006:【PJACA】陳腐な罠の裏側
前回までの「DYRA」----------
宿屋で出会った夫婦は、DYRAとタヌへ自分たちが錬金協会の関係者であることを仄めかした。不思議そうな目で彼らを見るDYRAとタヌ。そんな矢先、件の夫婦の片方が食後出かけたきり戻ってこないとDYRAへ相談が持ちかけられる。だが、DYRAの目には、助けを求めた夫が雰囲気から妻を見捨てた風にも見えた。
町の外に出たDYRAは二つのことを考えながら歩く。
例の女性を捜し出さなければいけないことに加え、アオオオカミを一頭たりとも町へ入れてはいけない。小さな町なら三頭もいれば町を壊滅に追い込める獰猛な生き物だ。そもそも彼らはアオオオカミの調査と言っていたが、夜に一人や二人で何ができるというのだ。入念な自衛策もなしに近づけばあっという間に捕食されるのがオチだ。それこそ、甲冑にでも身を包んで万全の防御策を施した上で、強力な猟銃でも持っていなければ話にならない。丸腰よりマシな程度の装備で何を調べるつもりだったのか。幸い、まだ絶望の底に突き落とされたような悲鳴は聞こえてこない。無事を祈っても決して無駄にはならないだろう。そしてもう一つは、あの二人が身につけていたペンダントだ。
(あれは確か)
タヌには伏せていたが、DYRAはあの鍵の意味を知っていた。
(錬金協会の)
構成員の証だ。しかも、表には知られていないが、守秘義務の宣誓式を済ませた印である。鍵の色やアクセントに使われる宝石が属する階位を示している。そして、記憶に間違いないなら、錬金協会は都から田舎に至るまでくまなくネットワークを張りめぐらせた有名な組織だ。では何故、錬金術学校の生徒などと、少しでも事情がわかりそうな人間なら見破れる嘘をついたのか。DYRAは食堂で出会ったときのことも思い出しながら、考える。
RAAZの話をしていた男二人組がいなくなったところで。狙い澄ましたようにあの夫婦は声を掛けてきた。
タヌに聞かれたからとはいえ、彼らは自分たちが錬金協会の関係者であることをわざわざ示す必要があったのか。確かに、あの鍵の印自体については、わからない人間には構成員であること以上はわからない。さりとて、見せびらかすものでもない。
(考えにくいが)
知っている「誰か」を探し出すために、これ見よがしに目立つ場所に身に付けている。
これならあり得そうだ。が、仮にそうだとして、あんな小さな町で一体誰を探すというのだ。都やマロッタのような大きな街ならともかく、小さな田舎の町だ。
やがて、DYRAの中で信じられないような仮説ができあがっていく。
(まさか)
彼らが探しているのは、自分、もしくはタヌではないのか。いくら何でも考えすぎだろうと思うが、それでも、この疑念を拭いきれない。しかし、この件はこれ以上考えても推測の域を出ない。DYRAはここで考えるのを止めた。
(あとで直接聞いた方が早い)
DYRAはタヌと共に歩いてきた道を逆方向、つまり戻るように歩いた。途中、獣道にも似た箇所を見つけると、ランタンの光で足下を照らす。くっきり残っている靴跡があった。DYRAは森の方に目をやると、木々が生い茂る森へと足を踏み入れた。
部屋で最初に悲鳴らしき声が聞こえたとき、微かに低い何かが聞こえた。仮にあれが唸り声の類だとするなら、今は動物の鳴き声が何一つ聞こえない。動物たちが何かに対し、警戒しているのではないか。
「!」
突然、DYRAの中で本能的な警告が響き渡った。アオオオカミが近くにいるとき感じられる独特の雰囲気とは違う。別の何かが近くにいる。それも、かなり近くだ。
首の高さのあたりに何かを感じ取ると、DYRAは反射的に身を屈めた。一瞬の後、そばにあった木に何かが刺さった。確かめる余裕などない。それでも、襲ってきたのがアオオオカミではないとはわかる。人間だ。気配から複数いると伝わる。今、知りうる限り、行方知れずになったのは女一人のはずだ。これはどういうことなのか。
ランタンの灯りが人影を浮かび上がらせる。二人いる。背や肩幅から恐らく、男だ。真っ黒な外套に身を包んでいる。昨日、焼かれたあの村で遭遇した男と同じ外套姿だ。二人とも、右手に血にまみれた剣を、左手に血の滴るアオオオカミの首を持っている。
(何⁉)
アオオオカミを殺して間もないことは間違いない。経緯はどうあれ、目の前の二人を即刻排除した方がいい。DYRAはランタンの灯りなどいらないとばかりに消して投げ捨てると、右手を水平に構えて手を開く。一枚、また一枚……右手のひらの周囲に青い花びらが舞い始めた。花びらの枚数が増えていき、手のひらのまわりで嵐のように舞い上がると、肘下から指先まで花びらの嵐に包まれ見えなくなる。二人の男がどよめきの声を上げる中、今度は花びらの嵐が止んでいく。DYRAの手にサファイア色の刃が美しい蛇腹剣が現れた。
二人の男が雄叫びにも似た声を上げて斬りかかるが、一太刀も入れられないどころか、一瞬で蛇腹剣に武器を絡め取られ、奪われた。
DYRAは相手が拍子抜けするほど弱いことに驚いた。アオオオカミを自力で排除したとは到底思えない。だが、聞きたいことが山ほどある。彼らを敢えてすぐには殺さず、膝裏と右肘から下だけを痛めつけ、立ち上がることと武器を持つことをできなくした。一人は激痛のせいかすでに意識を失っている。この様子ではどのみち、ある程度時間が経てば出血多量で息絶えるのは想像に難くない。
「誰の差し金だ?」
倒れているものの、意識を失っていない男の頭をDYRAは踏みつけながら問う。踏みつけられている男が何かを言いたいのか、呻き声を上げたそのときだった。
バン、バン。
深夜の闇の中に乾いた銃声が響き渡った。
「ん?」
銃弾はDYRAの左右の鎖骨の下あたりに命中した。当然、外套にも穴があく。しかし、黒い外套のおかげか、血がどのくらい出ているかは傍目にわからない。
「……まったく」
何事もなかったように呟くと、DYRAは銃が撃たれたとおぼしき方向をじっと見つめた。視線の先に別の人影があった。それは、ランタンとペッパーボックス式ピストルを手にした男だった。そう。宿屋で妻を助けて欲しいと言ってきたあの人物だ。
DYRAは銃など無駄だとばかりに、冷たく鋭い瞳で男を見つめた。面倒を起こすだろうと何となく予想していたせいか、撃った人物が先ほどの夫であることに対し、驚きもなかった。
一方で、男は灯りのついたランタンを足下に置くや、照らし出された周囲の風景に、「ひっ」と引きつった声を上げた。命中したはずなのに、死んでいない。それどころか、倒れもしないし、苦しむ様子もない。慌てふためいて再び銃口を向けると、男は再び引き金を引いた。再び、バン、と乾いた銃声が響き渡る。弾はDYRAの胸に命中した。先ほどと同様、黒い外套に穴があいた上、今度は留め金の、金の鎖飾りが地面に落ちる。それでもやはり血がどのくらい出たかは黒い外套のせいもあって、わからない。
「な、なな、何で……」
男は怯え、また引き金を引いた。銃声が響く。今度は命中こそしなかったものの、弾はDYRAの頬を掠めた。彼女の頬に傷がつき、血が流れ落ちる。
「無駄なことを」
DYRAは何事もなかったかのように、空いている手で傷つき血が流れている頬を軽く拭った。銃弾が頬を掠めたことでできた傷がみるみるうちに消えて行く。その様子に男は我が目を疑うと、もう一度引き金を引くが、四発装填式の銃はカチリ、という音を鳴らすだけだった。
「ひっ……あっ……そんっ……」
男は腰を抜かすと、その場にへなへなとしゃがみ込んだ。
「バ、バケモ……ッ」
男は逃げ出そうにも恐怖のあまり、立ち上がることができない。もがくように後ずさりする。じたばたする度に、地面に落ちた枯れ葉とDYRAが舞わせた青い花びらとが舞い上がる。恐ろしく乾いた土が砂となって気管に入る度に、男は咳き込む。
そのとき、DYRAは背中に別の気配を感じ取った。枯れ葉を踏む別の足音も聞こえる。
「茶番はもういい」
素っ気ない言葉とは裏腹に、蛇腹剣を持つ手に僅かに力を込める。
「やっ、やめっ……ロザリアさんっ……やめっ」
大声を張り上げた男の視線がDYRAではなく、その向こう側を見ている。DYRAは気配を察していたが、敢えて振り向かなかった。彼女の後ろには女が立っていた。そう。いなくなったと言われていた夫婦の、妻の方だ。
「みっつ、答えろ」
DYRAは後ろにいようが関係ないとばかりに告げる。
「昨日、村に火をつけたのは、お前たちか?」
質問からしばらくの沈黙が流れた後だった。
「そうよ」
答えたのは、DYRAの後ろに立っている女だった。
「火をつけたのも、襲ったのも、『やれ』って言われたからだっ。ロザリアさんのせいじゃない‼」
夫役だった男が叫んだ。それだけではなかった。
「ロ、ロザリアさんっ‼ 後ろっ‼」
男の叫び声と、DYRAが背中に「風」を感じたのは同時だった。彼女は思わず振り返る。後ろに立っていた女のさらに背後で、赤い花びらが舞い上がっているではないか。一枚や二枚などと数えられるものではない。DYRAが武器を手にしたときなど比べものにならないそれは、「嵐」と呼ぶに相応しいものだった。
「……来る!」
DYRAは息を呑み、蛇腹剣を握り直した。
大量の赤い花びらが、ロザリアと呼ばれた女の背後で舞い上がる。血のような真紅が美しい。まるで花びらが壁を作っているようだった。やがて、DYRAのときと同様、花びらの嵐が止んでいく。
ロザリアの背後に、真っ赤な外套に身を包んだ、とても背の高い男が一人立っていた。ランタンの小さな灯りのためハッキリとは見えないが、顔立ちから察するに、若い。目鼻立ちはくっきりしており、銀色の瞳と薄い唇、それに肩のあたりまであるくせ毛気味の銀髪と、男にしては色白の肌が印象的だ。左耳に填められた、オーバル型のルビーと、楕円の両端を尖らせた形の大粒ダイヤが揺れる耳飾りも似合っている。
突然の出来事に、DYRA以外の二人はまったく状況が呑めていなかった。現れた男は慣れた手つきで女のうなじに手刀打ちをした。女の身体が地面に俯せになって倒れる。
「ロ、ロザリアさ……」
声が聞こえるなり、現れた男が素早い動きで何かを投げた。DYRAはそれを見抜けたが、恐れ戦いていた男にはわからなかっただろう。そして、これからも永遠に理解する瞬間は来ない。首に細身のナイフが刺さり、絶命したからだ。
枯れ木の森の中で生きているのは、赤い外套に身を包んで現れた男とDYRAの二人だけだった。
男の姿にDYRAは我が目を疑い動揺の色を浮かべる。しかし、男はそんな彼女とは対照的に、上から目線で見下すような雰囲気を柔和な笑顔で隠しながら首を横に振りつつ、一歩一歩、ゆっくりと近寄った。自身の右手の周囲に赤い花びらを嵐のように舞い上げながら。
改訂の上、再掲
006:【PJACA】陳腐な罠の裏側2024/07/23 22:18
006:【PJACA】陳腐な罠の裏側2023/01/04 00:18
006:【PJACA】助けを求めたのは呼び出しの合図だった2020/11/13 11:58
006:【PJACA】鍵とカネと罠と(4)2018/09/09 11:55
CHAPTER 08 森の中で2016/12/30 02:33