055:【MERET】そろそろDYRAをタヌと再会させてやるか
前回までの「DYRA」----------
RAAZがターゲットとして目を付けた女。それは錬金協会の幹部ソフィア。彼女が何をしていたかと言うと、例の、DYRAを攫ったあの長髪三つ編み男とメレトで密会をしているではないか。だがそんな密会を、ポニーテールをした三つ編み男が冷たい瞳で見つめている……
真っ白い空間に再び姿を見せた銀髪と銀眼の男は、神経質そうな表情で円筒形の容器で眠るDYRAの様子を見つめた。
(いつまでも無菌室、と言うわけにはいかないか)
男は大型容器の蓋を開くスイッチを入れた。半透明の蓋の部分に映っている文字や数字がすべて消えると同時に、容器内を満たす液体がみるみるうちに抜け、蓋が開いた。そして、あらかじめ持ってきた大判のバスタオルを広げて、彼女の身体を包んでから横抱きすると、真っ白い部屋からそっと連れ出した。
部屋を出ると、床も壁も天井もこれまた真っ白な廊下があった。しばらく歩くと、筒状の空間への入口があり、男はDYRAと共に中へ入った。
少し待ってからそこを出ると、一転、松明で照らされた古い地下道が現れた。
迷路のように入り組んだ道だが、男は迷うことなく小走りで進み、道の終わりにある古びた木の扉の向こうへ行く。
扉の先は酒蔵らしき空間だった。天井まである高い棚に、葡萄酒が保存されたいくつもの樽が所狭しと置いてある。男はそこでも迷わず反対側の出入口へと向かう。そして、部屋の角にある酒樽が置かれた棚の裏側へ回り込んでから立ち止まった。そこで煉瓦の壁の一角に触れて少しだけずらす。すると、隠し扉が現れた。そこから中へ入ると、いくつかの螺旋階段をあがった。
たどり着いた先は、メレトにある邸宅の二階の廊下だった。
男は廊下の南側、一番奥にある一番広い寝室へと入った。天蓋付きの広いベッドでDYRAの服を手早く脱がせるとそのまま寝かせ、キルトを彼女の肩のあたりまで掛けてから周囲のレースカーテンを下ろした。
一息ついてから、男は次にテーブルに置かれた大きめのランタンや、天井のシャンデリアに次々と火を灯す。明るくなったところで、部屋の片隅に置かれた白い四角い鞄から彼女の服一式を出すと、ブーツと一緒にベッドの足下に揃えて置いた。
アメジスト色の空が白んで、小さなダイヤの輝きが地平線の向こうに見え始めた頃。
「ん……」
部屋の窓際あたりでロッキングチェアに座ってまどろんでいた、白いカットソーに身を包んでいた男がDYRAの微かな声に気づくや、顔を上げた。
「お目覚めか?」
むくりと上半身を起こすDYRAの姿がベッドを覆うレースカーテン越しに男の視界に入ると、立ち上がり、灯りを消して回る。それからベッドへ近づくとレースカーテンを上げ、ベッドの足下あたりに腰を下ろした。
「……ここは?」
「メレトの別荘だ」
男からの答えを聞いてもDYRAは内容を把握できないのか、ぼんやりとあたりを見回すだけだった。
「何も、思い出せない……」
DYRAのどこか力ない口調は寝起きならではだろう。男は足下に置いた着替えを手に取ると、ベッドに置いた。
「どうでもいいが、まず着替えろ。でなければ、キミを今この場で犯す。何せ、誘っているとしか思えないからな」
男の指摘で、DYRAは自分が何も身につけていないことに気づく。
「脱がせたのはお前じゃないのか?」
「そうだよ? 血と埃だらけの破れたブラウスだったからな」
あまりにも真っ当な理由だ。DYRAは返す言葉がなかった。
「教えろ。どうして私はここにいる? 何故お前は私を助ける?」
DYRAはあの真っ白い部屋で起こったことを、話したことも含めて何一つ覚えていない。彼女の質問でそれを確認できた男は満足そうな表情を見せた。
「助けてもらえたと思っているなら、そんな質問をするより、言うべきことがあるんじゃないのか? ん? ガキも助けておいてやったんだからな」
男は言いながら、一糸まとわず上半身を起こしているDYRAの肩を軽く突き飛ばして寝かせてからキルトを掛けた。一方、DYRAは男の最後の言葉を聞くと、それまでどこかぼんやりしていた意識が急速にハッキリしてきたのか、すぐさま上半身を起こした。今度はキルトでちゃんと胸元を隠して。
「RAAZ」
DYRAは男の名前を呼ぶと、二度ほど意識をして呼吸をし、告げる。
「タヌを助けてくれたと言ったな?」
男は口角を上げて頷いた。
「ここにいる。無事だ」
この屋敷内にいると知るや、DYRAは言うべきことの意味を理解した。
「そうか。……感謝する」
自分の身に一体何が起こったのか。男がタヌをどういう形で助けたのか。経緯はわからない。それでも、DYRAは精一杯の謝意を込めた。
「いいね。キミの口からたまにはそういうしおらしい言葉が聞けるのも、私の生きる楽しみの一つだよ」
男の言葉に、DYRAはすぐさま視線を逸らし、表情を見せまいと顔を背けようとしたが、一瞬早く、頬を包むように触れてくる手がそれを許さなかった。
「キミは、生きることが楽しくない?」
DYRAの心の内側など読めているとでも言いたげな男は、見透かすように言い放った。
「何が楽しい? 意味がわからない。私はお前を殺すつもりでいた。それなのに、何を言っている? 生きることが楽しいとか、一体何の話……」
DYRAは心にわき上がる苛立ちの感情をそのまま言葉にした。男は察するものがあるからか、彼女の頬を指で撫でた。
「何に苛ついている? 怒るようなことを言ったつもりはないが?」
優しい口調で問いかける男に、DYRAは困惑を露わにする。金色の瞳の輝きがろうそくの炎のように揺らめく。
「お前は、お前は私に何をしたんだ? 記憶……」
言いかけたDYRAの言葉が最後まで紡がれることはなかった。男の親指が、DYRAの唇にそっと置かれたからだ。
「DYRA。何か勘違いしていないか? 私はキミから記憶を『奪った』覚えはない。むしろ、誰も『奪って』いない。もう一度、いや、何度でもこれはハッキリ言っておく」
男は優しい口調で、だが明言した。DYRAにしてみれば、自分以外の人間が自分について、自分よりはるかに多く知っているなど面白くない。その一方で、具体的に自覚し切れていないからか、反論の言葉も浮かばない。
「その上で敢えて言う。キミが自分の生きてきた時間、愚民共に何をしてきたかなど気にする必要もない。キミは真面目すぎる。今いる、今この瞬間を楽しむことをいい加減、覚えろ。お互い、長く生きているんだ。愚民共を気にしていたら、何もできやしない」
それまでの会話の流れと、今、唐突に男が言い放った言葉。DYRAには繋がりがあるように思えない。それどころか、どうしてそんなことを言われなければならないのか。
「わからないことを、言うな。わかるように、言え」
それが今のDYRAにできる、精一杯の反論だった。
「今は何も考えるな。私はそろそろガキを起こして呼んでくる。着替えろ」
男はDYRAから離れて立ち上がると、ベッドの周囲のレースカーテンを閉じてから、足早に移動し、窓を開けた。外のひんやりした空気が部屋に流れ込んでくる。
男が窓際の方にいる間、DYRAはベッドから出て、着替え始めた。
シルクの肌着は手触りだけで最高級品とわかる。サファイアブルーのアシンメトリーデザインのロングスカートは、ペンシルスカートで、今までのような無地ではなく、パッと見ではわからないが、生地に細い金色の糸が縫い込まれており、光に当たるとほのかに輝き、美しく見える。白いフリルブラウスもスカート同様に金糸が縫い込まれている。DYRAは手早く着替えを済ませると、最後にレースアップブーツを履いて、紐をしっかりと結んだ。
「待たせた」
DYRAはレースカーテンを開いてベッドから離れると、窓際の方に立っている男の方を見た。そこにいたのは、銀髪ではなく、煉瓦色の髪の男だった。
「……サルヴァトーレ」
どこで誰が聞いているかわからない。そして、そこにいるのはもうRAAZではない。DYRAは自分自身に言い聞かせる意味を込め、名前で呼んだ。
「それじゃ、行こうか」
サルヴァトーレの姿に変わっていた男は後ろ髪をハーフアップにし、前髪を軽くヘアピンでまとめると、DYRAをエスコートして部屋を出た。
二人はそのまま階段を下りていき、テラスに到着する。
「すぐに食事を持ってこさせる。座って待っていろ。ガキも呼んでくる」
男がそう言い残して邸宅に戻ろうと歩き出す。が、すぐに足を止めた。
「ガキには『何も覚えていない』と言っておけばいい」
思い出したように告げてから、男は今度こそテラスを後にした。
再構成・改訂の上、掲載
055:【MERET】そろそろDYRAをタヌと再会させてやるか2024/07/27 21:49
055:【MERET】そろそろDYRAをタヌと再会させてやるか2023/01/07 14:43
055:【MERET】そして再会(5)2018/09/09 15:24
CHAPTER 61 再会の茶番2017/07/10 22:00
CHAPTER 60 吉報と薔薇2017/07/06 23:00