三丁目
あまり長くない、まあちょっとした短い文章です。
八月十五日は初盆であった。私は墓石に彫られた文字に向かって立っていた。そこには新沢家とある。この前掃除がされたばかりだから、両隣りの家のものに比べるとなかなか綺麗である。得意な気持ちでいたのは事実だったが、比べられる他家の皆さんがかわいそうなので、申し訳ありませんがと付け加えておく。
しかし実際には磨かれた御影石を見てもあまり気分が晴れるものでもなかった。立派な墓石は誇りには思えるが、私の入るべき場所ではないように感じていた。
私はある種の不安のために、そうした気分になっているのだと気づいている。しかし、そのためらいを拭うために確かめなければならないことがあることもまた知っていた。
墓石の近くで、蟻が蝉の死骸にたかっている。私はそれを快く思わなかった。蝉の足が緩んで力無く広がっている。見るもの総てに有無を言わさず死を意識させる姿、仰向けになった体に群がる黒い塊が、私を更に憂鬱な気持ちにさせた。
自ら望んで他の命を繋ぐ餌となるわけでは、きっと、ない。
それでも私は自分に機会のあることを感謝した。そして、現在の心境を余すことなく吐き出したのである。
私はあの一瞬をもう一度やり直したいと思っていて、反面、そう考える自分を最低な男だと嫌悪している。どうすればいいのかわからないから、もう一度あの場所に行く必要がある。
私はこんなことを話したのだと思う。けれども一通り話した上で、不安が完全に消えるものでもなかった。
「先祖のみなさん、わざわざ聞いてくれてありがとう。はっきりとはわからないのだけれど、不安が和らいだような気がするよ」
曇り空が覆う街に歩いて行かねばならない。私は墓石に背を向けると、足の動かし方を確かめるかのようにして小刻みに山門まで歩いた。
門を出ると三丁目へ繋がる通りはすぐである。三丁目に出る直前に交差点があり、私の実家はそのやや前にある。
道中目に入る、あまり変わらない通りの様子は愛しさよりも味気なさを感じさせた。何も変わらない様子が私にはかえってつまらなかった。いっそ、何もかも変わっていればよかったのにと思った。しかしその思いは、自らを苦しめるだけだった。
実家には、家族や親族の姿はなかった。連絡もしないので、居なくても仕方がなかった。車が無く、おそらくは出かけたのだろう。玄関前に白い提灯を認める。私は睨むようにしてそれを見つめた。
裏口に回る。ここでは、隣の犬に吠えられるのが不快だったので、一度、家の横付けの庭に移動することにした。
庭は西向きの縁側に繋がっている。私は縁側にのそりのそりと近づいて、屋内に接続するガラス扉の鍵のかかっているかどうかを確かめた。
結果として、鍵はかかっていなかった。
「不用心だな」
私は家族の目こぼしを指摘しなければならないのを多少気に病んだ。今の私にとっては関係ないのかもしれないのだけれど。
家の中はそこそこ片付いていた。久しぶりに訪れたので、どのようになっているだろうと思っていたが、あまり変わらないようである。畳の部屋にいくらか見慣れない荷物が散らばっていたので、親族が来ていたことがわかった。私は強張っていた表情が少し緩んだ気がした。
そうして私は三丁目へと繋がる道を歩いた。車と、人とがまばらになる道である。とても嫌な景色だ。この先に進むのはひどく気が引けた。
交差点の信号が私を引き止める。以前は無かったものだ。この信号はあの時から新しく取り付けられたものである。誰もいない通りで信号だけが明るく光っている。このままずっと押しとどめてくれればいい。
私は……。
ふと、曲がり角に花束が置かれているのを見つける。近づいてみると手紙が添えられているのに気がついた。
新沢治郎様へ
事故に巻き込んでしまい本当に申し訳ございませんでした。もし、あなたが私を庇わずにいたら、あなたを巻き込むことがなかったと後悔しています。
私は高校生になりましたが、本当にこれでよかったのだろうかと、とても迷うことがあります。こんな形で申し訳ありませんが、どうか感謝の言葉だけは述べさせて欲しいのです。
ありがとうございました
私は立ち上がって、もう一度花束を見つめた。そして、これを書いたであろう少女のことを考えた。建物の影から覗く空。雲を裂き光が舞い込む。その先は、涙で霞んでよく見えない。
味気ないとすら思えた街並みが、私にとっていかに大事だったか、今さらになって気づいた。
けれども、後悔や、自責や、助けなければよかったという思いはもう感じなかった。その時私は確かに報われたのだと知った。
蝉の声がいつまでも響いていた。
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