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097:【PIRLO】この街を覆う闇の深さをDYRAとタヌは知らない

前回までの「DYRA」----------

食事を終えたDYRAとタヌは、市庁舎へ呼ばれていたサルヴァトーレと別れた。市庁舎正門前がどこか騒がしいのがふたりの目を引く。一方、山の中腹で深夜何が起こったのかを密かに調べていたマイヨは、生体端末との情報同期を試みたとき、苦しみだしていた。

 サルヴァトーレは市庁舎の建物に姿を見せていた。今は受付脇の別室に案内され、待たされていた。小ぶりながらも豪華な天井のシャンデリア、桃花心木でできた扉や、テーブルなどの調度品は、この部屋がそれなりに大切な客を待たせるために使う場所であろうことを告げている。告げては、いる。しかし、それでもである。

 テーブルに置かれた時計を見ると、時刻は二時を指していた。ここに来てからざっと二時間近く過ぎているではないか。サルヴァトーレは両腕を組んだまま、時折、時計とシャンデリア、部屋の扉へと視線を往来させる。

 そもそも、「来てほしい」と言ってきたのは市長の方だ。それも、今日の今日。だから来たのに、待たせている間、茶菓子の類すらも出さず、放置とはどういうつもりなのか。

(DYRAとのデートを邪魔したくせして)

 外がやたらと騒がしく、市庁舎の門越しに何やら市民と役人とが押し問答が繰り広げていることも知っている。それでも、彼らへの対応が手間取ったから待たせたなどと言ってきたらどうしてくれようか。一体何様のつもりなのだ。そんなものは言い訳の一つにすらなり得ない。そもそも自分を待たせて良いのはDYRAだけだ。

 サルヴァトーレが視線をやった時計の針が二時半近くを示したとき、桃花心木の扉を二度ほど軽く叩く音が聞こえた。

「失礼致します」

 外から声が聞こえ、続いて扉が開く。サルヴァトーレはちらりと視線をやった。姿を現したのは、三つ編みをまとめている髪型とブラックオパール色の瞳が印象的な、背の高い小間使いだった。

 服装はともかく、サルヴァトーレにとって知らない相手ではない。

(ISLAはやはり、動いている、か)

 見えないものが見え始めるのではないか。サルヴァトーレは思わず笑みを漏らしそうになるが、グッとこらえた。

「こちらへどうぞ」

 どう聞いても男の声だった。サルヴァトーレはそんなことを思いつつ、ゆっくりと席を立ち、廊下を、小間使いの後についていった。

「こちらのお部屋でございます。どうぞお入り下さい」

 小間使いは立ち止まると、大扉を開いた。

 サルヴァトーレは扉の向こうの部屋へ足を踏み入れた。部屋は応接室というより、謁見の間とでも言えそうな広さを持ち、天井画も美しい。床に敷かれた敷物も絹の糸を使って丁寧に作り込まれたものだ。クリスタルガラスのシャンデリア、部屋の四角にある大きな金の燭台、そしてテーブルや椅子などの調度品。最高級品ばかりだ。だが、それらのすべてが成金ならではの悪趣味にしか写らなかった。

「サルヴァトーレさん。お待ちしておりました」

 声の主はルカ市長だった。部屋の奥にある大きなテーブルの、一番奥に着席している。その傍らには行政官アレッポが立っていた。

「エミーリエ。お茶とお菓子を」

 ルカ市長が伝えると、扉の前に立っていた小間使いは一礼し、部屋を出た。

「サルヴァトーレさん。改めまして、ピルロへようこそ」

 ルカ市長は立ち上がり、サルヴァトーレの方に歩み寄るが、その足は途中で止まる。

「ご招待、ありがとうございます。二時間以上、待った甲斐があったというものです」

 ほんの少し嫌味を込めたサルヴァトーレの切り出しに、アレッポは申し訳なさそうな表情をしてみせたが、ルカ市長は笑顔で返す。

「不愉快な思いをさせてしまって、本当に申し訳ございません。サルヴァトーレさんが来ることを市庁舎の人たちにもちゃんと伝えていたんですが、お恥ずかしい話、皆、サルヴァトーレさんのお姿を存じませんでした。それで、情報が自分まで上がってくるのに時間が掛かってしまいました。そこへ来て、今日は朝からちょっと騒がしくて」

「発展の早さを謳う街にしては、意外なことですね」

「お恥ずかしい限りですが、おっしゃる通りで、まだまだです。人の顔を正確に記録に残す方法とかがあればいいんですけど」

 肩をすくめてそう言ったルカ市長に、サルヴァトーレは戯けたとも、呆れたとも取れるような笑顔を零した。内心はもちろん違う。だが、それを人前で口にする必要はない。

「ところで……」

 ルカ市長は背筋を伸ばし直してから切り出す。

「あの、先ほどお会いしたときは思わなかったことなのですが……」

「何です?」

 サルヴァトーレが尋ねると、ルカ市長はサルヴァトーレに近づき、彼の顔を見上げた。アレッポも背が高いが、見上げるというほどではない。

「背が高くて、驚いちゃって。お店で会ったときは、女性の方とご一緒で、そんなに変わらない感じだったのに」

 そんな話はどうでも良いことだ。ルカ市長の言葉をサルヴァトーレは聞き流した。

 そのときだった。

「失礼致します」

 扉を軽く叩く音がし、続いて扉が開く。部屋の外から先ほどの低い声が聞こえた。扉の前に、銀色の盆を両手で持った、背の高い小間使いが立っている。ルカ市長が視線をやると、小間使いは部屋に入り、テーブルに菓子を盛った皿やティーカップなどを置いていった。

「どうぞ。お掛け下さい」

 ルカ市長がサルヴァトーレに着席を勧めた。

「では……」

 サルヴァトーレが言いかけたときだった。

 窓の外から人々の怒声にも似た声が聞こえてきた。市庁舎内でもここまではっきりといざこざが聞こえてくるようでは、客のもてなしがなっていないと言わざるを得ない。サルヴァトーレは、目の前の市長は現実を見ていないのか、彼らに知られては何か都合が悪いことにやはり手を染めているのではないかと考える。

「何か、賑やかですね?」

 サルヴァトーレは何も知らないと言った風に、声を掛けた。

「申し訳ありません。朝からちょっと、『家族が帰ってこない』とノイローゼ気味の人が来てしまっていて」

 そう答えたのはアレッポだった。

「朝からですかぁ。よほど、追い詰められているのかなぁ」

「かも知れませんね」

「でも、一人や二人じゃないみたいですよねぇ」

「え、ええ。ですが、大したことではございませんし、後ほど、市長の方からも市民へ説明する予定となっておりますので、ほどなく収まるでしょう」

「ふぅん……」

 どこか他人事のような感じが拭えぬアレッポの口調。サルヴァトーレはアレッポの答えを聞いているフリをして、目と耳をルカ市長の方へやった。

「……」

「かしこまりました」

 そのとき、ルカ市長は小間使いに何か耳打ちをしていた。小声だったので、意識していなければ聞き逃していただろう。しかし、サルヴァトーレの耳にはハッキリと聞こえていた。


「──あのラ・モルテ、必ず捕まえてくるのよ? いいわね」


 ルカ市長から離れ、部屋を去る小間使いの後ろ姿をサルヴァトーレは鋭い視線で見送った。

(あとは、私がどれだけ引きつけか、だな。ロゼッタも動きやすくなるはず。それにしても……ISLAめ。次に会ったら殺処分だな)

 鋭い視線のサルヴァトーレを、アレッポがじっと見つめている。今は波風を立てる必要もない。わざと気づいていないふりをした。




(会長がいらしている! 今のうちに)

 ロゼッタは、昨晩見つけた、レンツィ大公邸の壁の一角にあった隠し扉の向こうへと潜った。まず、この隠し扉の向こう側から屋敷の廊下がうっすらとだが見える作りになっていることに気づいた。昨晩見つけたときは、廊下も螺旋階段も暗かったせいか、これを見落としていた。隠し扉の取っ手を隠す部分だけ材質が違ったのは、こういう使い方のためかと理解した。

(なるほど。これで戻るとき、人の気配がないかを確認できるわけか)

 扉を潜ったところにある螺旋階段を忍び足で足早に下りる。灯りはなく、僅かに光る石の壁が頼りだった。階段を下り進めるに従い、ロゼッタは異変に気づいた。

 恐ろしく寒い。

 確かに季節は冬に近づいている。しかし、それを差し引いてなお、である。まるで、ここだけがもう真冬で、暖を取っていない部屋のようだ。

 下の階へたどり着くと、またしても扉が一つ。その扉の向こうから冷気がじんじんと伝わってくる。真鍮の取っ手を考えなしに掴むのは危険かも知れない。ロゼッタはエプロンで自らの手をきつく巻いてから、扉の取っ手を掴み、開いた。

 予想通りだった。素手で掴んでしまえば、氷をわしづかみするよりひどい目に、それこそ凍傷にでもなったかも知れない。

 扉の向こうを見たとき、ロゼッタは声を出してはいけないと、反射的に息を止めた。周囲は暗かったが、階段と同じように床や壁に使われている石が僅かに放つ光がささやかな光源となっている。故に、目が慣れれば見える。

(何だここは)

 秘密の通路というより、秘密の部屋だ。一歩ずつ進んでいくと、途中から一つ一つ厚手の布にくるまれた四角いものが大量に積み重ねられた状態で置かれているのが目に入った。布が覆いきれていない隙間から、冷気を放つ、半透明の白いものが見える。しかも、一つあたりの大きさが相当ある。枕を四つ並べて三段か四段に積み重ねたくらいはあるだろう。それが大量に並べられている。中には腰の高さまで詰まれた箇所もあるではないか。こんなものをいくつも運ぶとなれば、大八車や台車が必要不可欠だし、一体何往復すれば良いのだ。

(氷がこんなにたくさん? それも、形は寸分違わず皆同じ?)

 氷の形を整えること自体は、山のてっぺんにある大きな氷を持ってくれば決してできないことではない。しかし、これだけの数、という言葉がまさにふさわしい量だ。氷が、互いに互いを冷やし合うことで溶けにくくなっているほどに。

 これほどの量を山の頂上から運んで来るとしたら、目立つことこの上ない。そんなことをしていれば、噂の一つや二つが耳に入ってくるはずだ。しかし、少なくともロゼッタは、そんな話をこれまで一度たりとも耳にしたことはない。

 それは一体何を意味するのか。

 某かの方法で『氷を作ること』に成功しているのではないか。そう考えれば、辻褄が合うし、そうでなければ目の前にある現実を説明できない。ロゼッタはからくりの存在がチラついたことで逆に拍子抜けした。

(ピルロで雪菓子があんなに安い値段で出回るわけだ)

 ロゼッタは錬金協会に属していない。そのため協会がどんな研究をしているか、多くを知っているわけではない。けれども、協会の研究者が氷を作るのに成功したという話は聞いたことがなかった。仮にそんな話が出ていたなら、主から話が来るはずだ。

 かくも大量の氷を一体どうやって作っているのか。ロゼッタはそれを調べてみたい誘惑に駆られるが、それは命令に入っていない。そんなことより、今は先に片付けておかなければならないことがある。氷のことは錬金協会の人間で興味を持っているであろう誰かがいるなら、その人物が調べれば良いだけのことだ。

 次に、視線を氷から部屋全体へと移す。いくつもの積み重ねられた氷の山のさらに奥の一角に見えるものが目を引いた。高さが天井に届きそうなほど高い柱だ。透き通っている。氷柱だろうか。だが、目を凝らして見ると、柱の中か、向こう側か、影が見えるではないか。見方によっては、柱の中で人が浮かんでいるようだ。ロゼッタは一層警戒心を強めながら、一度壁際の方へ回り込んでから壁伝いにゆっくりと近づいた。

 視界が捉えたのは意外な、だが、顔を知る人物だった。

 目を疑うような光景に、思わず声を上げそうになる。それでも、見つかってしまえば元も子もない。グッと喉の奥へと押し込んだ。

 そこにあるのは、氷柱などではなかった。ガラスでできた柱だ。

(心の準備もなく、これを見てしまえば……)

 それを見ながら、ロゼッタはピルロがどうして錬金協会の人間を入れまいとするのか、密偵を見つけては見せしめのような形で殺しているのか。それ以上に、どうして協会とて秘密裏に放っているはずの密偵が次々と見つかるようなへまをしたのか。腑に落ちた。これを見て悲鳴を声を上げた、もしくは動揺を隠しきれずそこから発覚、捕縛されたのではないか、と。

 身の危険を感じたなら撤退することも許可されている。むしろ、それは命令に入っていた。ならば、もう一つの命令を遂行次第、即刻ピルロから脱出あるのみだ。

 この部屋に入るときと同様、誰にも見つからずに邸宅内へ戻ると、ロゼッタは物陰で身嗜みを整え直した。そして何事もなかったようにモップを手に、廊下掃除を始めた。

 ピルロで一体何が起こっているのか。これから何が起ころうとしているのか。主からの命令は果たした。この街は、為政者は一体何をしたいのか。今まで集めた情報から垣間見えるのではないか。ロゼッタはもう一度、ピルロに来てから今この瞬間までに見たり聞いたりしたことの中にヒントはないのか、思い返す。


「──ですが、あのような男をピルロに入れるなんて」

「──でも、あの男のおかげでピルロは今、とっても栄えているわ。他の街では絶対に無理な夜を照らす光も、庶民が決して食べられないはずの高級品も、お金では買えない貴重で上質な布も、すぐに手に入るじゃない。他にはないものでいっぱい。何が良くないの? 反対していたお兄様はホント、バッカみたいよね」


 ピルロが錬金協会と対立し、協会の密偵を見つけては殺している理由。それは、錬金協会と対立しているからではなく、もっと単純な話なのではないか。

 ものは言いようで、かくも単純明快だからこそ、大それたというより恐ろしい計画とも言える。それにしても、そんな計画を一人で思いつき、実行に移すことなどできるのだろうか。ロゼッタは廊下掃除の手を止めることこそなかったが、深い息を漏らす。

 ひょっとして、まだ名前すらも把握していない登場人物が他にいるのではないか。「あの男」という言葉があったのだ。少なくとも誰かがいると見て間違いない。話の流れから、その人物こそがピルロを栄えた街に変えた原動力とも言える存在ではないか。だとすると、それは自らの主にとって非常に面倒な存在となり得る人物ではないのか。

 ここで、ロゼッタはフランチェスコでタヌを庇って自分が腹部を刺されたときのことを思い出す。そうだ。自分を刺した人物は生きているのだ。

 ひょっとして、彼ではないのか。

 あの声はピルロでも聞いて、健在であることを確認している。しかし、本当に彼だとするなら、何をしたいのかが皆目見えてこない。

 ロゼッタはここであれこれ考えるのを止めた。自分の手元にある情報はあくまでも断片に過ぎない。集まった情報を元に考え、行動に落とし込むのは自らの主がやることだ。この後、淡々と廊下掃除にいそしんだ。


改訂の上、再掲

097:【PIRLO】この街を覆う闇の深さをDYRAとタヌは知らない2025/06/10 21:44

097:【PIRLO】街は騒がしくなる中、マイヨは騒ぎの裏側を暴き出す2024/12/22 19:39

097:【PIRLO】姿のない泉と(2)2019/03/25 23:00

CHAPTER 97 DYRA攻防戦Ⅱ2017/11/13 23:00

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