074:【?????】もう一人の登場人物も「再起動」する
前回までの「DYRA」----------
フランチェスコで倒れたと思われたロゼッタだが、彼女は無事だった。そして彼女の主は新しい仕事を彼女に託す。
(RAAZ。アイツはやっぱり只者じゃない、か。さすが『殺戮する哲学者』)
誰もいない部屋に、蓋が開いたままになった大型の円筒形容器が置かれている。半分ほど液体で満たされた容器の中に、マイヨ・アレーシは横たわっていた。全裸かつ、四肢は無数のコードで繋がれている。
マイヨはじっと真っ白い天井を見つめ、深夜に起こった出来事や一連の流れを思い出す。
深夜のフランチェスコの街で、数日前に出会った少年タヌとその傍らにいた女性をめぐり、修羅場とも言えるドラマが繰り広げられていた。
錬金協会の幹部であるソフィアは、協力を惜しまなかった。愛情を向けてきたことは面白くなかったが、それはどうでもいい、些細なことだ。そもそも、自分に対してではないのだから。
しかし、タヌと遭遇したことでソフィアの中で色々なものが狂ったのだろう。瞬く間に彼女は修羅場の中心人物となってしまった。感情を露わにし、取り乱した女などもはや協力者として使い物にならない。むしろ、面倒事になる前に速やかに処分する必要があった。
(ったく。生体端末は貴重だったけど、あそこであの子に嫌われたくなかったし)
ソフィアを殺すこと自体に微塵の躊躇もなかった。しかし、あそこで彼女を殺して涼しい顔をしようものなら、せっかく築いたタヌとの良好な関係が一瞬で破綻してしまう。あの時点ではそれを避けたかった。だからこそ、「少年の母親を殺した存在」である生体端末を目の前で処分することで、『悪意を持っていたのは自分ではない』と明示する必要に迫られた。
自分と同じ姿を持つ端末が貴重な理由は簡単だ。あの時点でこの文明下の人間たちからもだが、それ以上に彼らからも畏怖の対象とされる男、RAAZに見つかるわけにはいかないからだ。だが、RAAZは端末の存在をすでに察知し、起動していることまで見破っていた。これは計算外だった。とはいえ、バレていたなら仕方がない。いくつもの事情が重なった以上、ソフィアを殺した瞬間、迷わず自らの手で処分した。愛用の鉄扇状ブレードで──。
生体端末はロボットではない。環境に適合させながら人格をある程度作れる。そう言った意味では、より人間のクローンに近い。生体『端末』と称される所以は単純で、彼らが見聞した情報をマイヨ自身と共有できるからだ。条件さえ揃えばほぼリアルタイムで。それ故、自分の身代わりとして外の様子を見るために使っていた。
マイヨにしてみれば、この部屋にいる限り、それこそ地中貫通爆弾の類でも使われない限り、見つかる心配も殺される心配もなかった。
だが、どうしても外へ出たい理由ができてしまった。
(あの、DYRAって彼女)
はるかな昔、生死の境を彷徨うほどの重傷を負った際、助けてくれた天才科学者ドクター・ミレディアと瓜二つの容姿を持っていた。違いと言えば、シトリンのような金色の瞳を持つDYRAに対し、命の恩人とでも言うべき女性はペリドット色だったくらいだ。
(ねぇドクター。貴女の旦那はやっぱり、アタマがイカレたヤバい奴だった)
『殺戮する哲学者』なる渾名をつけられていたRAAZはあるとき、彼女の研究実験の被験者となった。結果、驚異的な自己再生能力がプログラムされたナノマシン生成システムをその身に内蔵した。
──あれはまさに、不老かつ不死身同然の存在が誕生した瞬間だった。
気が遠くなるほど遠い昔のことを思い出しながら、ゆっくり、大きく息を吐く。マイヨが「マイヨとして」彼女に出会ったのは、この部屋だった──。
容器越しに何度か短い会話をしただけだった。それでもあのとき、彼女はでき得る処置をすべて施してくれた。
「死にたくない……」
当時、武装警察の中でも最精鋭とされるファンタズマからの急襲を受け、重傷を負って担ぎ込まれた日のことだった。
人工羊水とでも言うべき呼吸ができる液体、オロカーボンで満たされた容器の半透明ガラス越しに、マイヨは容器の外側から自分を見つめる女に懇願した。
「死なない。大丈夫。あなたのことは、私が助けるもの♪」
女がにっこり笑って告げた。
「私、ミレディア・エアリーゼ。ここの研究施設に引き籠もってお仕事してまーす。よろしくね」
何とも軽い響きの挨拶だった。けれども、彼女の言葉と笑顔のおかげで、マイヨは助かると信じることができた上、治療の際に幾度となく味わった痛みや苦しみに耐え抜いた。
担ぎ込まれてから一か月ほどが流れたある日のことだった。
「ちょっといっかなぁ? あなた、『特諜』の情報将校サンよね?」
ミレディアがその日もいつもと変わらぬ笑顔で話しかけてきた。
今更自分が軍情報局どころか、軍自体でその存在が最高機密とされている『特諜』と呼ばれる部署にいることを隠す必要もない。容器の中で、男は小さく頷いた。
「そうすると、『生きて情報を持って帰らないと、お仕事にならない』し、机の前で考えているだけでも良くないってことだよねー?」
質問にマイヨはもう一度頷く。
「そっかー。そうしたら、生体端末持たせるとかの方がいっかー?」
「え? ちょ……」
あっけらかんとした軽い口調と話した内容とのあまりのギャップに、マイヨは困惑する。だが、ミレディアはマイヨの反応などお構いなしに続ける。
「ウチのダーみたいなのでもいいけど、何かあったときあなたは無傷で逃げられる方がいいだろうし、安全な場所から少しでも確実に情報集約をさせたいわよねー」
理解が追いつかず、彼女の言葉を頭の中で処理する速度が遅れた。
「ダー?」
「そう。研究中の私を守るために、この施設に押しかけてきたテロリストを一人でぜーんぶやっつけちゃった超カッコいい人」
マイヨは「ダー」がダーリンのことだとわかると、次に、言われた言葉から思い当たる件を脳内で検索した。
三か月ほど前、最高レベルの研究施設が五〇人以上のテロリストに物理占拠される事件が起こった。このとき、研究所の所長はあろうことか、「うるさいし気が散るからドカドカ人を送り込むな」と特殊部隊の突入を断ったという。マイヨの記憶が確かなら、その後、軍の最新兵器が投入され、一気に片付いたという話だ。
「それって」
敵地でたった一人で三万もの敵と戦い勝利した、特殊作戦群の生き残りとして知られたワンマンタスクフォースではないのか。
「うん。世間じゃ『殺戮する哲学者』とかひどい言われようだけどね。私の実験にノッてくれたダーは今、本当に最強。私はダーを『RAAZ』って呼んでる」
この後、ミレディアが言った言葉はマイヨの耳にまともに入らなかった。
マイヨは上半身をゆっくり起こすと、自らの四肢に繋いであるコードを引きちぎるように無造作に外した。
(内蔵リアクターじゃないから、外部からナノマシンを充填しないと、身体が持たない)
厳密には定義として相応しくない表現だ。それでも、開発者であるミレディアがそれを『リアクター』、『アセンブラー』などと呼んでいたのだ。そこは一応、彼女の言い方を尊重した方が良いだろう。リアクターは、身体を支えるナノマシンを自己生成・稼働させるために必要な機能だ。言うなれば記憶のバックアップをしつつ、ナノマシンでベストの状態の細胞を新生させ続けるシステム、と言うべきか。
『殺戮する哲学者』はその身体を支えるためシステムをそっくり内蔵で持っていた。だから基本的に不老不死に近い。しかし、マイヨは違う。生体端末からの情報をシンクしながら回収する性質上、その自己生成まわりのシステム搭載は一部のみとなった。シンク中に一時的なエネルギー補填、もしくは放出が行われた場合、情報回収に失敗することが発覚したからだ。しかもその場合、かなりの確率で生体端末がエラーを起こし、使い物にならなくなる、とも。
マイヨは一箇所だけ長いままの髪に触れると、少し眉間にしわを寄せ、渋い顔をした。
(しまった)
髪を切ったのだった。あのときタヌへ、生体端末と自分が違う存在であるとアピールする必要があった。自分への殺意を隠さぬRAAZもいた。マイヨは即断即決し、目の前で自らバッサリと切った。このとき誤って、三つ編みだけが残ってしまった。
(命は助かったんだ。あの、タヌ君って子にも嫌われなかったし、ドクター・ミレディアそっくりなあの彼女の不興も買わずに済んだ。運が良かった)
三つ編みは幸運のシンボル。そういうことにしておこう。
(この部屋にいる限り、俺は死なない。けど、今の状況のままで『鍵』がRAAZの手に渡ってここの扉を開けられたら完全に詰む。もう、引き籠もってばかりじゃダメってことか)
マイヨは円筒形の容器から出ると、バスタオルで身体を拭いてから着替え始めた。
黒のアンダーに身を包んでから、立ち襟で裾の長い上着に袖を通す。最後に、結いっぱなしにしてあった三つ編みを解くと、タオルで髪をある程度乾かしてから改めて結い直す。支度を済ませると、真っ白な部屋を後にした。
(まずは、タヌ君とDYRAを見つけないと)
やることは決まってる。マイヨは二人を見つけるべく、早速動き出した。
改訂の上、再掲
074:【?????】もう一人の登場人物も「再起動」する2024/12/22 11:18
074:【en-route】逃げるふたり(2)2018/09/24 22:51
CHAPTER 74 毒薬の効果2017/08/24 23:00