう、何十回とです」
――これまでなにか事故は、つまり時間がかかりすぎたとか帰ってきてから内山さんが質問をうけたとか。
「ちょっと時間がかかったなあ、ということはありましたが、聞くと、たいてい他の買い物客に聞かれたとかだったです。興味半分にでしょうね・・・」
――失礼ですが、誤解し易い言葉で指示をしたとかはありませんか。復唱はさせてますか。
「いえ、最近はしてないね。でも、これまでも結構複雑な条件もつけてるけどノーミスですよ」
――そうですか。すると問題はなぜ帰りのルートを外れたのか。そして内山さんの指示無しでなぜセンター交信を断ったのかということですね。後者の方が深刻なのですが、前者と関連があるのかもしれません。
「事故は?」
――はい?
「車に刎ねられたとかだけど」
――いえ。いきなりローラーの下敷きになったというのならともかく、頭脳部は特殊合金で保護されてますから、ちっとやそっとでは壊れません。最悪、連絡をする時間だけは十分に稼ぎます。
「そうだったよね・・・それじゃ例えば、途中で交通事故の負傷者に遭遇したとかは? どうなんだろう。貢献するんでしょう」
――ええ、貢献します。ただし自ら治療処置まではしません。政府の発注で大量に製作した介護形のHタイプは別ですが、それ以外のタイプはしてはいけないことになってます。
「え? そうだっけ・・・それじゃ、わたしが階段から落ちて怪我をしたような場合はどうなるんだろう」
――内山さんの指示に従います。包帯を持ってこいとか、それでここを縛れとか、救急車を呼べというような指示ですね。
「わたしが意識不明で、ロレツが回らない状態だったら?」
――内山さん。こちらからお渡しした腕時計をはめてますよね。そこからの電波でロボは常時内山さんの体温、血圧、脈拍を把握してます。時計を外していても十五メートル以内なら呼吸音を聞いていますので、異常と判定すればすぐに接近して安否確認を取ります。額に掌を触れれば脳波もすぐに解析しますから症状の軽重がわかります。
「思い出した。呼吸をわざと止めるやつ、やったよ。研修のときに」
――そうです。呼吸脈拍に異常があって且つ呼びかけても十秒以内に指示が返ってこない時には、こちらと救急センターに即刻同時通報します。
「そうか。根が丈夫なものだからいい加減に聞いていたよ。しかし負傷者が傍にいて周囲には誰もいない。負傷者が苦しそうな声で何かを依頼したらどうなるんだろう」
――依頼の内容によりますが、従います。
「そのときに、わたしが、この仕事は急ぐのだから道草をくわずに直ぐに帰ってくるのだよ、と指示していたら」
――迷ったらマスターに連絡をして指示を仰ぐ、というのはどの場合でも同じですよ。電話か腕時計に伝えてきます。
「連絡しても僕が応答しなかった場合は」
――さっきいいました脈拍などがおかしくて応答しない場合は別ですが、負傷者の要請を優先しますね。失礼ですが内山さんその時間帯はどうしておられました?
「昼寝してたな。時計は外してないけどバイブは来なかったと思うがなあ。遠慮ってするの? トオルは」
――マスターに不快を与えないという条件がありますから、一定条件までは自己解決しようと努力します。そうでしたか・・・
「遠慮は要らないといっておくんだったかなあ」
――初めの三ヶ月ほどはその方が良いのですが、マスターとの日頃の接し方で少しずつ要領を覚えて自己調整をします。それってとても大事なんですよ。ですから一概にはどちらともいえません。
「さっきの話だけど、負傷の実際の程度はロボには判断ができないんだろう。極端なことをいって、仮病でばったりと倒れてみせるようなことをやったらどうなる?」
――論理的にアントルーな場合は別として、ロボは人間は嘘をつかないものと考えるようになってます。ですから、それで騙されていうことを聞いてしまうことはあります。
「優先順位は、一、法の遵守、二、マスターの保護、三、マスターから受けた指示だったよね」
――そうです。
「マスター以外の人間からの指示・要請というのが次だっけ」
――サブマスターが間に入ります。四です。
「そうか」
――サブにどなたを指定されたかはご記憶ですよね。
空也は妻と娘を指定したことを思い出した。しかしセンターとの切断のみは許可外としていた。機能の半減というより生命線でもあったから。
「サブは覚えてる。ええと、わたしの指示は肉声でなくてもいいんだよね」
――そうです。電話で指示する場合がありますから。
「それじゃ、録音でも?」
――はい。性能のいい録音機なら可能です。なにか心当たりがありますか。
「それはないね」
――切断のような重要事項はロボも聞き返してきますから、応答のインタバルにすこしでも不自然さがあれば指示には従いません。
「そうか。じゃ、無理だな」
どのみちヒロやシズがやるはずはないんだ。喪失保険で全額がもどらないのは知ってるんだし、それにトオルがいなくなったら自分たちも困るんだから。
「事故でなくても、親切というのはどうなってたっけ」
「能動的な親切はむずかしいです。人間でもよかれと思ってやったことが、余計なことだったという場合がよくありますから」
「でも、言葉で言われた場合は? つまり道案内を頼まれたような場合だけど」
――一、二に抵触しない限りは奉仕します。ただし、三と四があれば、そこで判断が入ります。つまり予め、途中で誰かに話しかけられても断って帰ってくるんだよ、などといわれているケースですね。
「あの日は、特にはそういう指示はしてなかったな。誰かに話しかけられたとかの記録はそちらにはないんだっけ」
――ええ。ロボの会話記録は映像も含めてセンターには残してません。初めの三年ほどはサポートが重要でしたからやっていたんですが、問題があるということになりまして倫理委員会の方でそう決めました。
「プライバシーの関係だったっけか」
――そうなんです。
「そうか。弱ったな。やられちゃったのかなあ。誘拐というか窃盗というか」
――切断時の波形の落ち方をみた限りではその可能性は小さいです。念のため保険会社にさっきいわれた負傷者などとの遭遇はすぐ調べさせます。ご心配でしょうがもう少しご辛抱ください。エネルギーが切れるMAX二週間目、状況にもよりますがそれがひとつのヤマです。
辛抱しろといわれてもなあ。あれがいないと困るんだ。
沈んだ気持ちがうち消せなかった。
あそこまでには教育にも手間がかかったし、というよりは、なんだか育て上げた子どものような気がする。可愛いし健気なんだよ。
トオルは空也が眠れば自分は隅の籐椅子にぽつんと腰掛けたまま、規則正しい小さな寝息をたてて(もちろん人工的なものだが)目を閉じて眠る。それでいて空也が、寒いな、などと寝言半分にでも呟けば、間髪を入れずに立ち上がって毛布などをかけ直してくれるのである。
(ありがとう。すまないね)
――いつでも・いつまでも―
ソミック社のCMではないが、これこそがロボだとわかっていても空也はそういわずにはおれなかった。