082:【PIRLO】ピルロの朝、心はざわつき、バタついて
前回までの「DYRA」----------
ピルロで朝を迎えたDYRAは、早朝のピルロの街を散策する。生気の無い人々を何人も見かける中、たどり着いた広場で感じのいい青年と出会う。それはどうやら、ピルロを治める『ルカ市長』のようだった。
「あれ?」
朝になり、宿屋の部屋のベッドで目を覚ましたタヌは、人の気配がまったくないことに気づいた。すぐに部屋を見回し、DYRAの姿を捜す。鞄はそのまま置いてあるので、いなくなったりしたわけではないようだ。
「どこに行ったんだろう?」
浴室の方からも物音は聞こえてこない。DYRAが部屋にいないとわかると、タヌはその場で服を脱ぎ、新しいシャツとハーフパンツへ着替えた。居間のテーブルに置きっ放しになった部屋の鍵を見つけると、それを手に、肩掛け鞄を提げて部屋を出る。外から施錠を済ませ、一階の帳場へと足を運んだ。
帳場に立っている男性従業員に、タヌは声を掛けた。
「おはようございます。あの……」
タヌが言い終えるより一瞬早く、男性従業員が挨拶と共に話を切り出す。
「おはようございます。ご一緒にいらした女性のお客様から『散歩に行く』と伝言を預かっております。朝食は如何されますか?」
「あの、どっち行ったとかわかりますか?」
散歩と聞いて、タヌはDYRAがそう遠くへは行っていないのだろうと思いながら尋ねた。男性従業員は質問に小さく首を横に振ってから答える。
「申し訳ございません。行き先などは特に仰っておりませんでした。今、立っているこの場所からですと、宿屋の入口からどちらへ歩き出したかなどは見えないので、わかりかねます」
「散歩……あ、この近くで散歩向きな場所ってどこかあるんですか?」
わからないと言っていることを再度聞いても意味がない。タヌは質問の切り口を変えた。男性従業員はピルロの中心街の地図を手にすると、帳場の台の上に広げた。タヌは位置関係をちゃんと覚えようと、地図をじっと見つめる。
「当宿はこちらになります。そして、この大きな時計台が目印の中心街。散策などに人気の場所でございます。ここからもう少し進みますと、ピルロの役所、さらにその奥にある大きな敷地はレンツィ大公家」
「た、大公家……?」
「はい。一部の敷地は市庁舎と被っているところもございますが、時計台の向こうの大半でございます。……失礼ですが、お客様はどちらからいらっしゃいましたか?」
「ええと、ピルロからだと東というか南というか……」
「そちらのご出身でしたら、ちょっと前に襲われたレアリ村や隣のピアツァくらいの広さ、というとわかりやすいでしょうか?」
レアリ村から来たタヌにしてみれば、レアリ村全部が自分の家、と言われてもピンと来ない。広すぎる。村の麦畑よりもっと広いのではと想像する。男性従業員はさらに説明を進める。
「街を見て回る散策ですと、人気の時計台前の広場は公園にも繋がっておりますし、さらに公園の反対側の端には植物園もございます」
公園や広場は散歩にはうってつけの場所だし、DYRAもいるかも知れない。タヌはそこへ行くことにした。
「あの、ここからはどのくらいで行けますか?」
「お時間にして、一五分前後くらいでしょうか」
「わかりました! ありがとうございます」
タヌはぺこりと頭を下げると、宿屋を出て、時計台のある方へと早足で歩き出した。
時計台がある方へ向かう道すがら、タヌは何人かの人とすれ違った。しかしどうしてなのだろうか。目に光がないというか、全体的に元気がない気がする。夜に仕事をして疲れているのだろうか。それとも、毎日がとても忙しくて、一晩寝たくらいでは疲れが取れないような重労働をしているのだろうか。村にいたときの農作業も結構きつい仕事ではあった。それでも、一晩寝れば元気になる。だから、沈んだ雰囲気が気になる。けれども、今はDYRAを捜す方が先だ。気を逸らしてはいけない。
タヌは気持ち駆け足で時計台の方へと移動する。が、一向にたどり着くことができない。ずっと歩いているのに、近づいている感じがしない。
(道、間違えちゃったかなぁ)
あたりを見回すうち、タヌは見せてもらった地図と違い、実際は道が細かく入り組んでいることに気づくと、足を止めた。
「ここは……?」
一体いつから入り込んでいたのか、そこは先ほど、宿屋の男性従業員から聞いていた公園の敷地内だった。
「あれ?」
どこかのタイミングで道順を間違えたらしい。でも、人も適度にまばらで落ち着ける雰囲気が何とも居心地良かった。タヌは気を取り直すと、公園を見て回る。周囲の明るい景色に心も明るくなる。と、そのときだった。タヌは木陰にたたずんでいる人物に目を留めた。服装から小間使いに見える。
(ロゼッタさん?)
タヌは視線の先にいる人物の姿に、ロゼッタであることを期待しながら少しの間、じっと見た。しかし、その期待は一瞬で裏切られた。
(やっぱり違うかぁ。何て言うか、男の人みたいっていうか……)
少なくとも、三つ編みをまとめている髪型は男性がするそれではない。そこに立っているのは女性だろう。だが、タヌは視線を外すと難しい顔をした。
(でも、何だろう。DYRAより背が高い? それに、何かこう、髪の色とか、見たことあるような……)
近くで見ているわけではないので、正確にはわからない。それでも、サルヴァトーレほどではないにしろ、かなりの身長ではないか。それだけではない。髪の色も見覚えがあった。
(え、でも)
青みがかった金髪なのか。あるいは、陽の光のせいで少し緑がかっているようにも見える。タヌは、自分が過去に出会ったことがある人を次々と思い出しては頭の中で突合する。村で出会った人ではない。ということはかなり最近だ。宿屋で出会った人? それとも、ペッレやフランチェスコの街で出会ったりすれ違ったりした人? そのどれも当てはまらない。そんな、袖すり合った程度の距離ではない。むしろ、話したことがある人物だ。
(え! で、でも……! あっ!)
そうだ。髪の色を見る限り、近いのは、DYRAにひどいことをした上、母親を平然と殺したアレーシだ。だが、その彼は目の前でマイヨの手で殺されている。そうだ。アレーシとマイヨはそっくりだった。そっくりだったから、自分に気を遣って、目の前で長い髪をバッサリと切ったではないか。タヌは目を大きく見開いてたたずむ人物をもう一度見た。自分がマイヨやアレーシを見たときは暗い場所だったり夜だったりしたせいもあって、髪の色が絶対に同じと断言することはできない。それでも、同じかもと思うには充分なくらい似ている。
たたずむ人物は、空を見上げたままピクリとも動く気配を見せない。もちろん、タヌに気づいた様子もない。
空に何かあるのだろうか。タヌも同じように見上げる。確かに雲一つなく綺麗だが、鳥はおろか、小さな虫さえ飛んでいない。
(あの人、何を見ているんだろう)
タヌは空を見る振りをして、時折、ちらちらと小間使いに視線をやった。それからどれくらい経っただろうか。小間使いは目線を下げ、タヌをちらりと見る。だが、取り立てて気にする様子を見せることもなく、タヌが来た方向とは反対側、公園のずっと奥にある小屋の方へと歩き出し、そのままその中へと消えていった。
不思議な存在に首をかしげつつも、改めてDYRAを捜そうとタヌは歩き出した。今度は時計台をしっかりと視線に入れながら。
(サルヴァトーレさんもだけど、あの人、マイヨさんにも会えると良いな)
移動する間、タヌはずっと、マイヨのことを思い出していた。
(とんでもない市長サマに、ワケアリの行政官サマ……か)
DYRAが時計台のある方を散歩し、タヌが謎めいた小間使いを見つめていたのと同じ頃。
マイヨ・アレーシはベッドに横たわったまま、視線を天井の方へとやっていた。もっとも、その目に天井は少しも映っていないが。
マイヨの脳内に、誰かの視点で固定された、日常の記録映画を彷彿とさせる映像が流れ込む。その映像を頭の中で一つ一つ吟味する。
(ピルロに貴重な端末を置いたのは結果的に正解だったか)
脳裏で淡々と流れる場面の中には時折、暴力的な音が聞こえたり、叫び声も聞こえたりする。それでも、どうでもいい情報には意識を向けなかった。
(おーおー。恐ろしく闇の深い女だ。……あれ? あ? そんな遅い時間に新人の小間使いが赴任? ちょっとこの人、裏がないか、知りたいところだなぁ)
見るものは見た、伝えることは伝えた。マイヨが身を起こそうとしたときだった。
「え?」
頭が痛い。身体も重い。体調が悪いはずはない。では、何故なのか。
(ヴォトカなんて飲んだからか)
夜に何も固形物を口にせず強めのアルコールを一気飲みしたのはさすがにまずかった。相手の信用を得るためとは言え、これは反省すべき点だ。自分がいた本来の世界だったら絶対にこんなことはやらない。退化しすぎた世界だからアルコール度数も程々だろうとタカを括った自分の姿勢を反省した。
(そうだ)
ヴォトカ繋がりでマイヨは肝心なことを思い出した。起き上がるのを止め、目を閉じて仰向けになると、意識を集中する。
(あの人捜し屋だ。あれ、何者なんだ)
満足に情報を与えていない状態だったにも関わらず、ズバリ答えを言い当てたあの人捜し屋。その的中振りは、いっそ面白くすらあった。
(奴の正体か、それに繋がる手掛かりが欲しい)
あのしわがれた声の主はまるで、自分がDYRAとタヌを探していることを最初から知っているようだった。誰にも何も言っていないはずなのに。マイヨが気になったのはその点だ。理由も含め、人捜し屋の正体に強い興味を抱く。
(あれはまるで、俺の手の内を知っているようだった。いや……知っている?)
面倒な存在なら速やかに排除したい。マイヨの中でそれは、すでに優先順位の高いところに上がっていた。気が遠くなるほどの大昔、本来の文明下で自分の手の内を読んで挑んできた存在が一人だけいた。一気に緊張感が走る。
(そんなはずはない)
遠い昔、挑んできた人物は、もうこの世にいないはずなのだ。いるはずがないのだ。自分たちの文明は滅びたのだ。RAAZのように不老不死も同然であるならともかく、そうでないなら、生きているはずがないのだ。
(RAAZ以外に面倒くさい奴がいるなんて、冗談じゃない。っていうか、この街はRAAZの影響はないはずだ。となると一体……!)
頭痛とだるさにも似た重さとが身体から抜けきらないものの、マイヨは深呼吸をしてからゆっくりと上半身を起こす。
(汗を流して、さっぱりしたら外へ出るか。DYRAとタヌ君を探さないと。本当にいるのなら)
人捜し屋曰く、二人はもうこの街にいる。まだ来てそう何日も経っていないなら、最初に散策する可能性の高い場所、もしくは人気がある場所から探せば良い。二人のうちどちらかにでも会えれば道は開けるのだ。マイヨは考えをまとめると、酔い醒ましを兼ねて汗を流すべく、浴室の扉を潜った。
手早く服を脱いでから熱めのシャワーを浴びていると、懸念がさらに浮かんでくる。あのときのやりとりで気になったのは、二人の行方だけではない。
(まさかとは思うが、考えなしに『文明の遺産』を使ってるバカがいるんじゃないだろうな)
だが、現実問題、この文明下の人間たちだけでははるか昔のテクノロジーを正しく使えるわけがない。どう考えても無理な話だ。
「……って!」
マイヨはここでハッとした。その視線は、熱い湯が出続けるシャワーヘッドへ向く。
(もしかしてこの街、思っているよりはるかに面倒な街かも知れない)
シャワーで汗を流したマイヨは、栓を止めるとバスタオルで手早く身体を拭いた。着替える間もずっと考え込む。
(この街について、もっと情報が必要だ。絶対的に足りない)
自分が欲しい情報もさることながら、この街そのものについても自分が思っているより情報が少ない。今わかっているのは、確証という点では強くはないものの、DYRAとタヌがピルロにいること。それだけだ。生体端末に情報を集めさせているのに、振り返ってみると、使えそうな内容が実はあまりないではないか。マイヨは愕然とした。同時に、ピルロを支配する大公家は情報漏洩対策という意味でのガードがとても堅牢だと察知する。
それでも、情報戦で自分に挑んで勝てる相手などそう多くはないのだ。その自負心はある。マイヨは冷静さを保つ。
着替え終えると、マイヨは、左耳の下あたりから一箇所だけ長く伸びている一束の髪を、慣れた手つきで三つ編みに結った。
(さて。DYRAとタヌ君を探しに行くかな)
懐中時計と財布を手に、宿屋を後にしようとマイヨが部屋の扉の取っ手に手を伸ばそうとしたときだった。
一瞬、マイヨは雷に打たれたような反応で顔を上げる。
取っ手に手を伸ばしたまま、マイヨは少しの間、視線をあちこちに動かす。事情を知らない人間が見れば、突然心なり脳裏なりに浮かんだ内容を頭の中で吟味しているか、そうでなければ、大事な忘れ物を思い出したときの動作だと思うだろう。
(……なるほどね。けど、こういう情報の同期は、最悪にまずいな。嫌な予感がしてきた。早くDYRAやタヌ君を見つけよう)
ほどなくマイヨは視線を動かすのを止めると、部屋を出て、宿屋を後にした。そして、外に出たその足で時計台や公園のある区画へ向かって走り出した。
改訂の上、再掲
082:【PIRLO】ピルロの朝、心はざわつき、バタついて2024/12/22 12:11
082:【PIRLO】錬金協会のない街(2)2018/10/22 23:00
CHAPTER 82 ISLA2017/09/22 23:00