057:【MERET】騒動を覚えていないの、本当に驚いた
前回までの「DYRA」----------
タヌは今、DYRAが到着したとサルヴァトーレから告げられて、心底から喜んだ。DYRAは幽霊でもないし、本物だ。だが、どうにも様子がおかしい……?
「タヌと一緒に、ピルロへ行く乗合馬車へ乗った」
ようやく話を始めたDYRAをサルヴァトーレは発泡水を飲みながら見る。
「……錬金協会につけられている気がしてならなかった」
DYRAが発した言葉は、タヌにとって予想外の内容だった。乗り換えた理由にそんなことがあったなど、少しも考えてもいなかった。
「シニョーラ。よしんばそれが本当だとして、そのくらいで振り切れると思う?」
サルヴァトーレは少し呆れた口調で言ったが、DYRAは無視して話を続ける。
「それが気になった。それで行き先をフランチェスコへ変えようとファビオで降りた。そのとき、妙な男と出会った」
「妙な男?」
「ああ。その男とは乗合馬車で道中を共にした。そいつはタヌと少しだけ他愛もない話をして、フランチェスコの入口あたりで先に降りた。そして私たちも市内で降りて、宿に泊まった」
タヌは、DYRAの話を聞きながら、乗合馬車の乗り場で出会い、短い間、道中を共にした男のことを思い出していた。
サルヴァトーレが黙って続きを促すと、DYRAは朝を迎えてタヌと共に宿屋を出て、食堂で朝食を済ませたことまでを話す。
「朝食を終えて会計を済ませようとしたときだ。『私への預かり物』と言って、店の人間が黒い鞄を渡してきた」
聞きながら、タヌは店で白い鞄を受け取ったときのことを思い出した。
「それで、黒い鞄を渡された直後、店のすぐ外から声を掛けてきた人物がいた」
いよいよ自分の知らない話が始まる。タヌは身構えた。サルヴァトーレも同様に、核心に入るのだと理解し、DYRAをじっと見つめる。そんな男二人の視線をDYRAは意図的に無視して、淡々と話を続ける。
「外へ出てみると、男が一人いた」
「男の人? 知り合いとか?」
タヌの質問に、DYRAは首を縦に振った。
「私の、というより、お前の、というべきか?」
「え? ボクの?」
タヌはきょとんとした顔をしたものの、彼女の、次の言葉でその意味を理解する。
「乗合馬車で会った、あの男だ」
「えええ!?」
想像もしていなかった内容に、タヌは驚き、大きな声を出してしまう。
「だが、おかしいんだ」
「おかしい?」
サルヴァトーレが聞き返した。
「乗合馬車で出会ったあの男と、私は一言も話していない」
タヌは記憶を掘り返し、DYRAの言う通りだという意味で相づちを打った。
「それなのに、私の名前を知っていた。それも、最初から知り合いだったように話しかけてきたんだ」
信じられない! それがタヌの印象だった。サルヴァトーレは相変わらず、だが、どこか楽しそうに視線で話の続きを促すだけだった。
「あの男は『随分捜した』と言ってきた。前日、乗合馬車で出会っただけなのに」
タヌは驚いた表情のまま、DYRAとサルヴァトーレを交互に見る。
(えっ……)
そのときタヌが目にしたサルヴァトーレは、これまで見たことのない、今にも背筋が凍り付きそうな冷たい空気をまとっていた。こんな、視線だけで人を殺せるような鋭い瞳を持つ人間をタヌは知らない。事情を知らずに彼の表情を見れば、空恐ろしさを感じずにはいられない。
「どういう……こと?」
タヌは誰にとなく呟いた。しかし、DYRAはタヌから質問を受けたと思い、答える。
「その男は言った。『ちゃんと動けるのを確認できて、本当に良かった』と。そして私にこうも言った。『RAAZを殺すには、貴女の力が必要だから』と」
DYRAの答えは、タヌが一瞬前に考えていたことを吹き飛ばしてしまう。
「え……それって……」
タヌはDYRAと初めて出会ったときからここで再会するまで、一連の流れとして思い出す。彼女は『不死身の錬金術師RAAZを追っている』と言った。直接こそ言っていないが、殺すためとも仄めかした。しかし、今の話で行くと、乗合馬車で出会った男が彼女にそれを吹き込んでいた張本人となる。なのに、素知らぬ顔で出会いを演じていたことになってしまう。
「あの男は私に言った。『一緒に幸せになるために、RAAZを殺せ』と」
一体どういうことなのか。タヌは、話についていけなくなり始めた。
「シニョーラ」
サルヴァトーレが呼んだとき、タヌはハッとしてもう一度彼の顔を見た。
(あ……)
そこにいるのはタヌの知る、優しい笑みをたたえたサルヴァトーレだった。一瞬だけ見た、あのぞっとする雰囲気はもうなかった。
「シニョーラの話でいくと、『乗合馬車で初めて出会ったはずの男が次の日、馴れ馴れしく近づいてきた』、こういう解釈でいいのかな?」
サルヴァトーレのまとめに、DYRAは頷いた。細かいところはともあれ、タヌにわかるレベルまで話を単純化させればその通りだからだ。
「そうだ」
「しかも、『RAAZを殺せ』と。すごいなぁ。シニョーラは確かに強いけど、そんな期待をする人がいるなんて」
「私が覚えているのは、ここまでだ。気がついたら……」
DYRAはここで、先ほど言われた言葉を思い出す。
「ガキには『何も覚えていない』と言っておけばいいさ」
「気がついたら、この家に着いていた」
話はここで終わりだろうと思ったサルヴァトーレがまとめに入る。
「先にタヌ君が話してくれた、地下水路の話はシニョーラがいなくなった後のことだね。そう、繋がるわけか」
「はい」
「その話でいくと、乗合馬車の男がシニョーラを攫った。地下水路でタヌ君もその男と会ったけど、知らないって反応だった?」
「はい。本当に、知らないって感じで」
タヌは、ようやく話が繋がったとサルヴァトーレが言っているように感じた。だが、サルヴァトーレは腑に落ちないのか、少しの間、考える仕草をした。タヌは話に入ったことで食べきれていなかった、鴨肉を挟んだパンを食べる。少し冷めてしまったものの、まだまだ美味しい。
「その人、そもそも本当に同一人物なの?」
サルヴァトーレが不思議そうに言った。タヌはパンを食べるのを止めると、何となく頭の中に浮かんだことを口にする。
「変装? なりすまし? それとも……」
言ってはみたが、タヌはどれも今一つピンと来なかった。少なくとも数日前に乗合馬車で話した相手に変装するイメージが浮かばないのだ。あんな青とも金とも、はたまた透き通っているようにも見える不思議な髪の色を持つ人間がそこかしこにいると思えない。
「双子とか?」
タヌは乗合馬車で出会ったあの感じ良い男と、地下水路でDYRAを痛めつけた男が同一人物だと思えなかった。だからか、双子と言われれば何となく辻褄が合うように思えた。聞いていたDYRAも、それなら矛盾も発生しないと心のどこかで納得する。
ここで、邸宅からテラスへ銀の盆にティーセットを乗せてメイドが姿を見せた。メイドは空いた皿やグラスを下げ、ティーセットを準備した。戻り際、サルヴァトーレの席に小さなメモを置いていく。
サルヴァトーレはメモにちらりと目をやると、すぐにパンツのポケットへ入れた。
「あ、そうだ。シニョーラ、タヌ君」
「何だ」
「はい」
DYRAとタヌが反応したところで、サルヴァトーレは席を立った。
「今日はちょっと、依頼されていた仕事を急いで片付けなきゃならなくてね。これからしばらく作業部屋に詰めちゃうんだ。一階の奥に書庫もあるし、のんびり本を読める部屋もある。夕方くらいまでゆっくり過ごして。食事やコーヒーはメイドに言ってくれればいいから」
サルヴァトーレは「じゃ、また後でね」と言い残して、メイドの後を追うように急ぎ足で邸宅へと入った。
再構成・改訂の上、掲載
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CHAPTER 61 再会の茶番2017/07/10 22:00