083:【PIRLO】タヌは散歩途中で美少女と出会う
前回までの「DYRA」----------
朝、目を覚ましたタヌは、DYRAがどこかへ散歩に行ったことを知ると、それらしいところへ走り出した。
公園を散策して、壁も屋根もガラス張りの建物を見つけたタヌは、中を覗いていた。建物の中は思ったより広いが、ガラス越しに見えるのは緑と花だけだ。
(何だろう。ここ)
タヌは、入口らしきものはないか建物をぐるりと回って探す。やがて、もうすぐ一周回ってしまうのではないかというあたりで、小さな取っ手を見つけた。取っ手の脇には鍵穴もある。
(ここ、かな?)
タヌは取っ手をゆっくり捻って、そっと押した。扉は少しも動かない。ダメでもともととばかりに今度は引いてみる。
扉はあっけなく開いた。
「うわっ」
扉の向こうから花の香りが一気に押し寄せてきた。それらは最初の一瞬こそタヌの鼻を強く刺激したものの、慣れてくるに連れ心地良く感じられた。色々な花の香りが調和しているのがわかる。
タヌはそっと中へ入ると、静かに扉を閉めた。
中には植物が所狭しと揃えられており、鉢植えに入っているものもあれば、棒に蔓が絡んでいるものなど、様々だ。一つだけ共通しているのは、どの植物も、色とりどりの花を咲かせている。
「うわぁ」
タヌは名前を知らない数々の花を前に驚きの声を上げた。小さな花も大輪の花もそれぞれ綺麗だ。目を輝かせながら、ガラス張りの建物の奥の方へ進む。そのときだった。
「あれ?」
奥の方に人が一人立っているのがタヌの視界に入った。
(誰か、いる?)
たくさんの植物越しに見えたのは、華奢な体型の若い女性だった。プラチナブロンドを思わせる明るい色の髪はショートヘアながら、クセのある毛先が可愛らしい。服装は長袖のパフスリーブのブラウスにフレアスカート。パステルカラーの色合いが柔らかい雰囲気を伝えてくる。
タヌが植物越しに若い女性を見ていたときだった。
「あ……」
若い女性とタヌの目が合う。
トパーズブルーの瞳がタヌをじっと見つめる。
「あ、ご、ごめんなさい」
隠れていると見られては悪いことをしているように思われてしまう。きっと感じが悪い。タヌは若い女性から見える位置に立った。
「ここは誰でも入れる植物園だから大丈夫。でも」
若い女性はここで一度言葉を切ってから、笑顔を浮かべる。
「開園時間が書いてある看板、気がつかなかった? まだ植物園が開く時間には早いから、次からは気をつけてね」
女性は開園前に入ったことをやんわり注意した。叱られなかったことでタヌはホッとした。
「あなたも花が好きなの?」
若い女性はタヌの方へと近づいて、質問してきた。
「あ、うん。でも、こんないっぱい咲いているのは初めて見たから、ビックリしちゃって」
上手くまとめられないと言いたげなタヌの様子を、女性はじっと見つめていた。
「ここは、ここにしか咲いていない花がいっぱいあるから、飽きなくて、いいところ」
ここにしか咲いていないとはどういうことなのか。タヌは興味を抱いた。女性はタヌが聞きたいことなどお見通しとばかりに口を開く。
「もしかしてあなた、遠くから来た人でしょ?」
「え? どうして」
自分のことを何も話していないのに、どうしてわかったのだろう。タヌはそう言いたげな表情で若い女性を見た。
「わかるわよ。ピルロの市民はあまりここへは来ないもの。ここに新しいものはないし」
女性の言う、「新しいものはない」とはどういうことなのか。タヌは気持ち身を乗り出して彼女の話に耳を傾ける。
「ここに咲いている花は、すっごく古いものばっかりなの」
「へ?」
「けれど、ここ以外どこにも咲いていない花ばかりよ。フランチェスコやマロッタはもちろん、西の都アニェッリにだって」
あまりにも古い花で、ここ以外に咲いていない。まるで謎掛けのような話に、タヌは何を意味するのだろうと考える。
「とても昔に咲いていた花の種を見つけることができて、それをもう一度咲かせることができたのよ。ここはその成功した花を一堂に集めている場所。嘘か本当かわからないけれど、一〇〇〇年以上前の花もあるって」
「す、すごい……」
女性が言った言葉の意味を理解できるに連れ、タヌは目を丸くして驚きつつも、周囲に咲き誇る色とりどりの花を見た。
「ここの花。どれもとっても綺麗でしょう。ピルロの研究熱心な人たちの努力の賜よ」
「ピルロの……研究熱心な、人たち?」
古い花をどうやってもう一度咲かせたのだろう。タヌは聞いてみたい衝動に駆られるが、冷や水を掛けるように乗合馬車の御者の言葉が脳裏を掠める。
「技術を覗き見しに来たり、盗もうとしたり、あと大公家に逆らう奴にも容赦はない」
誤解されてはいけない。タヌは質問したい気持ちを心の中で抑え込んだ。
「ええ。こう言ってはあまり良くないんでしょうけど、彼らは、アニェッリやマロッタにいるようなあの、錬金協会の人たちとはワケが違うわ」
若い女性がそう告げたときだった。
「ええっ!?」
何の前触れもなく、足下がくすぐったくなった。タヌの足下に突然、白いふさふさした物体が現れると、そのまま通り抜けた。そして女性の足下でピタリと止まった。
「あ、お腹空いちゃった?」
若い女性は、かがんでその白いものを撫でた。
「犬?」
タヌが問いかけると、女性は「ええ」と答えた。
「かわいいでしょ?」
女性は足下の白い犬に、植物園の反対側の方へ行くように促した。犬は、勢いよく走り去っていった。
「ごめんなさいね」
女性は立ち上がりながら、タヌに謝った。
「それじゃ。ピルロでいっぱい楽しんでいってね。多分、今住んでいるところには戻りたくなくなると思うわ」
タヌは何となく、女性が言わんとすることを理解した。確かに夜の道でも安心できそうな明るい街灯や、蛇口を捻れば勢いよく出るお湯など、羨ましくなるようなものばかりだ。
「ボク、昨日この街に着いたんだけど、確かにビックリしちゃった」
タヌの言葉に女性は嬉しそうに頷いた。
「この街は他とは違うわ。皆一生懸命働いたり、研究をしたり。そのおかげで、今はすっごい栄えたの。新しいものを見つけたり、古いものを蘇らせたり」
女性の話を聞きながら、タヌは疑問を抱く。それは錬金協会の人たちもやっているようなことではないか。どうして協力し合わないのだろうか。だが、それも先ほどと同様、心のうちに仕舞った。
「あなたがもし、ピルロでいっぱい新しいものを見つけて、いいなって思ってくれたら、住んでいる街に戻ったときに伝えてね」
もし自分に帰る家があって両親に報告できるのなら、きっとここで見た物のことをたくさん話すに違いない。
「『どんな新しいものでも、ピルロには全部ある』って」
若い女性の自信あふれる言葉に、タヌは、彼女は何者なのだろうかと考えた。名前を聞いてみようと思い立ったが、遅かった。
「ビアンコが待っているから。またね。私、朝はだいたいいつもここにいるから」
女性はタヌに会釈して軽く手を振ると、軽やかな足取りでその場を去っていった。
その場に一人残されたタヌは、後ろ姿を見送った。
(次会えたら名前を聞かなくっちゃ)
彼女のことを気にしつつ、タヌは植物園の中を最初の扉の方へと戻った。外へ出ると、香りのしない空気を胸いっぱいに吸い込む。花の香りは素晴らしかった。それでもやっぱり、外へ出たときの普通の空気は格別においしい。
「じゃあ次は……」
タヌは、再びあたりを散策し始めた。
(そういえば、アオオオカミのこととか研究しているところがあるって)
乗合馬車の中継地、パオロで聞いた話を思い出す。
「つい最近のあれだろ? それは『ラ・モルテが現れたから』ってのが世間様の見立てだけど、とにかく何か特別な理由があるはずさ。その辺は多分、ピルロの学術機関でも調べているはずだよ」
学術機関。それは、タヌが行ってみたい場所の一つだった。
(あの人が言っていた学術機関ってところへ行けば、DYRAがラ・モルテなんかじゃないって証明できるかも)
ほんの少しだけ期待を抱いて、それらしき建物がないか、タヌはあたりを見回した。大公家の敷地と教えられていた場所とは違う方向、山側の方に、何か所かの壁があり、その先に瀟洒な建物が集まっているように見える場所がある。時計台ほど高さがあるわけではないが、建物の規模は決して小さくはない。タヌはそちらの方へと小走りで向かった。近づいているのはわかるが、建物全体が見えてこない。先ほど時計台の方へ行こうとしたら、細かい道が入り組んでおり、公園の方へ出てしまった。またしても、同じミスをしたかも知れない。
(この辺じゃなかったっけ)
あたりをきょろきょろ見回し、タヌは入口らしき方へ繋がる道がないか探す。周囲を見回すと、全部が壁で囲まれているわけではない。遠くから見えにくくなるように配置しているみたいだった。見方によっては、入り組んだ道に見せるためにジグザグに短い壁を作っているかのようにも見える。
どう通れば建物の入口にたどり着けるのか。タヌは確かめるようにゆっくりと歩き、建物の入口にたどり着いた。
学術機関は一定の範囲内は出入り自由だった。歴史の本を読みたいと受付に告げると、書庫に案内された。そこはフランチェスコにあった錬金協会の図書館に似ているものの、蔵書の量は比べものにならないほど多い。
壁一面、天井までの高さがある大きな本棚にびっしり収められた本の数々に圧倒されながらも、タヌは読みたい本を探しては梯子を使って棚まで上り、見つけては何ページか懸命に読んでから戻し、また探して、を繰り返した。梯子を何度上り下りしたことか。思い出すことさえできないほど上へ下へと移動しては本を読む。
(どの本も難しいのばっかり)
タヌはアオオオカミの生息にまつわる本を探しては目を通した。前の日、パオロで言われた、アオオオカミの出現条件のことが気になっていたからだ。中でも、どうしても知りたかったのは、日中にアオオオカミが出現した件についてだった。「ラ・モルテが現れたから、アオオオカミも現れる」というのはそもそも本当なのか。DYRAとアオオオカミ出現に何か関連があるのか。タヌはその情報だけを追い求める。しかし、本はどれも専門書ばかりで、タヌの頭では理解が追いつかない。
(内容が全然頭に入ってこない)
難解さ故か、頭がくらくらするような感覚に襲われる。それでも、一つだけ収穫があった。
(オオカミって言うけど、実際、イヌとかネコとかどのグループの動物かもわからないんだ)
アオオオカミはそのルーツをたどることができない。
これがタヌに理解できる唯一の内容だった。今度はDYRAと一緒に来て、もう一度調べよう。そんなことを思いながら、ふと、壁にある時計へ目をやった。すでに一二時を過ぎていた。
(もう、こんな時間!!)
忘れ物がないか、本の戻し忘れがないかをササッと確かめてから、タヌは大急ぎで書庫から出て、そのまま学術機関の建物を後にした。
タヌが来た道を逆へ進んで、公園まで戻ったときだった。公園から少し離れた場所にある時計台も視界に飛び込んだ。
改訂の上、再掲
083:【PIRLO】タヌは散歩途中で美少女と出会う2024/12/22 12:14
083:【PIRLO】錬金協会のない街(3)2018/10/25 23:00
CHAPTER 83 それぞれの思い2017/09/22 23:00