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トオル号一話 失踪  作者: 伊藤むねお
1/6

朝のしごと

 2025年11月


 ドアの外から、ぴぴぴぴぴぴとパスワードを叩く音が聞こえる。

 時刻は朝の8時。

 ただいま。

「ご苦労さん」

 帰ってくると室内の暖かく湿った空気に触れ、トオルの顔が薄く汗ばんでいる。

「外は寒いか」

「4度でした」

「そうか。11月だものな」

 いつものとおり空也(くうや)はパソコンに向い朝のニュース、昨夜のスポーツ、本日の自分の予定などを見ていた。

「まだ寝ていたか」

「はい。お母さんもシズ姉さんもまだ寝ておりました。でもシズ姉さんは起きてきてゴミ詰めを手伝ってくれました」

「そうか」


 トオルはいつも朝5時半に起き空也のアパートの清掃を始める。チリひとつ見逃さずにほとんど音を立てないでやってしまう。効率のよい動きで2DKの部屋などはたちまちの内に完了する。そこでゴミを集めて近くのゴミ出し場に持って行くのだ。

 それが終わった6時ごろ空也が目を覚ます。すでに暖房が入っていてうんと心地よい。

 その気配を察知したトオルが挨拶をする。

「おはようございます」

「おはよう」

 ベッドの上でトオルの差し出してくれた自然水を飲む。夏は冷水を冬季は少し暖かい水である。

「うまいな。はい、ありがとう」

「今日はごみ出しの日ですので、お母さんの家に行って来ます」

「あ、そう」

 短い会話が終わると、トオルはすぐに空也の妻と娘が住む「実家」に行く。三百メートルもない近所である。

 今日の金曜日はカン・ビン・古紙の日だが、トオルにとっては「実家」のお掃除の日でもあった。例によって正確且つ手早く終えてきたのにちがいない。もっとも女ふたりが排出するビン・カンなどはたかがしれている。


 トオルは背中におんぶさせていたカメをフロアに置くと手を洗い、すぐに空也の朝食の支度に入った。献立は出かける前に決めている。最初は空也が指示をだしたが、3ヶ月もかけたらトオルがまずメニューを提案し空也が承認するのが現状である。本日はトーストにカリカリ焼のベーコンとエッグ、それに80度に暖めた牛乳、小匙スリキリのキビ砂糖を入れる。それとレタスサラダ。サラダにはハーフカロリーというマヨネーズをかける。

 キチンをみると、調理台の下にはもうカメがすりすりと移動している。その様子が空也にはおかしかった。トオルの作業を先読みしたように調理台と食器棚の間を移動するのだが、カメもまたロボでトオルの指示で動いている。つまりトオルの体の一部なのだ。しかしそれがわかっていても、空也は、

「なんて気が利くヤツだろう」と感心してしまう。

「お父さん。牛乳が二百ミリリットルしか残りませんが、今日買っておきますか」

「買ってくれ。今のの前のやつ、なんといったけかな、あれがいい」

「岩手のコイコイ・ミルクです」

「それだ。なかったらなんでもいいけどね」


 すみれ色のコールフラッシュが遠慮がちに室内に反射した。どこからだろう。原稿督促かな、まずいなあ。あいつは朝も夜も関係なく電話を寄越すから・・・

「お母さんの家からお電話です」

 あ、なんだ・・・

「用件を聞いてくれ」

「もしもし、トオルです。いいえ、どういたしまして・・・ええ、その乾電池はまだ使えますからもどしました・・・はい、そうです。新聞はラックの中に畳んで入れておきました。それから冷蔵庫の中に賞味期限が切れているものが複数ありましたので赤い付箋をつけました・・・はい、そうです」

 トオルはそういいながら、空也の白いカップに80度の牛乳を注いで砂糖を容れた。ふた月前あたりから、二つ以上のことを同時にできるようになった。

「お父さんは机にいます。はい・・・ベーコンエッグを作りました。・・・はい、塩は振ってません・・・はい、僕が用件を聞いてくれといってます」

 両手が空いているから語りながらスプーンでゆっくりとカップを掻き回す。カチカチという縁に当たる音がしないのは不思議だが・・・巧いもんだ、と空也は思う。

「少しお待ちください。お父さん。お母さんがお話があるといってます」

「あ、そう。いいよ」

「では、そちらに切り替えます」

 PCから妻のヒロの声が流れた。映像はない。起きたばかりだからというのだろう。

 ――シズからなんか頼まれていない?

「いや。なんにも。昨日来たけどな」

 ――シズに一週間ばかり、トオルちゃんを貸してやって欲しいのよ。今朝来たらいうつもりでいたんだけど、あんまり早くて起きられなかったわ。

 あんまりっても、もう七時半だぞ。

「どうしたんだ」

 ――論文がまとまらないっていうのよ。

「まとまらない? 校正とかならともかく、それは自分でやらなくちゃ意味がないだろう」

 ――そういうと思ったわ。冷たいのね・・・いいわ。あのね、昨日の夜遅くに仙台から電話があったの。ミキがマスオさんと北海道旅行するからその間の母の介護頼むって。

「そうか。おれは構わないよ、行ってやれば。お義母さんによろしくいってくれ」

 長くても一週間ほどだから、といって電話は切れた。

「トオル。聞いてたな」

 と尋ねるまでもないのだが、これはトオルとのコミュニケーションというものだ。人間には人間のリズムというものがある。

「はい」

「それから。シズが昨日来てたろう。今朝も会ったといってたが、おまえになんかいってなかったか」

「シズ姉さんは、お父さんに内緒で手伝って欲しいことがあるといいました」

「・・・どう返事した?」

「内緒ではできません、と返事しました」

「そうか。それでいいよ」

 どうして俺に内緒なんだ。しょうがないやつだな。

 空也は面白くなかった。トオルがちらりと空也の方を見たような気がした。

 なんとなくシズをヒイキしてるのか・・・

「今日は面白いテレビ番組があるかい」

「はい。録画ですが、午後七時から鬼平があります」

「お、いいな。いつのものだ」

「お待ち下さい」

 トオルは少し耳をすます表情になった。センターを通して調べているのだ。

「2020年の制作です」

「三代目のやつだな。見るからね」

「わかりました。十分前にお知らせします」

 まったく、女房なんかよりナンボかいいよ。この子は。



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