050:【MERET】悪口聞きながら、お世話になりました?
前回までの「DYRA」----------
夜、タヌがもう寝るかと思い立ってベッドへ入ろうとしたとき、廊下から聞こえてくるのは自分を捜索しているらしき男女のやりとり。やはり、馬車で相乗りしていたのは、地下水路で出会ったあの女性だったのか! タヌは嫌な予感を抱いた。
皆が起き出す前に出発しようと、タヌは朝早く起きて、荷物整理をした。荷物と言っても、フランチェスコから逃げてきた現状、DYRA宛の白い鞄から預かった金銭といくばくかの小物程度しかないが。ほどなくして確認を終えたときだった。
「いいかー」
男の明るい声と共にノックの音が響いた。
「あ」
入ってきたのはディミトリだった。
「お、早ぇじゃん」
鼻先に落ちてきた金髪を時折ふっと吹いてずらしながら、タヌに声を掛ける。
「イスラ様たちは朝、ちょっと決まりごとのお役目があるんだ。朝飯、一緒に喰おうぜ」
タヌはどう答えればいいか少し考えたが、屈託ない笑顔で誘ってくるディミトリに特段の他意があるとは思えなかった。それどころか、断ればむしろ怪しまれてしまう。
「あ、ありがとうございます」
「俺、作ってやるから」
タヌが部屋を出てディミトリについていった先は、屋敷の外、それも、メレトの街の一角にある、小規模な朝市だった。
「食いたいもん、あるか?」
いきなり言われてもピンとこないと言いたげなタヌの表情で、ディミトリはすぐに察した。
「ん? んじゃ、任せろ」
にかっと笑って言い切ると、ディミトリはズッキーニと茄子、トマト、レタス、レモン、さらに小麦粉とベーコンと卵、オリーブオイルを買っていった。タヌも水を買っていく。
買い物を済ませて屋敷へ戻ると早速、ディミトリがキッチンで料理を始めた。タヌは「任せろ」と言われた手前、ダイニングから彼の慣れた手つきを見つめているだけだ。
「普段、イスラ様や偉い人の朝食を作るのは俺の役目なんだ。役って言っても好きでやっているけど。もっとも、会長のは絶対にやんねー」
タヌの中で会長と言って浮かぶのは、サルヴァトーレが言っていた、会長の名前がやたら長い件と、一〇〇〇年やっている件くらいのものだ。
「会長さんは、朝起きるのが遅いとか?」
感じた疑問をタヌが口にすると、ディミトリが乗ってくる。
「違う。会長は飯を食いたがらない。会長と言えば、一〇〇〇年生きているジイサンってことくらい、聞いたことあると思うけど」
正直に答えることはあまり得策ではない気がする。タヌはしらを切ることにした。
「そうなんですか?」
「ああ。けど何だ。どう見ても会長はジイサンなんかじゃねぇ。俺、会長の顔を何度かチラ見したことあるけど、すっげー若い。イスラ様の方がよっぽどジイサンだ」
それは思わぬ情報だった。タヌは抜け出さなくて良かった、などと思う。
「会長っていっつも顔隠しているけど、素顔見ちまったことがある俺に言わせりゃ、女ウケしそうな顔だった」
タヌの耳に、ボウルで何かを混ぜている音が聞こえてくる。
「へぇ」
「イスラ様に夜ちょっと聞いたけど、お前、フランチェスコの図書館で歴史本読んでいたって?」
「はい」
「じゃ、多少話半分もあるけど、俺のとっておきの会長ネタ教えてやるよ。どうせいずれ協会、来るんだろ?」
フライパンを火にかけ、何かを焼き始めるディミトリの姿がタヌの視界に入った。
「ここだけの話。お前はイスラ様に見込まれて、口が堅そうだから話すってことで」
タヌは身を乗り出したいくらいの衝動に駆られるが、グッとこらえ、テーブルに置いてあるピッチャーからコップに水を注ぐ。
「会長がRAAZだって話だ」
「RAAZって、あの?」
歴史の本を読んで知っている程度の素振りをしてみせる。
「ありゃやべぇ。女ウケのいい若いミテクレに、バカみたいな腕っ節。有り得ない錬金術とか魔術。ぶっちゃけ、イスラ様がどんなに頑張ってもこのままじゃ会長になれねぇ」
部屋にベーコンを焼いた、良い匂いが漂い始める。
「どうやったらイスラ様は会長に勝てるんだって、俺たちも必死さ」
「強いって、どういう意味で?」
タヌは何も知らない風を装うために、何を言われているのかイマイチわからないとばかりに、とんちんかんな質問をしたつもりだった。
「んー、そうだな。身体そのものがまるで、魔法というか魔力というか、錬金術で支えられている感じかな。わかるか?」
タヌはDYRAの能力を見ていることもあるので、ディミトリが言わんとしていることを何となく理解できた。
ここでディミトリが皿を手にキッチンから出てくる。ベーコンと目玉焼き、それにサラダが盛られていた。
「さ、食べよーぜ!」
ダイニングテーブルを挟んで、ディミトリとタヌは食事を始めた。
「美味しい!」
目玉焼きを一口食べるなり、タヌは声を上げた。
「バリバリ喰ってくれ。出会ったのも何かの縁だ」
自分が作った料理を美味しいと言われれば喜ぶ。それはディミトリも例外ではなかった。
「そういえば、ディミトリさんって会長さん、嫌いなの?」
「うーん」
ベーコンを食べながら考える仕草をしてから、話す。
「嫌いだった」
「だった?」
それなら今は好きなのか? とタヌは考える。
「ああ。今は好き嫌いというより、『怖ぇ』だな。正体わからねぇ、化け物みたいな錬金術師だからな」
「へぇ……」
タヌはそう答えることしかできなかった。何も言えないからだ。
「あれだ。協会入ったらいずれは必ず、どっちの派閥に属するかってなると思うぜ」
ディミトリが水を一気に飲んでから続ける。
「選べって言われるわけじゃないけど、何となく、空気みたいな感じ。ただ、俺がイスラ様を選んだのは色々あるけど、何より恩人だし、あとはその、得体の知れない何かじゃないってのが大きかった」
タヌがここでちょうど食べ終えると、ディミトリは見計らったように空いた皿を回収して、洗い場に持っていった。
「あ、そうだ」
思い出したようにディミトリが切り出す。
「お前さ、確か、サルヴァトーレのところで働いているダチと会うって言っていたよな」
「はい」
「別に本人と会うんじゃないんだろ?」
「え、ええ」
タヌの返事を聞いたところでディミトリが話を始める。
「協会でちょっとした話題になっているんだけどさ」
気持ち改まって切り出したディミトリに、タヌは何だろうと言いたげな表情で頷く。
「お前は金持ちそうじゃないから一生縁ねぇだろうし、心配ねぇと思うんだけど」
貧乏人にはどうでもいいならその話をどうして自分に持ってくるのだ。しかし、言うからには何かあるのだろう。タヌは洗い物を始めたディミトリをじっと見る。
「サルヴァトーレな、アイツには気をつけた方が良い。ヤバい噂まみれだからな」
「え?」
まさかこのタイミングでサルヴァトーレの話題を聞くことになるとは思わなかったタヌは、僅かだが身構えた。不用心にぺらぺらしゃべるようなへまをしないように、と気持ちを引き締める。
「は、はぁ……ヤバい噂、ですか」
サルヴァトーレの噂と聞いて、もっと詳しく聞き出したいと思うが、タヌはグッとこらえた。
「うん。アイツ、背乗りじゃねぇのかって」
「背乗り?」
初めて聞く言葉に、タヌはオウム返しで疑問をぶつけた。
「ああ。殺して入れ替わることな」
それはちょっと予想外の内容だと思いかけたところでタヌはハッとする。クリストが言っていた話を思い出したからだ。
「ま、会うことはないだろうけどよ、万が一ってことがあるから言っておくわ。……ったく、ホモって噂だけでもビビったのに」
タヌにとっては我が耳を疑う内容だった。ホモ云々は言葉の意味そのものがわからないからともかく、背乗りのくだりはクリストの言い分に説得力を与えるものに他ならない。
「そ、そうなんだ。すごい、怖い話ですね」
ちょうどそのとき、ダイニングの向こう側からベルの音が鳴り響いた。
「あ、イスラ様が戻ってきた合図だな。……そろそろ出発か」
「出発?」
「ああ。丘の上の一番いいところに会長もいるらしいから、顔を出しておかないとイスラ様も立場上まずいんだよ」
「大変なんですね」
「ああ、会長が『会長』に飽きてくれりゃいいんだけどな。まぁ、そういう感じだ」
ディミトリは「人に言うなよ」と念押しを忘れなかった。
太陽が南中に迫る少し前。
「あの、本当にお世話になりました。助けてくれてありがとうございました」
屋敷の玄関の外、馬車が停まっている前で、タヌは老人とディミトリ、それに美女に深々と頭を下げた。
「気をつけて行きなさい」
老人は笑顔で告げると、ポケットから何かを取り出し、タヌに手渡す。
「これをあげよう。君みたいな子は大切な財産だ。準備ができたらいつでも協会へいらっしゃい」
「ありがとうございます」
老人がタヌに渡したのは、真鍮製のアオオオカミ除けの護符だった。銀色の鍵型の飾りがついている。鍵の形は錬金協会のしるしとして何度も見ているが、今まで見てきたものより若干細かい装飾が施されているものだ。
「私の紹介だと、これですぐにわかる」
受け取って良いのだろうかと戸惑い気味のタヌに、ディミトリは肩を軽く叩いた。
「待っているからな」
「それでは」
老人が馬車に乗り込み、美女はタヌに「気を付けてね」と告げてから続く。最後にディミトリが乗り込むと、馬車は出発していった。
馬車の後ろ姿が遠くなっていったところで、タヌは緊張の糸が解けて深い溜息をつくと、もらった護符に目をやった。デザイン的にはペッレでサルヴァトーレからもらったものと同じだ。しかし、彼からもらったものは純金製のため、はるかに美しい。
タヌはポケットにもらった護符を入れると、屋敷の敷地の外に出て、東側の川沿いの方へ続く道へと早足で歩き出した。
足が疲れ始めたちょうどその頃、タヌは川辺にたどり着いた。あたりを何度か見回したが、何本かの大きな木がある他は取り立てて変わったものはない。
「あれ?」
人の気配はなかった。人どころか野良猫すらいない。昨日聞いた話では、このあたりでお針子さんたちが集まっているはずではなかったのか。
タヌが失望混じりに人気ない川辺から立ち去ろうとしたそのときだった。
再構成・改訂の上、掲載
050:【MERET】悪口聞きながら、お世話になりました?2024/07/27 21:44
050:【MERET】悪口聞きながら、お世話になりました?2023/01/07 00:43
050:【MERET】親切と悪意(3)2018/09/09 15:10
CHAPTER 57 沼2017/06/26 23:16
CHAPTER 56 彼の、闇2017/06/22 23:00