092:【PIRLO】RAAZは夜の繁華街へ。DYRAもタヌの頼みで夜の繁華街へ……?
前回までの「DYRA」----------
夜、タヌは今までの手持ちの情報で、見落としがあったことに気づくと、DYRAに対し「マイヨに会いたい」と告げる。タヌを夜ほっつき歩かせるわけにはいかない。DYRAはタヌの要望に応えようと、街に出る。一方、RAAZはサルヴァトーレの姿でピルロ入りしていた。
ピルロの街から北側、ネスタ山の中腹の一角は、夜だと言うのに、息をすることもままならぬ有様になっていた。煙と夜の闇に紛れて姿を現した銀髪と銀眼を持つ男は、時々咳き込むながら、周囲で何が起こっているのかと興味を示した。
「何だこの煙は」
訝りながら、背中の荷物を背負い直すと、男は風上の方へと走った。進んで行くに連れ、白なのか黒なのかわからぬ煙が一層濃くなり、ただでさえ見えない視界を遮る。それでも見えなくなるのが目印とばかりに進んで行くうち、煙がもうもうとし、熱が感じられるところまでたどり着く。現場は近い。ランタンも手にしておらず、視界はほぼゼロも同然だったが、男はどこに何があるか見えているとばかりの体で歩き出した。
「この洞窟、か」
男が真っ暗な場所の一角を覗き込もうとしたときだった。
突然、奥の方からドンッという低い音が響き、足下が僅かに揺れる。
「ぁ?」
銀髪の男は、周囲の匂いを嗅ぐ。火薬ならではの匂いはまったくなく、ただ、木材が燃えて灰になっていく類の臭気に混じって、僅かではあるものの、覚えがある悪臭がした。この文明には存在するはずのないそれだった。
『……ベンゼン、だと? 愚民共め」
何が起きているのか、大雑把ではあるものの理解すると、口角を上げた。
男は何事もなかったように謎の低い音や震動、臭気があった場所から離れると、山の麓に見える煌びやかな街並みを目指して足早に山を下りた。
街への道が星明かりと街の灯とで見えるようになったところで、男は背負っていたものを下ろすと、慣れた手つきで留め具を外す。中からは白い四角い鞄と、襟付きシングルボタンの洒落たコートが出てきた。
時計台の時計の針が、長針も短針も空を見上げる頃──。
一人の男がピルロの街を広場の方へ軽やかな足取りで移動する。街灯が照らし出す容姿は、背が非常に高く、煉瓦色のややくせ毛気味の髪をハーフアップ気味にまとめている。襟付きシングルボタンのコートをボタン留めることなく羽織っていて、手には白い四角い鞄。
男はあたりを見回しながら、広場の一角にある時計台の方へ向かった。歩きながらコートのポケットを探ると、おもむろにタバコらしきものを取り出した。それを口に咥えようとしたときだった。
時計台の角あたりだろうか。人影が見える。周囲に自分とその人影以外に人の気配がないのを確認してから男はゆっくりと近寄る。人影を見たあたりのすぐ近くの壁に背を預けると、タバコを吸うフリをしながら小さめの声を発した。
「火、持っていないかな?」
ほどなくして、男が背を預けた壁から少しだけ離れた場所で「すみません。火打ち石はないです」という声がした。
返事を聞いた男は、おもむろに切り出す。
「ロゼッタ。奴がいたって?」
「はい、会長。『お客様』とすぐそこで」
低めの声で聞こえてくる報告を聞きながら、男はタバコを左手で握り潰した。
「内容は、聞いたか?」
「残念ながら全部は。ただ、あの男は『お客様』をどこかへ連れていこうと誘い、断られていました」
「不愉快というか、破廉恥な真似を」
男は吐き捨てるような口調で呟くが、すぐに何事もなかったように言葉を続ける。
「本題だ。あのレンツィって奴、本当のところ何をしたいんだ? 錬金協会と競争をしたいだけには到底見えないんだが」
「帰らぬ人となった錬金協会の人間が見てしまったものがその答えです」
女からの回答に、男は星空を仰ぎ見る。
「何を見たんだ?」
「証拠を」
「証拠、ね」
証拠を見てから捕まり、処刑されるまでの時間が一日とない。それほどまでにしてピルロが隠したいものについて、男は興味津々だった。
「ロゼッタ。お前はそれを見たのか?」
「いえ。ですが、それを巡るやりとりはすべて聞いております」
錬金協会とは別に、情報源となりうる人間を男は複数確保していた。もちろんピルロは他の街とは違うため、表立っての協力者ではない。が、それでも独自ルートである程度の状況を把握できるようにはしていた。それでも、詳細に踏み込めないのは面白くない。だからこそ、DYRAの動向を追うのを兼ねて彼女を送り込んだ。
「お前なりに把握していることを教えろ」
彼女はただ仕事ができるだけではない。一を聞いて十以上を把握してくる。それに加え、「多く」を知ってもなお、微塵も忠誠心揺るがぬ存在。ロゼッタが手ぶらであるはずがない、男はそんなことを思いながら報告を促した。
「行政官アレッポは、市長を殺したことで脅されています。脅しているのは……」
物陰から聞こえてくる女の声の報告。報告が進み、核心の部分が耳に入った瞬間、男は一瞬、吹き出しそうになるが、グッとこらえる。
「笑うしか、ないな」
男が感想と言うにはあまりにも素っ気ない一言を言った直後だった。
「それからもう一つ。恐らくこちらの方が大切かと。話の中で出てきたことではありますが」
女の声のトーンから、これから話すことこそ厄介事だろうと男は理解する。
「言ってみろ」
「はい。それが……」
内容は短かったが、男にはそれで十分だった。十分すぎるほど伝わった。
「なるほど」
男は何事もなかったように軽く息を整えた。
「ロゼッタ。お前は具体的な内容を、必要なら行動計画も含め突き止めろ」
「はい」
「次は明日、概ね同じ時間、ここだ」
「かしこまりました」
「最後に」
男は思い出したようにコートのポケットから小さな球状の何かを取り出すと、陰の方へ投げた。ほどなく、ぱしっという音が聞こえ、男は投げたものが無事に渡ったと理解する。
「外ならともかく、密室で琥珀をこするなよ? もう一つ。身の危険を感じたら迷わず手を引いてマロッタへ戻れ。そのときはこれをこの壁にぶつけておけば良い」
「かしこまりました」
「行け」
それからほどなく、男は周囲から自分以外に誰かがいる気配がなくなったことを察すると、何事もなかったように繁華街の方へと歩き始めた。
ロゼッタからの二つ目の報告に、男は内心、腑が煮えくり返るほどの怒りを抱いた。
「私の目が届かないからと言って好き放題とはな。せいぜいホムンクルス詐欺くらいで止めておけば大目に見てやったものを」
自らの感情を隠しきれなくなったのか、男は眉間に皺を寄せる。これからどうしてくれようか。そんなことを思い巡らせながら、繁華街へと足を踏み入れた。
「おや?」
喧騒の中から音楽や、談笑の声が聞こえてくる。男は自然とそちらに視線を向けた。
やがて、男の目は、酒場と酔っ払いの一団、そして女の姿を捉えた。面倒ごとだな、と認識した男の耳に、もはや音楽は入ってこなかった。
「やれやれ。……っと、そうだ」
男は思い出したように髪をまとめ直し、前髪に飾りピンを留めてから、一団がいる方へと向かった。
DYRAとタヌは、公開処刑などという、イベントと呼ぶには嫌悪感しか抱けぬところに居合わせてしまった後、夕方に宿屋へと戻っていた。部屋で軽く食事をし、これからどうしたものかと、各々考える。タヌは風呂に浸かって。DYRAはベッドの角に腰を下ろして。
浴槽で湯に浸かっていたタヌは、天井を仰ぎ見た。
「あっ」
前の日、風呂に入っていたときには気がつかなかった。まさか天井にガラス張りになっている箇所があったとは。タヌは驚きながらも、ガラスの天井の向こうに広がる星空を見つめた。
「父さん、どこにいるんだろう」
父親の居場所はもちろんだが、ここにきて、もう一つ気になることができた。
父は何故、姿を消したのか。
「お前の父親は、ラ・モルテと呼ばれる者が青い花びらを舞わせるたびに周囲が枯れ落ちていく現象の研究をしていた。平たく言ってやる。DYRAの不老不死を断ち切り、殺すための研究だ」
「どうして父さんが、DYRAを殺すため……?」
父親はDYRAを殺すための研究をしていたと言う。そう言い放ったのはアレーシだった。
アレーシ。それは母を誑かした挙げ句、殺した男だ。しかし、思わぬ形で発覚したその正体は予想、いや、想像すらできぬ存在だった。
「あーあ。生体端末だったってこともバレていたのか」
乗合馬車で出会った、アレーシと同じ顔と名前を持つ男、マイヨと名乗った人物はあの日、突然姿を現すと、そう言った。タヌに難しいことや理屈はわからない。それでも、状況と話の流れから、アレーシがマイヨの影武者か身代わりらしきものだったことは何となくわかる。
タヌは、風呂に浸かったまま何度か湯で顔を洗うと、ふぅー、と深い息を漏らす。
タヌはここでふと、あることに気づいた。どうしてあのときそれに気づけなかったのか。マイヨがアレーシを殺したときの様子から察するに、アレーシが知っていたことは、マイヨもすべて知っているのではないか。それも、かなり大きな手掛かりを持っているのではないか。
マイヨに会いたい。会って、父親に関することで知っていることをすべて教えてもらいたい。居ても立ってもいられなくなったタヌは、浴槽から出てバスタオルで手早く身体を拭くと、すぐに着替えを済ませた。
「DYRA!」
タヌは寝室の方へ足早に向かった。寝室の扉は開いており、ベッドの片隅に座っているDYRAの姿が見える。
「どうした?」
タヌの声が聞こえると、DYRAは手にした黒いメッセージカードを封筒に戻しながら返事をした。
「ねぇDYRA! 昼間、『マイヨさんに会った』って言っていたよね?」
「ああ。あの広場で会って、少しだけ話をした」
「どこへ行くとか、言ってた?」
「特に聞いていない。だが、どうして急に?」
「あのね、DYRA。今になって気づいたんだ。『遅い』って言われるかも知れないけど」
「言ってみろ」
タヌは寝室に入ると、DYRAと向かい合う形で隣のベッドに腰を下ろし、続ける。
「あのときの様子から、アレーシは、マイヨさんの影武者みたいなものだから、アレーシが知っていたことはマイヨさんも全部知っているってことだよね?」
DYRAは少し考える仕草をしてから、「恐らく、そうだろう」と返す。
「父さんはDYRAを殺す研究をしていた。……アレーシがそう言っていたけど、マイヨさんも知っていたことになんじゃない?」
タヌの言葉を聞いているDYRAは、気持ち渋い表情を浮かべる。だが、タヌはそれを見なかったことにして話す。
「マイヨさんが父さんのことで知っていること、全部教えてもらえないかなって」
「要するに、『マイヨに会いたい』と?」
「うん。DYRA、何か聞いていない? どの辺とか、どっちとかだけでも」
「すまない。それは本当に聞いていない。ただ、『長居するわけにはいかないようだ』と言っていた。それから『面倒を起こしたくない』とも」
DYRAの説明を聞いたところで、タヌはすぐに気づく。
「あれ。DYRA。今の話で行けば、今すぐいなくなる、とは言っていないよね?」
「お前……まさかとは思うが」
「DYRA。マイヨさんを探そう。この街にいるなら、ボク、マイヨさんに会いたい! できるだけ早く! ううん、今すぐ!」
時間が経てば経つほど、マイヨがピルロを出る可能性が高くなってしまう。だから、少しでも早く捜したい。タヌはその気持ちを言葉にのせた。
「おい。だが、こんな時間だぞ?」
「こんな時間だけど、馬車で出会ったときだって、遅い時間だったし、もう寝ちゃったとか考えにくいし」
DYRAは天井を仰ぎ見ながら考える。そんな彼女の様子をタヌはじっと見つめる。フランチェスコでのやりとりから察するに、RAAZとマイヨが一人の女を巡って因縁浅からぬ関係であることはタヌにもわかる。あろうことか、その女性はRAAZの妻で、マイヨの命の恩人。そして、DYRAと瓜二つ。確かにあの話は、彼女にとっては面白くないかも知れない。だけど、今、ここでDYRAに気を遣って、肝心な父親の消息を得る機会を失うことはあってはならない。タヌはそんな気持ちを前へ押し出す。
「タヌ。気持ちはわかる。だが、現実的な話、夜も遅い。こんな時間に、どこを捜せばいいのかもわからずやみくもに動くのは」
深夜に面倒事が起こったらどうする気だ? DYRAがそう言いたいのはタヌにもわかった。
「でも、動かないで朝まで待ったら、本当にマイヨさん、この街からいなくなっちゃって……」
トルドからピルロへ来たとき、乗合馬車も辻馬車もほとんど街を出る様子はなかった。だとすれば、夕方以降に出発するとは考えにくい。言い方を変えれば、明日の朝まで待っていてはマイヨがピルロを出てしまうのではないか。それだったら、騒ぎを起こしてでも、察知してもらう方に懸けた方がとさえ思うほどタヌは焦った。
DYRAは、タヌの感情を読み取ろうと、目を覗き込むようにして見ながら話す。
「タヌ。今からマイヨを捜すとしても、お前を連れてはいけない。理由は簡単だ。繁華街は昨日のあんな遅い時間でも人が多かった。それに、今まで訪れたどの場所よりガラが悪い」
タヌは、DYRAの言葉で昨晩の様子を思い出す。ピルロに来たとき、酔っ払いの多さが印象的だった。言われてみればその通りで、理性のない輩が数にモノを言わせて騒ぎを起こせば面倒になる。仮にDYRA一人ならどうとでもできるだろう。だが、自分が巻き込まれたり、人質さながらに楯として使われれば、足手まといになってしまう。
「まったく。私が行ってくるから、お前はここで待っていろ。もし見つけることができたら連れてくる。それでいいか?」
DYRAの返事に、タヌは自分も行くと言いそうになるが、喉のところでその言葉を押さえた。DYRAは自分の無理難題を聞き入れてくれたのだ。これ以上の無理を要求して迷惑を掛けるのは本意ではない。もし、サルヴァトーレがここにいれば何と言うだろう。
「ありがとう、DYRA。じゃ、ボクは部屋に鍵を掛けて留守番する」
「ああ。誰が来ても、私以外なら開ける必要はない」
DYRAは立ち上がると、窓際へ行き、カーテンを指でほんの少しだけずらし、外の様子を見る。誰かが見張っている様子などはない。
「行ってくる。戻りはかなり遅くなる」
窓際から離れたDYRAは、四角い鞄から財布と先ほど目を通していたカードの入った封筒を取り出すと、封筒を財布に入れた。そして、財布についている細い鎖を伸ばし、ポシェットのように肩から掛けると、その上に外套を羽織った。
部屋を出たDYRAは、夜の街へ足を踏み入れる。
残されたタヌは施錠を済ませ、部屋の灯りを点けたままベッドに潜った。いったん仮眠を取ることが最善の行動だと、自分なりに考えてのことだった。
改訂の上、再掲
092:【PIRLO】RAAZは夜の繁華街へ。DYRAもタヌの頼みで夜の繁華街へ……?2025/06/10 21:38
092:【PIRLO】DYRAはタヌのために夜、ヤバイ街の歓楽街へ2024/12/22 18:25
092:【PIRLO】闇の中にある闇(2)2019/02/07 23:00
CHAPTER 92 捜索と傷心2017/10/26 23:00