089:【PIRLO】二人はこのままではいけないと今後を考える
前回までの「DYRA」----------
市民を広場に集めて行われていたのは、「処刑」だった。DYRAとタヌはピルロの闇を垣間見、戦慄する。
歓声とも怒声ともつかない声が響き渡り、続いて拍手が鳴り響く。人々は興奮の絶頂にあった。
DYRAはタヌを振り向かせた上で、さりげなく、前で見たいとばかりに押してくる人々の間に紛れさせていた。タヌがもう一度前を見ようとしたときには、人の壁に阻まれる形となってしまい、何が起こっているのか見えなかった。
それが行われたまさにそのとき、DYRAは建物の最上階の部屋の片隅の窓から白い鳩が一羽飛んでいくのを見た。
(白い鳩と、首切り刑……)
あまりにも対照的すぎる。DYRAは興奮状態の人々の中にあって一人、険しい表情で空を見つめた。
人々の壁に阻まれて何も見えなかったタヌは、一瞬だけ目に入った、いつの間にか前庭で晒し者にされていた女性と、二本の柱に挟まれた刃から、何が起こったのか漠然とながらも理解した。しかし、それが意味することがわからない。どうしてそんなひどいことをするのだろうか。どうして街の人々がそんなひどいことに喜んでいられるのだろうか。普通に考えれば、人を殺したり、とんでもない金額のお金や宝物を盗んだり、人を騙して人生を破滅させたわけでもないなら、牢屋に閉じ込めるとかで良いではないか。
背中越しにではあるものの、タヌはDYRAがまとう空気を感じ取る。それは恐ろしいほどに冷静なそれだった。けれども、この熱狂の渦の中ではやはりそれもまた異質だった。どうして冷静でいられるのだろうか。
一方。
(見世物、か)
悪趣味でグロテスク。市長たちの行ったことといい、群衆の反応といい、DYRAはそれ以外に相応しい言葉が何一つ浮かばない。
それが終了してしばらくすると、人々は三々五々、本舎の前から散り始め、彼ら彼女らの日常へと戻っていった。このときの人々は皆、面白い観劇を終えたあとのようなスッキリした表情だった。まるで勧善懲悪がなされたことへの喜びそのものだ。彼らとは対照的に、二人は歩いている間、一言も発さなかった。いや、発せなかった。
移動する人々の流れにのって、二人は時計台の前の広場まで戻った。そして、時計台から一番離れたあたりまで来て、人の流れがすっかりまばらになったところでどちらからともなく口を開く。
「DYRA……あの女の人だけど」
「ああ……」
「やっぱり、そうだよね」
タヌは震える口調を隠さなかった。口調だけではない。動揺を隠しきれない。
「あの女。確かピアツァで」
DYRAはそう口にするのが精一杯だった。
先ほど人々を集めて開催されたのは、公開処刑だった。二人が驚いたのは、処刑された人物だった。二人がレアリ村を出て最初に立ち寄った小さな町、ピアツァで出会った女だった。タヌにとっては宿屋の食堂で出会った女であり、DYRAにとっては自分を狙いに来て失敗した挙げ句、RAAZとの再会に繋がるきっかけになった女。
DYRAはピルロへ向かう途中、御者から聞いた言葉を思い出す。
「錬金協会の関係者とバレたらあの街じゃ、市中引き回しでエラいことになるって話だ。しかも、その後は火あぶりか、断頭台で首をスパーン! ってな」
聞いたとき、物騒なことをする街だくらいに思ってはいた。それにしても、さすがにその現場に居合わせることになろうとは。これにはDYRAも慄然とする。
(あの死に方は、さすがに望まない)
あまりに長く生きすぎた。死にたいと思う。だが、死に際は選びたい。犬死には御免被る。それが偽らざる本心だ。
「どうして……」
絞り出すような小さな声でタヌが切り出す。
「DYRA。どうしてこんなことに」
御者から聞いた言葉がタヌの中で脳裏をぐるぐると回る。いざそれを見てしまった上、犠牲者があろうことか顔見知りの人間だったとは。タヌは自分の中で何をどう伝えれば良いのかまったくまとまらなかった。
「タヌ。いったん場所を変えよう」
どこに誰の耳があるかわからない。下手なことを聞かれていらない疑いを掛けられてもいいことなど何一つない。DYRAはタヌの背中をそっと押し、宿屋の方へ戻る道を歩き出した。
そんな二人の後ろ姿を見つめる存在に、このときの二人は気づかなかった。
宿屋に戻ってからも、タヌはしばらく動揺が収まらなかった。
結局、タヌが多少の落ち着きを取り戻した頃には、空はアメジスト色のカーテンが降りる気配を見せ始めていた。
DYRAとタヌは宿屋の部屋に戻ってから、外に出ることはなかった。
「ねぇDYRA」
動揺がようやく収まってきたのか、タヌが口を開いた。DYRAが彼のために温かい食事と紅茶を用意し、カップをテーブルに置いたところだった。戻ったとき、DYRAはタヌが食事をしていないのではと気づき、宿屋に頼んで用意させたものだ。肉と野菜を挟んだパンが盛られた皿とスープ皿も置かれている。だが、二人とも口をつけなかった。
「あの人は、DYRAと出会ってから最初に寄った宿屋の食堂で出会った人だったよね」
「ああ」
ピルロは本当に、錬金協会の人間に対して容赦ない街。二人は奇しくも、この事実を突きつけられた形だった。自分たちは協会の人間ではない。しかし、研究者の父親がいて、さらに特別な『鍵』を持つタヌは、ひとたび何かに巻き込まれてしまえば「無関係」と言ったところで信じてもらえないだろう。今後どう動き、振る舞えばいいのか、DYRAは苦慮する。
「ボクは、父さんを捜したいだけなのに」
「そうだな」
「あんなので死んじゃったとか、ないよね?」
「それはないだろう。万に一つでもそんなことがあったなら、色々な街で色々な話を聞いているサルヴァトーレあたりが仄めかしてくるはずだ」
「そうだよね。父さん、大丈夫だよね」
DYRAは小さく頷くと、窓のカーテンを閉めようと、窓際の方へ歩いた。DYRAはちらりと窓越しに外へ目をやった。空はすでに薄暗くなっており、宿屋に面した道路の一角にある街灯に、年老いた男が樽を置いて何かを準備する様子が見える。恐らく、パオロで見たときと同じような、街灯に火を灯すところだろう。だが、DYRAはその老人の振る舞いには特に興味を示さない。男の振る舞いの陰に隠れるように宿屋の窓を見つめる背の高い人物がいるではないか。そちらに意識を向け、警戒する。服装から小間使いにも見える。しかし、昼間見かけたそれとは似ても似つかない。遠目から見ても、別人だとすぐわかった。背がかなり高く、細い体型。しかも、三つ編みをさらにアップにしてまとめているのに加え、髪の色もかなり特徴的だ。色素が薄い。青みがかった金髪と言うか、緑色というか。いや、透き通っているようにも見える。
(マイヨ? いや、違う)
パッと見だけならマイヨの髪の色と言われればしっくり来る。もっとも、そのマイヨはフランチェスコで髪をバッサリ切っているから、同一人物とは思えない。それに、同じ顔をしたアレーシは他ならぬマイヨ自身が処分しているので、彼であるはずもない。DYRAはしばし、窓越しに注視する。
そのときだった。
DYRAは背の高いこの人物と目が合った。
しまった。DYRAがそう思ったときには遅かった。背の高い人物は人目を憚るように、その場を去り、路地裏へと姿を消した。追いかけたいというわき上がる衝動をぐっと堪える。夜、タヌを一人にするわけにはいかない。自分たちを監視しているつもりなら、また遭遇する機会があるはずだ。DYRAは次こそ必ず逃すまいと心に誓った。
(そうだ。小間使いと言えば……)
DYRAはカーテンを閉めながら、もう一人、別の人物を思い出す。昼間、マイヨといたときに遭遇した、小太りで牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡を掛けた冴えない彼女だ。錬金協会のネットワークがないピルロならRAAZの手の者に追われまいと考えた。しかし、いささか甘かった、もとい、完全に間違っていた。出し抜けていないどころか、マイヨとも再会しているではないか。ピルロに来てからここまでで起こったいくつもの出来事は、残念だがすべて自分の力不足から来ている。そう認めるしかなかった。これでは誰にも邪魔されずにタヌの父親を捜すことなど到底不可能だ。そんな悔しい気持ちを押し殺して、DYRAはタヌのいるテーブルへと戻った。
「DYRA」
心細げにタヌが声を掛ける。
「ボクの父さんも、もしかしたらあんなことになったり、それとも、捕まっちゃったり」
先ほども同じようなことを言っていた。タヌの動揺はやはりまだ収まってはいなかったか。DYRAは彼の気持ちを慮る。
「心配するな。それはない」
DYRAはタヌを真っ直ぐ見つめ、言い切った。
「だいたい、お前の父親は錬金協会から逃げているのだろう? もしこの街にいるとして、色々なことを知っているからと歓迎されることこそあれ、殺されるような目に遭うとは思えない」
DYRAは、パオロや乗合馬車で聞いた話を自分なりに吟味し、その結論を出していた。タヌの父親は研究者だという。彼が研究していた内容や現在置かれている環境を考えるなら、ピルロには匿うメリットがあっても、殺すそれはない。とはいえ現実問題、タヌの父親がピルロまたは近くにいる、または居場所がわかる手掛かりを残しているかは別問題だ。
「あ、ああ、そっか。そうだね。言われてみれば、そうだよね」
タヌは返事をしつつ、フランチェスコで言い放たれたいくつかの言葉を思い返す。
「せっかくだから教えてやる。『逃げた』は正確じゃない。あれは『姿をくらました』だ」
タヌの父親は錬金協会と関わりがあったものの、ある時期から姿を消してしまったという。正確な理由はわからないが、繋がるかも知れない手掛かりの一端は聞いている。
「お前の父親は、ラ・モルテと呼ばれる者が青い花びらを舞わせるたびに周囲が枯れ落ちていく現象の研究をしていた。平たく言ってやる。DYRAの不老不死を断ち切り、殺すための研究だ」
錬金協会は他ならぬRAAZが主宰する組織だ。そこで、彼が何かと気に掛けているDYRAについて研究をしている存在など、RAAZにとって面白いわけがない。それもで、タヌはタヌなりにではあるものの、ことがそう単純でないことも理解し始める。
一方、DYRAも自分の分の紅茶を用意しながらマイヨとのやりとりを振り返る。
「DYRA。俺は、タヌ君をお父さんがいるところの近くまで連れていくことができるけど?」
あの言い回しは少なくとも、「たまたま知っている」と言った風ではない。それどころか、一連の流れで見る限り、マイヨは最初からタヌと彼の両親の事情についてある程度踏み込んで知っているとみていい。RAAZの件がないなら、この話に乗っていたところだ。軽率な判断で動くわけにはいかないと、踏みとどまったのは正しい選択肢により近いものだと信じたい。だが、同時に彼の顔色を気にしなければならないことが悔しかった。DYRAはタヌに苦い表情を見られまいと、紅茶をがぶがぶと飲んだ。
それにしても、RAAZを捜す目的は、彼を排除することだった。はずだった。けれども、今となってはその前提は完全に崩壊している。今更、自分が何を気にする必要があるのだろうか。少なくとも、タヌが殺されないようにすること以外は──。
(タヌの件をどうにかしたとしても)
自分のことは相変わらずわからないままだし、解決するわけでもない。自分自身をめぐる状況は何一つたりとも動かないのだ。それでも、今考えるべき優先順位はそこではない。DYRAは踏みとどまった。タヌを放って思考の海に沈むのは良くない。
「そうだ。タヌ。そう言えば……」
ここで、DYRAは言いにくそうに切り出す。
「あのバルコニーにいた、皆が『ルカ様』と呼んでいた男のことだ」
DYRAの言葉で、タヌはハッとした。
「あ!」
突然、大きな声を上げたタヌに、DYRAは言葉を止めた。
「そういえば! そうだよDYRA! あの人だけど」
タヌは気持ちまくし立てるように話す。
「ボク、あの人とそっくりの女の人に会ったんだ! 植物園で。似ているとかじゃない。っていうか、目っていうか、顔、そっくりだった!」
「おい、タヌ。それは本当か?」
先ほど広場で再会したとき、DYRAはタヌから植物園に行ったことや、若い女性に出会ったことを聞いている。それにしてもその話がまさかここで飛び出すとは。内容が内容だ。DYRAはタヌへ仕草で声のトーンを落とすように合図した。
タヌはタヌで、DYRAがそんな反応をしたことに驚く。今まで、何を聞いても表情を変えることが少なかった印象しかないからだ。
「ということは」
DYRAの脳裏をある言葉が掠めていく。
「んで、ルカレッリ様には双子の妹、アントネッラ様がいらっしゃる。お身体が弱いってなかなか表には出ていらっしゃらない。心配したルカレッリ様がアントネッラ様のために、街外れに作った花園が物凄いって話だ」
「確か、双子の妹がいる、と」
「確か、言っていたよね。御者さん!」
偶然とは言え、タヌがアントネッラに会っていたとは。DYRAは俄然興味を示す。
「どんな感じの女だった?」
「うーん」
タヌは記憶の糸をたどりながら話す。
「御者さんとか、今日聞いたような、『病弱』って感じじゃなかった」
「本当か……!?」
「話し方は、さっきの市長さん? と似ていたかな。双子だって言うなら、そうなんだって納得できる感じ」
世間で『病弱』と広まっているのに、実際には到底そんな風には見えない女。話の前提が変わる情報というだけではない。何を意味しているのか。DYRAは天井を仰ぎ見て考える。
「お前、その女をいつ見た?」
「時計をちゃんと見ていなかったから正確な時間は覚えていないけれど、植物園が開く前だった。ボク、注意されちゃったし」
「断言はできないが、外に出る際は、人目に付かないように行動しているんじゃないのか」
「感じ良さそうな人だったから、悪く言うのはちょっと。でも、確かに目立ちたくないって言うのは、言われてみればそうだと思う」
二人はそれぞれ、ピルロが何か人に言えない、いや、表沙汰にすることは絶対にできぬ事情を抱えているのではと考える。
「それにしても」
「DYRA。昼間の件もだけど、何か、ボク怖いよ」
「ああ。そう思えるお前の感覚はマトモだ」
「だって、街と錬金協会のやり方が合わないっていうなら、牢屋に入れるか、追放すれば良いだけなのに。どうしてあんな……」
タヌは口元に手をやった。直接見ていないが、想像するだけでもゾッとする。それでも、言葉を続ける。
「あんな、その、何も殺さなくなって……。何て言うか、見せしめ、って言うの? それだとしてもさ、あんな見世物みたいなことしなくたって」
「殺さなければならない理由……」
「何か、それっぽそうなことって、ある? あるわけないよ」
タヌの話を聞きながら、DYRAは一つの可能性を思い浮かべる。そして、マイヨの言葉を思い出して突き合わせる。あのタイミングでタヌの父親を話してきたのだ。有り得るとすれば、ピルロが錬金協会から庇うか、隠すかしているか、だ。
考えられる理由の一つとしてそれなりに説得力がある。それでも、タヌの父親絡みでマイヨと話した内容を今、タヌへ開示するわけにはいかない。言えば必ずタヌは父親に会いたい一心から、マイヨを捜すと言い出すだろう。そうなったら、RAAZが動き出す。現に、あの密偵女はこの街にいる。どこでどう伝わってしまうかわからない。
「何が何だか、さっぱりわからん。でも、調べる価値は、ある」
DYRAは素っ気ない口調でそう告げるのが精一杯だった。
改訂の上、再掲
089:【PIRLO】二人はこのままではいけないと今後を考える2024/12/22 12:47
089:【PIRLO】ピルロの闇(3)2018/11/19 23:00
CHAPTER 89 父親のこと2017/10/16 23:00