096:【PIRLO】街に流れる不穏当な空気は静かにDYRAとタヌにも迫ってくる
前回までの「DYRA」----------
DYRA、タヌ、サルヴァトーレは、遅めの朝食を採るべく、瀟洒なお店に出掛けた。そこで市長と行政官にバッタリ遭遇する。サルヴァトーレに市庁舎へ来て欲しいと誘いかける市長。そんな中、タヌは不審な点に気付いた。
食事を済ませた二人は、サルヴァトーレと共に時計台がある広場へと移動した。砂埃とも煙とも取れる何かはもう収まっているのか、特に喉が痛くなったり目がチクチクするようなこともない。空にも明るさが戻っていた。時計台を見上げると、時間が正午過ぎであることを示している。広場には昨日同様、老若男女が集まってそれぞれの時間を過ごしており、雪菓子屋も相変わらず繁盛している。
「へぇ」
サルヴァトーレは、興味津々とばかりに雪菓子屋の様子を見つめていた。氷を挟み込んだ装置についた取っ手を握ってぐるぐる回すと、見る見るうちに氷が雪のようにふわふわになっていく。
「あれが、DYRAが昨日言っていた?」
「ああ」
話しながら、タヌはDYRAがマイヨと一緒の時間を過ごした話を思い出す。そして、マイヨがまだこの街にいてくれれば良いのにとも。そんな風に思いながら、大勢の人がいる広場を見回した。タヌはこのとき気づかなかったが、DYRAが僅かに眉間に皺を寄せてタヌを見る。
ほどなくして、見るものを見たとばかりに、サルヴァトーレがDYRAとタヌを見ると、いかにも今思い出したと言いたげな顔で告げる。
「そうだ。今のうちに市庁舎へ行ってくるよ。仕事の話なんてさっさと終わらせたいからね」
「サルヴァトーレさん。あの、ごちそうさまです。ありがとうございます!」
タヌは深々と頭を下げた。
「どういたしまして」
笑顔で返すと、サルヴァトーレはDYRAの横を通り抜けるように歩き出した。すれ違う一瞬、彼女にだけ聞こえるように小声で何かを耳打ちすると、二人から離れ、市庁舎がある方へと向かった。その背中を見送ったタヌは、このとき、DYRAが彼の後ろ姿をまったく見ていなかったことに気づいた。
「DYRA、どうしたの?」
「いや、何でもない」
タヌは気づいていないが、DYRAはサルヴァトーレが耳打ちした言葉に少しだけ苛立ちを抱いていた。
「私に隠れて、ISLAと密会なんて、考えてくれるなよ?」
DYRAは半開きの目で空を見上げた。タヌはちらりと目に入った彼女の横顔に、嫌なことでもあったのだろうかと心配する。
「あれ?」
タヌの声に、DYRAは視線を戻した。
「何だ?」
「ねぇ。あれ、ほら」
タヌは自分の胸元で小さく指差した。タヌが示した先には、市庁舎の門に集まる数名の市民の姿。食事に行く途中でも見かけたが、あのとき以上に人が集まっている。また、門を挟んでのやりとりも、食事前のときよりハッキリと耳に入る。
「──ウチの息子が帰ってこないんです!」
「──息子は山で働いているんですが、何かあったんですか!?」
「──心配で山の方へ行こうとしたら、市の職員の方が『入るな』って!」
「──何かあったんじゃないのかっ!?」
DYRAとタヌは顔を見合わせてから小さく頷くと、観光客を装い、ゆっくりと門の方へ近づいた。
「──ここから先は、立入禁止だ!」
「──帰った帰った!」
「──空が明るいうちに、市長からご説明がある!」
聞こえてきたのは門の向こう側にいる職員の声だった。聞く限り、市民と職員のやりとりは、険悪そのものだ。もはや押し問答と言ってもいい。
「何が起こったんだろう?」
「山で何かが、と聞こえたが……事故か何かか?」
殺気立った雰囲気の中から聞こえる会話に、DYRAが考える仕草をしたときだった。
「──何が起こったか教えてくれと言っているんだ!」
「──だから、後ほどご説明がある。質問はそのときに!」
「──説明を今すぐして欲しいんだ!」
激しいやりとりが広場の人々にも聞こえ始めたのか、広場にいた人々も吸い寄せられるように市庁舎の方へと向かった。二人はここで、その場から離れた。
二人は市庁舎の門から一番離れた場所にある広場のベンチに腰を下ろし、そこから野次馬の輪が大きくなっていく様子を見つめる。
「DYRA」
「何だ」
「あのさ。昨日の夜、サルヴァトーレさんが来てビックリしちゃったから、言いそびれちゃったことなんだけど……」
タヌのここまでの切り出しで、DYRAはタヌを軽く睨む。
「マイヨのことだな」
「うん」
タヌは頷いた。
「昨日も言ったけど、何か、マイヨさんは色々知っているんじゃないかって」
DYRAはそこまで聞いたところで、心なしか苦い表情でタヌを見る。
「サルヴァトーレと再会できただけでも幸運だと思った方が良い」
「そう言われればそうだけど」
「フランチェスコでのあのやりとりを聞いただろう?」
自分の母親があんな死に方をした。でも、あのときは何が何だかわからない中で、色んなやりとりが耳に入った。音の塊だった。今、DYRAから指摘されたことで、タヌは意味ある言葉として少しずつではあるが、もう一度、きちんと思い出す。
「RAAZさんの奥さんが……って話だよね」
「ああ。考えもなしにお前がマイヨへ近づいて『父親がどこにいるのか、知っていることを全部教えて下さい』なんて言ってみろ。どうなる?」
周囲を巻き込むことに躊躇しない面を持ち合わせているが、RAAZがDYRAを守るために行動していることはタヌとて容易に察しがつく。DYRAと行動を共にしていたからこそ、フランチェスコの地下水路では『逃げろ』と忠告してもらえたし、数日前の騒ぎでも、母親が事実上彼に対して刃向かっていたにも関わらず、自分には何も言ってこなかった。DYRAがいるからこその気遣いに違いない。それに甘える形で、マイヨにアプローチすれば──。
「た、確かに」
父親を捜しているからという理由で、RAAZが聞く耳を持つとは思えない。仮に自分がRAAZの立場だったら、自分の一番大切なものを奪ったかも知れない人間に頭を下げて助けや教えを請うなど、どうだろうか。仮に事情があっても好印象は抱かない。
「だが……」
「何?」
タヌが口元に手を当てて考えるDYRAをじっと見る。
「ものは、考えようかも知れない」
「どういうこと?」
DYRAは周囲を見回す。人々は皆市庁舎の方に集まっており、近くには誰もいない。人が植え込みの影や木に上ったまま隠れている気配もない。
「これはあくまで、私の勝手な想像半分だ」
「うん」
「確証はない。だが、あのとき、あの男、マイヨは私が『ここにいる』とわかっているような、どこか狙いすましたようだった」
「そうだったの!?」
「声が大きいぞ」
「あ、ゴメン」
「あの場で、この広場で別れて、もうそれっきりとはどうしても思えない。私たちがこの街にいる。ならば、まだあの男もいるんじゃないか? って」
「じゃ、捜そうよ」
「RAAZを怒らせたいのか、お前」
「あ……そっか」
タヌは話を振り出しに戻してしまったことに気づくと口をつぐんだ。
「タヌ。捜しにいくのはまずいが、あの男から来てくれる分には問題ない」
その発想はなかった。DYRAの言葉にタヌは目を丸くした。
「それっ……」
「良い意味でも悪い意味でも、この街に興味を示す振る舞いをすれば、案外あっちから来るかも知れないぞ」
その手があったか。
DYRAからの提案でタヌの顔が明るくなった。
「あの男。……RAAZから姿を隠したいなら、錬金協会の影響力が及ぶテリトリーからさっさと姿を消した方が良いはずなんだ。でもそれをやっていない」
「そうだね」
「恐らく、マイヨにはそれをやれない、やりたくない、やってはいけない、どれかの事情があるはずだ。だから、あのときも、危険を顧みずに表に出てきた。そういう見方をできる」
「じゃあ、もしかして、今も……」
「案外、どこかで見ているかも知れないぞ?」
ピルロの北に位置する、ネスタ山の中腹の一角に山を掘って作られた洞窟から、美しい刺繍が印象的な白い上着に身を包んだ、長髪の男が出てきた。青とも金髪ともつかない、透き通っているようにすら見える不思議な色の髪の一部を三つ編みにして垂らした男は鉄扇を手に持っている。
「えらい派手な爆発で」
DYRAとタヌが知る由もないが、マイヨは、二人が思っているよりも近くにいた。
洞窟も、その周囲もひどい状態だった。焼けた地面、焦げた木々や枝葉。周囲の土を見る限り、灰になっていないそれでさえ、山の土の色とは明らかに違う。飛び散った量も不自然に多い。明らかに最近盛られた大量の土だ。その土の間からところどころ、靴や指、四肢の一部などが見える。それも、一人や二人ではない。マイヨはこれらに着目した。
(これは事故じゃ、ない)
人為的に起こされた何かだ。
だが、この文明世界でそんな都合良くできる存在がいるのだろうか? マイヨはここで、それをやりそうな人物を一人、脳裏に思い浮かべる。が、すぐに小さく首を横に振った。
(違うな……)
ピルロが置かれている状況を、マイヨは思い出す。あの街はRAAZが主宰する錬金協会の影響を嫌がっていたはずだ。だが、錬金協会が何かやったというのなら、RAAZが動いているはずだ。しかし、そんな気配はまったくない。
今いるここの文明世界はまだ、アブラを入れたランタンで灯りをつけるようなレベルのはずだ。だが、ピルロだけは違う。マイヨは一つ一つを思い返し、頭の中で事象を突合していく。
(そう言えば……)
ここで滞在中に起こったある出来事を思い出した。同時に、この山の中腹で何が起きたのかを大体理解した。
(さしずめここが、ピルロの『魔法の答え』だったってワケか)
鉄扇で三つ編みを弄びながらさらにマイヨは考える。
(それにしても。錬金協会じゃないなら、これだけのものを誰がどうやって?)
情報のピースがどこかで噛み合わない。手持ちの情報だけでは辻褄が合わないと言うべきか。
(アレから情報をちゃんと回収できていないってコトか)
生体端末が集めてくる情報を一〇〇パーセント回収仕切れていないことに、マイヨは悔しさを隠せなかった。あれを使えば、一人の人間が体験する日常の一秒一秒に至るまで、情報共有が可能になる。だが、現状ではその情報を完全に回収する手段がない。自らと生体端末とを繋ぐ本来の場所でやりとりできないからだ。そうなると、適切な質問を設定し、有益な情報の概要をある程度回収する方が効率的だし、それが限界だ。
(今それなりに仮説を立てられるとすれば、錬金協会の影響を排除しているからと言って、彼ら以上の技術を持っていないとは限らなかったってことか。何てこった。そもそも文明レベルそのものについて情報収集をする設定をしなかった俺のミスだ。まったく、仕事にブランクを作るもんじゃないな。腹立たしい)
今は、情報を同期することによって行う回収は、生体端末が誰かと接触する心配がないであろう時間帯を使って、短い時間で行っていた。それでも、毎日はできない。別の人間の記憶や知覚、経験を取り込むのだ。取り込む自分への負担があまりにも大きい。
(けど、急ぎだからな。明け方狙いのシンクを待っている場合じゃない)
マイヨは懐中時計をポケットから取り出し、一瞬だけ見た。次の同期まで、半日以上の時間を待つわけにはいかない。
(シンク中に俺がエネルギーの充填をするわけじゃないし、今ここで誰かサンと一戦交えるわけでもない)
情報を集めるのに何ら問題はない。マイヨは決断した。万が一、誰かが通り掛かるような場合を想定し、焼け跡も生々しい森の陰に身を隠す。
(この山にある、洞窟の情報を──!)
マイヨの金色と銀色の瞳が一段と輝きを増す。やがて、こめかみのあたりが僅かに震えるような感覚が伝わってくる。マイヨの脳裏に、生体端末が今まさに見ている視界が克明に浮かび始める。そのときだった。
「ぐあっ!」
突然、マイヨの頭の中に凄まじい音と激しい頭痛が襲いかかった。
「ぐああ……っ!」
頭が今にも割れそうなほどの激痛に、その場に膝を落とす。
「な、何だっ!?」
電気すらも通っていない文明で、鳴音に遭遇すること自体が通常、有り得ない。一体何が起こったのか。それでも、激痛など気にしていられないとばかりに立ち上がり、森の奥の方へと移動する。こんな状態で、誰かに見つかるわけにはいかない。こんな文明レベルの住民相手でも、まずいものはまずい。ここにずっと立ち止まるわけにはいかない。本能で身体が動いた。
数歩走ったところで、マイヨを襲った謎の鳴音と頭痛は何事もなかったように治まった。
(な……何だったんだ?)
マイヨは歩を止めると、大木にもたれかかった。
頭痛は少なくとも、自然現象とは思えなかった。鳴音に至っては自然現象のわけがない。頭の中にマイクのハウリング音がけたたましく響き渡る感覚が体調不良だとしたら、どういう身体だ、ということになる。
「ったく……」
何が起こったのか考える。そもそも生体端末との通信は電波を使う類ではない。この文明の人間たちでは想像することもできない、光の粒を使ったものだ。本来属していた時代では『量子通信』と呼ばれているそれだ。繋がるか、繋がらないかの通信手段にノイズが走るとはどういうことなのか。
マイヨは彼なりに考えて一つの仮説を立てる。しかし、それはすぐに自分の中で受け容れられる内容ではなかった。
(けど、RAAZとは……思えない)
仮にRAAZが自分の存在を警戒していたなら、もっと早い、それこそ、自分がこ文明世界で目を覚ました瞬間から、量子通信を遮断する何らかの方策を採っていたはずだ。しかし、そんなものはまったくなかった。だが、彼が自分以外の誰かと量子通信でやりとりをしていた痕跡はまったくない。それどころか、通信の記録すら見たことがない。
仮に、RAAZではない誰かがいるとしたら?
少しずつ息を整え、落ち着きを取り戻す。自らの周囲で一体何が起こっているのか。今はとにかく情報を整理し、精査したい。マイヨは煙や煤を吸い込まないよう、左肘の内側を口元に当てて、軽く息を整えた。
「信じたくはないんだがな……」
たった一つの可能性が、脳裏に浮かんだ。
「いや、ヤツは……」
マイヨは憂鬱な表情を浮かべた。
改訂の上、再掲
096:【PIRLO】街に流れる不穏当な空気は静かにDYRAとタヌにも迫ってくる2025/06/10 21:42
096:【PIRLO】高級レストランでDYRAたちは市長と遭遇する2024/12/22 19:23
096:【PIRLO】姿のない泉と(1)2019/03/19 23:00
CHAPTER 96 DYRA攻防戦Ⅰ2017/11/09 23:00