077:【PIRLO】次の街に向け、暗雲は静に漂う予感?
前回までの「DYRA」----------
乗合馬車に乗り、乗り継ぎ場所に着いたDYRAとタヌ。そこで、ふたりは見たこともないほど明るい街灯の光と出会う。一方、タヌは、もうひとりの乗客が落とし物をしたことに気づく。それは手紙で、謎かけのような文章が書いてあった。
DYRAとタヌが乗合馬車に乗り込んで道の駅へ向かっていた頃──。
「こんにちはー」
少し前までDYRAとタヌが泊まっていたトルドの宿屋に、一人の宿泊客がやってきた。
「いらっしゃ……」
宿の主である老人は、客の姿を見るなり、目を大きく見開いた。
「お、お、お泊まりで?」
「はーい。何日か、お世話になりたいです。この宿屋で一番見晴らしのいい部屋希望です」
帳場に近づいてきた背の高い男に、老人は驚いた。まず、とにかく背が高い。村で一番の大男よりも拳二つ分くらいは高い。女のように長めの、煉瓦色の髪を後ろで上半分だけ軽く結んでいる上、左の耳には大きな耳飾り。それも金の、耳たぶに挟み込むようなやつだ。西の都などの大金持ち連中がそういう飾りをしていると話半分に聞いたことはある。男が耳飾りなど冗談だろうと思っていた。しかし、本当にそんな人物がいたとは。
「ああ、じゃ、上の階の、一番広い部屋が空いているよ」
老人は長身の男をまじまじと見た。外で畑仕事や力仕事の類をしていないのが一目瞭然だ。手が綺麗だし、肌も日焼けしていない。服装はパッと見、シンプルなシャツとパンツ姿だが、上等な生地を使って作られた服だと素人目にもわかる。さらに老人の目を引いたのは、男が持っている鞄だ。偶然だろうが、昼前までいた少年と背の高い女性が持っていったものと同じではないか。二人がやってきた翌日に、いつの間にか「忘れ物」と称して届いていたあの鞄だ。
「ありがとうございます。何日滞在するかわからないから、五日分、前金で払っておきます。万が一、早く出て行くようなことがあっても、返さなくていいですよ」
長身の男は言いながら、アウレウス金貨五〇枚を置いた。
「えっ」
さすがにこれは多すぎるだろう。老人は受け取れないという仕草をしようとするが、それはできなかった。
「その代わり、自分が特に呼ばないときは部屋には来ないで下さい。仕事、しているんで」
長身の男がぞっとするほど冷たい視線を向けた。ルビー色の瞳が、優しい口調とは裏腹に凍り付くような光を放つ。老人は一瞬、殺されるのではないかと思うほどの恐怖を感じた。
「へ、へい……」
「よろしくお願い致します」
「ああ、じゃ、その、宿帳にお名前を」
老人は宿帳とペンを差し出す。心なしか震える手が差し出してきたペンを、男は気にする素振りも見せずに受け取ると、名前を書いた。
「ど、どうぞ」
老人は、名前が記載された宿帳と引き替えに鍵を渡した。背の高い男が階段の方へ歩き出したのを見ると、おもむろに宿帳に視線を落とす。
「サルヴァトーレ……さん、か」
呟いて老人が宿帳から視線を上げる。すると、目の前に長身の男、サルヴァトーレが再び立っていて悲鳴を上げそうになる。
「い、いかがされまして?」
サルヴァトーレがじっと見つめる方向に老人も目をやる。帳場の角の窓際に、鳩がいた。
「あの鳩は?」
「お、おお。うちの伝書鳩じゃよ。医者を呼んだりしなきゃならんときなんぞに使うんでな。心配せんでいいよ。大人しいもんだ。鳴いたりはせんよ」
「そうですか」
サルヴァトーレは少しの間だけ鳩を鋭い視線で睨むと、帳場の老人へ「じゃ」と告げてから、背を向けて廊下を歩き出した。
「……鳩の足」
「兄さん。何か言ったか?」
「何も言ってませんよ?」
振り返ることなく、サルヴァトーレはそう言って、階段を上がった。
部屋に入ると、サルヴァトーレは忌々しげな表情で鞄をベッドへ放り投げた。髪と瞳も急に色素が抜け落ちていくような勢いで、銀髪銀眼へと変貌していた。
「……GPS発信器に小型カメラまでつけた鳩がただの伝書鳩なわけないだろうがっ!?」
だが、感情にまかせて動いてはいけない。すぐに考え始める。まず何より、誰が、何の目的で仕掛けたかだ。少なくともあの老人が何かを知っている風ではなかった。何も知らず、ただの伝書鳩を飼っているだけとみて間違いない。
数秒前までサルヴァトーレだった男がここでハッとする。ひょっとしたら、鳩の足にGPSをつけた人物の目的は、今の自分と同じなのではないか。ここはピルロとフランチェスコを移動するなら確実に通る場所だ。それだけではない。上流側へ歩く途中で西に逸れてマロッタへ行くにしても、かなりの確率でここを通る。誰かを待ち伏せるなり動向調査をするなり、某かの用があるならトルドは絶好の場所だ。
男の脳裏に、フランチェスコで再会したあの男が浮かぶ。タヌの母親を利用して殺した騒動に無関係であると主張し、DYRAやタヌの前でこれ見よがしに髪を切るパフォーマンスなどやっていた。
「……ISLA、か」
本人はずっと隠れて周囲を利用し、錬金協会を乗っ取ろうと暗躍していたこともだが、それ以上に許せないことがある。
(私の妻を殺して、よくものうのうと)
身の潔白を訴える白々しさに、男は腸が煮えくりかえりそうだった。あの場はロゼッタが重傷を負っていた上、タヌを案じるDYRAもいた。だから、敢えて手を下さなかった。だが、それらがなかったなら、間違いなく八つ裂きにしていた。
(あれも、DYRAやガキを追っているのか。それなら)
ここを張るのは最適解だ。だとすれば厄介なことになるかも知れない。
(ジジイやディミトリが戯れているだけならどうでも良かったんだがな)
悠長に構えている場合ではないかも知れない。さりとて、DYRAやタヌがどこへ行ったかわからない状態でやみくもに動くわけにはいかない。
(二人はフランチェスコを出た。ガキの親父を捜す気なら、現状メレトへ戻るとは考えにくい。だとすれば、ピルロかマロッタのどちらかへ行くはずだ)
ピルロは錬金協会のネットワークが存在しない。だからこそロゼッタを送り込んだ。それ故、連絡を待てば良い。マロッタへ行ったなら、あそこは錬金協会が強い街故、動向確認だけで良いなら何とでもなる。加えて、個人的に築いた伝手もある。
どちらかから舞い込んでくるであろう報告を待つだけだ。
(私の可愛いDYRAやあのガキが、まずはどこであれ、無事に着いていればいいんだがな。……さて。取り敢えずはあの鳩、か)
鳩に罪はないが、足についているアレだけはどうにかしたい。男はDYRAやタヌのことを案じつつ、どのタイミングで動き出そうかと思案を始めた。
DYRAとタヌを乗せた乗合馬車は夜の道を一路、ピルロへと向かっていた。
「DYRA。さっきの休憩所で、火を点けていた人が言っていた言葉だけど」
タヌは休憩所で聞いたアオオオカミの話題を振ったつもりだった。
「正直、アオオオカミが現れる条件を調べているというのは、興味がないと言えば嘘になる」
タヌの思うところを察し、DYRAは本心を告げた。もっとも、興味の核心は『自分がいるから昼間も現れる』という部分が本当かどうかだけだが。
「ピルロに着いたら、それを調べているところへ行ってみようよ」
「ああ、そうだな」
DYRAは、タヌがメレトでも本を読みに書庫へ行っていたことを思い出す。彼は両親と同様、知的好奇心が非常に旺盛なのだ。
それからしばらく、二人は言葉を交わさなかった。やがて、馬車の外の風景を見つめるタヌがあることに気づいたのか、小首をかしげる。
「ねぇDYRA」
「何だ?」
「前に、ペッレから出たときも街灯があったよね」
「ああ」
ペッレからの道よりもこちらの方がずっと明るい。
「こっちの街灯の方が明るくない?」
そのときだった。
「坊主」
乗合馬車の御者が話しかけてきた。タヌはDYRAと顔を見合わせてから、乗合馬車の一番前、御者台側の近くまで移動する。
「はい」
御者は振り返ることなく言葉を続ける。
「この辺の街灯が明るいのは、ピルロがすげぇ発展しているって話だからだ」
「そうなんですか!」
発展と聞いて、タヌの心は盛り上がった。DYRAもそっと前の方へ移動し、耳を傾ける。
「ああ。ピルロを支配している今の当主がすごい御人で、『何が何でも、マロッタや都より栄えた街にする』って、物凄い息巻いているからな」
自分たちの街を発展させようと頑張るのは素晴らしいことではないか。自分が住んでいたレアリ村は人も少ない、寂れた村だった。そこから外へ出て、いくつかの村や町、そして中堅都市を見て回ったからこそ、タヌはなおさらそう思う。しかし、どういうわけか、御者の口振りからは手放しで喜んでいる様子が伝わらない。
「信じられないかも知れないが、少し前までは、ここもこんなに明るくはなかったんだ。さっきの乗り継ぎ場所、パオロもだ」
御者から飛び出した意外な言葉。パオロにいた若い男は当たり前のように話していたが、そんなに最近だったのか。DYRAとタヌの興味が強まっていく。
「ただ、ピルロはな」
「ピルロは?」
御者の言葉をタヌがオウム返しする。
「錬金協会を排除している。連中が入ってきちまったら、手に入れたものをまとめて持ってかれちまうってんでな」
持ってかれるとはどういうことなのか。タヌは質問しようとしたが、上手い言葉が出てこない。
「技術を奪うということか?」
DYRAが口を挟む。タヌは、それだと言いたげな表情でDYRAを見た。
「ああ、まあそういうこった。錬金協会ってのは、新しい技術や知識は皆で分かち合おうって思想を持ってるから、協会がある場所はもちろんだしその周辺の街まで、皆それなりに栄えてるだろ? けど、その協会を排除するってのがピルロで、すげぇ発想だなって」
御者の言うことが本当なら、ピルロという街は錬金協会、というよりRAAZと対決も辞さずと決めているのか。DYRAはピルロのやり方に危惧を抱いたが、言葉にはしなかった。
「どうして、独り占めするんですか」
DYRAが口にしなかったことを、タヌがそのまま口にした。
「カネになるからに決まっているだろ」
「はぁ」
「例えば坊主。もし、お前さんがあの街でしか食べられない食べ物が大好物だったらどうだ?」
「食べに行きます」
「欲しいものがその街にしかなくて、他の街、それこそ都でだって絶対に手に入らない、っていう名産品だったら?」
「買いに行きます」
「そういうこった」
御者の言葉にタヌは何となく納得できたような、できないような顔をした。もちろん、前を向いて馬を走らせている御者に、後ろにいるタヌの表情は見えない。
二人のやりとりを聞いたDYRAは、ピルロが描いている発展戦略をおおよそ把握した。彼らは恐らく、錬金協会の手を借りずに手にした技術を自分たち主導で秘匿するなり有償で出すなりして、それを収入源の一つにしているのではないか、と。
「そんなことをして、錬金協会は黙っているのか」
DYRAは疑問を口にする。
「ああ、黙っちゃいないさ」
御者はよくぞ聞いてくれました、とでも言いたげに答える。
「錬金協会の関係者とバレたらあの街じゃ、市中引き回された挙げ句、エラいことになるって話だ。火あぶりか、断頭台で首をスパーン! ってな」
首切りのくだりを聞いたタヌはぞっとする。
「まぁまぁ。そう怖がるな。そんなことになるのは錬金協会の幹部連中だけって話だからな。首を切って、協会に送り返すらしいぞ」
御者の言葉を聞きながら、DYRAは確信する。ピルロは本気だ。錬金協会、むしろ、RAAZの軛から逃れたいのだと。
(だが、そんな状況なら何故)
DYRAは、ペッレでのやりとりを思い出す。
「シニョーラの服は、ピルロでお渡しすることにしよう」
サルヴァトーレの姿で、RAAZはしれっと何事もないように言った。だが、ピルロの現状が御者から聞いた通りであれば、RAAZにとっては見過ごせぬ状況ではないのか。DYRAの中で疑問が膨れ上がる。
「錬金協会の人間じゃないなら、あのピルロって街は新しいものばっかりとも言える楽しいところかも知れませんぜ」
御者はすぐに「ただし」と付け加える。
「技術を覗き見しに来たり、盗もうとしたり、あと、大公家に逆らう奴にも容赦はない」
「大公家だと?」
「大公、家?」
DYRAとタヌは口を揃えて御者に問いかける。
「そ。レンツィ大公家。つまりピルロの当主、ルカレッリ様のことだ。皆、『ルカ市長』って呼んでいる。確か二〇歳くらいだったか? とにかく若いが、今やピルロを発展させた立役者ってんで人気者だ。見た目もカッコいい。お嬢さん、惚れちまうかも知れないよ?」
御者は、最後の方は冗談半分の口調で告げた。
「んで、ルカレッリ様には双子の妹、アントネッラ様がいらっしゃる。お身体が弱いってなかなか表には出ていらっしゃらない。心配したルカレッリ様がアントネッラ様のために、街外れに作った花園も物凄いって話だ」
さぞかし仲が良いのだろう。タヌは御者の話を聞きながら思う。
「そいつらに逆らう? それだけ発展させたなら、ピルロの住民は喜ぶだろう?」
DYRAは何が彼らを気に入らないと言わせるのか。やっかみ以外に何かあるのか。疑問を御者にぶつけた。
「いやね、そのルカレッリ様のお仕事を助けている、何だっけ、行政官のアレッポってのがいるんですけど、その手腕がちょっと強引だって言うからそこに反発が来ちまって……」
御者はここで口ごもった。DYRAはその様子に、彼の口からそれ以上は言いにくいのだろうと判断する。
「そうか」
DYRAはこれ以上この点は聞かないと意思表示をした。御者はピルロに対していくらかの不満があり、行きずりの客に喋りたくてたまらなかった風だが、それでも言えないことはあるのだろう。ここで、はぁと息を吐いた。
「さ、そろそろピルロですぜ」
御者の言葉に、DYRAは懐中時計を取り出し、時間を確かめた。
(もう、こんな時間)
しかし、タヌの声がDYRAの思考を遮った。
「見て! すごいキラキラっていうか、ピカピカしている!」
さながら不夜城、とでも形容すべきか。眩い街が行き先に姿を現した。
改訂の上、再掲
077:【PIRLO】次の街に向け、暗雲は静に漂う予感?2024/12/22 11:48
077:【PIRLO】謎の文章を読みながら(2)2018/10/04 22:52
CHAPTER 77 歓談2017/09/04 23:00