061:【MERET】招待状という名の賽が投げられた?
前回までの「DYRA」----------
サルヴァトーレ=RAAZ説を話していると、庭先を不審者が走って行く。DYRAはタヌを残して追い掛けた。追いつき、追い込み、一気に詰めると、何と、フランチェスコで宿屋探しを助けてくれたあのメイドではないか。DYRAはなるほどなと納得できたような、できないような気分になった。
昼下がり──。
一昨日未明、どこからともなく現れ、姿を消したアオオオカミの群れによる襲撃に遭ったフランチェスコだが、今はすっかり落ち着きを取り戻した。被害は街の西側に集中、死傷者も出た。不幸中の幸いは、襲撃が夜明け前だったことで、火災などの二次災害が起きなかったことから、街の社会基盤に累が及ばなかったことだ。
街の中央広場からほど近くにある錬金協会の建物は無傷だった。そこで、昨朝の時点で敷地内に怪我人を救護する簡易施設を急ごしらえで用意、怪我人の手当てを行っていた。今日は襲撃が起こってからすでに二晩経っているため、昨日と比べれば人の姿はまばらだ。
「ありがとうございました。それにしても、協会の方々はやっぱり、護符をちゃんと持っていらしたのですね」
「会員さんはやっぱり、あの護符を持っていたから無事だったんですね。バカにしちゃいけなかったんだなぁ」
手当てを受けた人々は口々にそう言っては手当て後、なけなしのお金で護符を買って帰った。
襲撃騒ぎの後、メレトへ避難していたディミトリは、昨日のうちにソフィアを残し、年老いた副会長と共にフランチェスコへ戻った。しかし怪我人を手当てする能力はないため、建物の二階から救護活動の様子をただ見つめる。彼のその表情は曇っていた。
「ったく……」
ディミトリは、ソフィアがまだフランチェスコに来ないことを案じた。会長に呼び出されたことは知っていた。しかし、予定では今朝までには再会できるはずだった。だが、今なお姿は見えない。
(何かあったんじゃないだろうな)
ディミトリは内心、ソフィアが会長に叱責などされているのではないかと心配した。
(今になって冷静に考えれば、俺がアホすぎた!)
数日前、ソフィアに会長の動きを抑えて欲しいと言ったことをディミトリは思い出す。あのときは、『鍵』と『現物』を確保しようと奔走しており、それを会長に邪魔されたくなかった。ディミトリはあの場でソフィアを煽ったことを後悔した。
(だいたい、『鍵』と『現物』、揃って得するのは最終的にゃ、イスラ様じゃねぇ)
ソフィアは有能で、かつ、仕事もできる。副会長のイスラが会長になった暁には、新体制となる錬金協会に絶対に必要な人材であり、戦力だ。
(どっちも欲しがっていたのは、あっちのイスラだ!)
その二つと引き換えに副会長のイスラを会長にする。それらが一〇〇〇年以上その座に君臨し続けている会長の、言わば力の源に当たるものだから。
ディミトリが知る限り、二人のイスラの取引内容はこうだった。もっとも、副会長は権力欲がないからか、会長の椅子にほとんど興味を示していない。むしろ、『死んだ土地』を始め、大昔の『文明の遺産』が発見できる可能性があるところへ足を運び、使えそうなものを見つけ出して、普及させることを生きがいとしている。そんな日々の過ごし方は昔から変わらない。
(俺らがイスラ様を会長にしようと突っ走ったのが裏目に出たってことかよ!)
ソフィアを失うことは将来的に錬金協会にとって大きな痛手になってしまう。ディミトリの頭はいつしか、今後のことを考え始めていた。
(けど、あっちのイスラが何者か、顔以外何もわからねぇ。それを調べることからか)
ディミトリが聞き知る範囲では、二十数年前に二人のイスラは出会ったという話だ。もっとも、どこで、どんな状況でなどの詳細は何も聞いていない。
(動かないと!)
朧気ながらも今後の方針がだいたい決まったときだった。
馬車が到着する様子がディミトリの目に入る。馬車は敷地に入ってすぐのところに止まった。
「お!」
ディミトリは窓際から離れると部屋を出て、階段を駆け下りた。走って建物を出ると、馬車の近くまで駆け寄った。
「あれ?」
馬車は錬金協会のものではなく、単なる辻馬車だった。頭部をすっぽりと被りで覆った御者が降りる。だが、客室の扉を開ける素振りなどを少しも見せない。ディミトリはすぐさま御者のもとへ駆け寄った。
「おい!」
「はい」
御者は、素っ気なく返事をすると、被りも取らずにディミトリを見る。
「何でお前だけなんだよ、客は?」
ディミトリは単刀直入に尋ねた。
「ええ。ご依頼の女性の方から、錬金協会の副会長様へ、これを渡しておいて欲しいと」
御者はそう言って、懐から薄い封書を取り出し、ディミトリに手渡した。
「副会長……イスラ様に?」
「確かに、お預けしました。では、よろしくお願い致します」
御者は恭しく会釈をしてから、馬車に乗り込むと敷地の外へ去った。
「ソフィア……じゃねぇっ」
封蝋の印璽を見て、ディミトリはハッとした。だが、遠くへ走り去った馬車はすでに視界から消えていた。
(マジか!)
印璽は錬金協会の紋章。蝋の色は金粉混じりの紫紺色。ラピスラズリさながらだ。その封蝋と印璽の組み合わせを使えるのは錬金協会でただ一人しかいない。
(会長じゃねぇか!!)
差出人がわかったディミトリは血相を変えて、救護施設のテントへと走った。
「イ、イスラ様すみません」
ディミトリは飛び込むように簡易施設へ入るや、怪我人の脇をサッと通り抜けて、手当てをしていた老人の側へ寄った。
「騒々しいな。怪我している人がいるんだから」
老人の言葉に、ディミトリは「急ぎだったので」と言いながら、先ほどの封筒を見せた。
「会長から、イスラ様宛です」
「ディミトリ。今ここで読んで良い。本当に大事な内容ならこの人の手当てが終わった後、声を掛けてくれ。そうでないなら部屋の机に」
それだけ言って、老人はまた怪我人の手当てに専念した。
「わかりました」
ディミトリは言いながら、老人の視界に入る位置で開封する。中にはメッセージカードが一枚入っていた。
「マジか……」
「ディミトリ」
一読したディミトリが表情を引きつらせたとき、手当てを終えた老人が声を掛けた。ディミトリは、「机に置いておきます」とだけ告げると、メッセージカードを手に外へ出た。
(最悪にやべぇ!)
ディミトリは錬金協会の境界塀の一角まで走ると、周囲を見回す。あたりに人影がないのを確かめてからカードをもう一度読み返した。
『深夜、
フランチェスコの広場から歩いて西の端にある時計台の前へ来い。
キミが来るなら、欲しいものはくれてやる。
ついでに、キミの女友だちもお返しするよ』
(これ、イスラ様宛じゃねぇ!)
ディミトリは、事情を知らない御者が「イスラ様宛」と聞いて、副会長だと思い込んだのだと察した。だが、面倒なのは書かれた内容だ。素直に解釈するなら、『鍵』と『現物』を渡すから来いと言っているのだ。そのときにソフィアも一緒に返す、と。
(これじゃ会長は何も得がない。子どもでもわかるほどあからさまな罠じゃねぇか)
急いでもう一人のイスラに知らせなければならない。ディミトリは街外れの方へと走り出した。しばらく走った先に、地下水路への階段に繋がる煉瓦小屋が見えた。そこは以前タヌやロゼッタが使った場所とは違い、古びた外観ながら、建物周囲など含め綺麗に掃除されている。恐らく、ここを通る人は誰であれ、管理人などが出入りしていると思うだろう。
ディミトリはあたりに人がいないのを確かめると、ポケットから鍵を取り出して解錠し、中へ入った。
扉を閉めるとすぐに螺旋階段の踊り場になっており、ちょうど扉の影になる位置に小さな鉄の箱が置かれていた。真っ暗な場所だが、ディミトリは記憶を頼りに箱の前に身を屈め、箱を開ける。蝶番がこすれる嫌な音を我慢しながら、蓋の裏側にメッセージカードを収めた。そしてすぐに立ち上がると、何事もなかったように外へ出て、足早にその場を去った。
ディミトリが出ていった後、暗闇の中を人影が動いた。鉄の箱が開く蝶番がこすれる音が響く。間髪入れず、カサコソと紙を扱っている音が聞こえた。
「……ようやくこの文明に降り立ったワケだけどさ。情報が足りないのに自分で動いて取りにいかなきゃならないとはね。まったく……」
ブツクサ呟いている間、今度は順番を逆に、紙をカサコソ扱う音と、蝶番がこすれる音が響いた。
「大事な俺の目と耳を盗んで勝手に使いやがって」
人影は闇へ溶け込むように消えた。今度は入れ替わるように、暗闇の中でカン、カン、カン、と規則正しい音が近づいてくる。その音が消えると、再び蝶番がこすれる音が聞こえた後、カン、カン、カンと音が規則正しく、だが、心持ち速いリズムで遠のいた。
その直後、踊り場の扉が開いた。
「最近変なヤツが出入りしているって話だからなぁ。見回りしないと」
カーネリアン色の空の輝きを背景に、年老いた水路の管理人が足を踏み入れる。彼が入って扉を閉めたとき、黒い花びらが一枚、二枚、ふわりと風に乗って扉の隙間から外へと舞った。
DYRAは、メイド姿の女とやりとりした後、ずっと庭のテラス席で過ごした。いつの間にか空の色がアメトリンのような二色混じりを経て、徐々にアメジスト色が広がりつつあることに気づく。
「お客様。お外は冷えて参ります。お部屋へどうぞ」
メイドの一人が庭へ出て、DYRAへ声を掛けた。
「ああ。わかった」
DYRAは席を立つと、邸宅内にある、広めの居間へと案内された。
「タヌは、まだ本を読みに行ったままなのか」
「そのようでございます。じきにサルヴァトーレ様とご一緒に戻られるかと思います。それまでこちらでお待ち下さい」
メイドはそう言って恭しく会釈し、去った。
居間に一人になったDYRAは、窓際へ近づいたとき、馬車が来たとわかる蹄の音と車輪の音とを聞いた。
(辻馬車か?)
夜の帳が下りつつある空の下、DYRAは窓越しに、邸宅前の馬車回しへ二頭立ての馬車がゆっくりと近づいているのを見た。その様子を見るに連れ、DYRAは異変に気づく。
(無人の馬車?)
周囲で人が動いている気配がまったくない。DYRAはリビングルームの大窓を開いて外へ出ると、馬車回しへと走った。馬車の前に来ると、何があったのか理解した。
「大丈夫か!?」
御者が腹部を押さえ、激痛をこらえているではないか。DYRAはすぐに肩を貸し、御者を下ろした。
「DYRA……様」
声を聞いた瞬間、DYRAは御者が誰かすぐにわかった。昼間、DYRAが庭の片隅で捕まえた、メイド姿をしたRAAZの密偵とおぼしき女だ。彼女の手は液体で濡れていた。僅かに鼻をつく匂いから、血だとわかる。
「お前、さっきの……。どうした? 何があった?」
「……私は、大丈夫です。それより、会長に……『役目を果たした』旨、お伝えしないと」
「そんなことより手当てを」
「ええ。すぐに……。ただ、人に見られるわけには……」
見られてはいけないのだと理解したDYRAは、彼女に肩を貸し、居間へ連れて行った。いみじくも要人の邸宅なのだ。こちらから人を呼ばなければ誰かが来ることもない。
女が腹部を押さえながら話す。
「夜のお出かけ……タヌさんを、連れて行かない方が……」
女はそれだけ言うと、DYRAからそっと離れた。よろめきながらも自力で歩き、「大丈夫です」と言い残して居間の扉から出ていく。
「待て」
DYRAは後を追ったが、廊下に女の姿はもうなかった。
「一体……」
あの忠告の意味は何なのだろう? そもそもDYRAは夜に出かける予定などないのに、といぶかしむ。詳細を聞きたかったが、女を見失った以上、それもできない。仕方なく居間へ戻ろうとしたときだった。
「DYRA」
廊下の奥の方から、聞き慣れた声が耳に入った。DYRAはすぐさま声が聞こえた方へ振り向く。タヌが小走りで駆け寄ってくる。
「タヌ」
「ここの書庫、本がいっぱいあって、すごく面白かったよ」
「それは良かった」
DYRAは何事もなかったかのように応える。
「DYRAはあの後、何をしていたの?」
「色々思い出せないから、思い出そうとしたり、頭の中を少し整理したり、だな」
「そっか」
そのときだった。
「やれやれこんな時間なのに、これから納品だなんて」
タヌが走ってきた方と反対側の廊下の奥からサルヴァトーレが現れた。
「納品?」
タヌが質問をすると、サルヴァトーレは頷いた。
「会長さんの気まぐれで、今から来いって。おまけに『明日の朝イチに来客が決まったから、今日中にここ引き払って』って」
「い、いきなりすぎません?」
今から出たら、どこへ向かうにしても深夜になってしまうではないか。タヌはそんな気持ちを言葉に乗せていた。
「ホント、そう」
サルヴァトーレはやれやれとばかりに、両手を天に向けて、お手上げポーズをしてみせる。
「どうしても、今でないといけないのか? 明日の朝イチではダメなのか」
「相手は錬金協会の会長さん。逆らったら自分、仕事干されちゃう」
DYRAはサルヴァトーレの言葉が見え透いた嘘だと見破っていた。それでも、タヌがいる手前、敢えてそれを言葉にしない。
「それで、どこへ移動するつもりだ?」
「シニョーラとタヌ君は今すぐ出発で、マロッタへ移動してもらおうと。あそこなら中心街にゆっくり過ごせる家もあるし」
マロッタは、西の都アニェッリに次ぐ大きな都市だ。タヌは、そんなところに家があるサルヴァトーレは自分が思っている以上の、とんでもないお金持ちではないかと思った。
「ともあれ、もしこれと言って荷物とかないなら、すぐに出発しようかと」
サルヴァトーレの言葉に、タヌは頷いた。
「わかりました。ボクは鞄だけだから、中を確かめれば大丈夫です」
「私も大した荷物はない」
「わかった。今、自分の荷物を馬車に積んでもらっているから、それが終わったら出発で。じゃ、シニョーラたちも馬車回しのところに停まっている馬車に乗っちゃって」
それだけ言ってサルヴァトーレが居間を後にする。続いて、タヌが鞄を取りに寝室へ走る。DYRAは彼らの後ろ姿を見ながら先ほど言われた言葉を思い出した。
(タヌを連れて行くなと言っていたが……)
RAAZがタヌを夜陰に乗じて殺すようなことをするとも思えない。本当に殺すつもりなら、今まで何度でも機会はあったはずだ。
(今は少なくとも、そんなつもりではないだろう。だが、だとすれば?)
これから何が起こるのか。警戒するに越したことはない。DYRAなりに考えをまとめると、戸締まりをしてから居間を出て、玄関から外へ、馬車回しへ移動した。
馬車回しには先ほどとは別の、四頭立ての馬車が二台用意されていた。そのうちの一台の客室に、縦横高さ、いずれも両腕を目一杯広げたほどの大きさがある箱をメイドたちが積み込んでいる。DYRAは怪訝な顔をした。
(何だあれは。服や布を詰めるには大きいな)
もう一台では、背の高い御者が小さな鞄を積んでいた。こちらはごく普通の光景だった。
「DYRA」
声がして、鞄を取ってきたタヌが馬車回しに現れた。
「準備はできたのか?」
「うん」
会話を聞いた御者が二人の方を見る。DYRAはタヌへ大荷物を積んでいない方の馬車を指差した。
「じゃ、乗っちゃうね」
タヌがそう言って、客室へ乗り込んだ。続いて背の高い御者が御者台へと上がった。このときちょうど、DYRAはサルヴァトーレが外へ出てきたのを見た。
「自分は荷物が心配だからこっちに乗るよ。それじゃ、また後で」
サルヴァトーレがDYRAへ告げてから大きな荷物がある方の馬車へ乗り込んだ。傍らにいた小柄な御者はそれを見てから御者台に乗ると、早速馬に鞭を打つ。サルヴァトーレを乗せた馬車がゆっくりと動き出した。
このとき、DYRAはサルヴァトーレが乗った馬車の御者が腹部を押さえていたのを見逃さなかった。
改訂の上、再掲
061:【MERET】招待状という名の賽が投げられた?2024/07/27 21:55
061:【MERET】招待状という名の賽が投げられた?2023/01/07 16:37
061:【MERET】演目の準備(1)2018/09/09 22:55
CHAPTER 61 再会の茶番2017/07/10 22:00