040:【FRANCESCO】あの人が……RAAZさん?
前回までの「DYRA」----------
ロゼッタがタヌを地下水路へ案内する。「どうやらDYRAがいるかも知れない」と。確かに水路に青い花びらが落ちている。タヌはその花びらをたどっていくと、その先にDYRAがいた! え? 攫ったのはあの三つ編み男!? そして、タヌの名を呼ぶ女性がそこに、いた。
(あっ!)
自分の名前をどうして知っているのか聞きたかった。しかし、タヌはその考えをすぐに頭から追い出した。今は一触即発なのだ。何とかして、DYRAを縛る鎖を解かなければ。
「長生きし過ぎたか。……お前に、俺の行く道を阻ませてたまるか」
口調こそ柔らかいが、アレーシが強気に言い放ち、懐から隠し持っていた金属の鞭を取り出す。それを振り上げて、DYRAの両手首を縛る鎖を打つ。タヌはとっさのことで何が起こったのかわからなかった。それでも、頭の上に何かが飛んだかもと、とっさにうずくまった。
「彼女は俺のものだ」
この人は何を言っているのだろう。タヌは再び立ち上がると、驚きの目でアレーシを見た。対照的に、銀髪の男はだからどうしたとでも言いたげな、侮蔑の視線を向けている。
「やはり、何もわかってない、か」
露骨に馬鹿にする態度を隠しもしない銀髪の男に、アレーシが感情を抑えながら話す。
「DYRAにとって、お前は殺す対象でしかない」
直後、水を打ったように場が静まりかえった。その間、タヌはアレーシとDYRAとの間で信じられないとでも言いたげな視線を往復させる。次に銀髪の男へ目をやった。
(えっ……?)
大剣の鞘に数枚、赤い花びらが付着しているのにタヌは目を留めた。
(ちょっ……あれって!)
タヌはそれを一度、見ていた。
ピアツァの近くの街道から広がる森の奥で。
倒れていたDYRAのそばに、それは、あった。
名前を口にしない方がいい。先ほど自ら言い放った目の前に立つこの人物が──。
(も、もしかして、こ、この人が……!)
DYRAがその姿を追っているあの人物なのではないか。もし、目の前に現れたこの人物がそうであるなら、今だけでいいからDYRAの味方であってほしいと願う。
「あははははははは」
突然、銀髪の男が笑い出した。この声でタヌの思考が遮られた。
対照的に、アレーシがそれまでとは一転、苛立ちを露わにする。
「何がおかしい!?」
ひとしきり笑ったところで、銀髪の男が言葉を紡ぐ。
「すべてが『茶番』と気づきもしない。それを見るのは実に愉快だよ、本当に」
「ちゃ、『茶番』だと?」
「そう。お前如きが一体何年掛けて準備したのかは別に興味もないし、私の知ったところじゃない。だが、愚民は所詮愚民だな、と。ついでに言わせてもらえば、私が知っているお前はそんなバカじゃないはずだったんだがなぁ」
タヌは『茶番』とはどういう意味なのかと聞きたい衝動に駆られた。しかし、話に割って入る勇気はなかった。不用意に口にしたら最後、二人のどちらかに殺されかねない。
「色々、種明かしをしてやりたいが、今はそんな気分になれない」
銀髪の男が言い終えると同時に、何かが舞う感触がタヌの背中に伝わった。背中めがけて、などではない。この部屋全部に向けて、といった感じだ。
「……私の可愛いDYRAを傷つけ、辱めようとしたんだ。ただで済むとか、無傷で何とかなるとか、そんなこと思ってないだろう?」
続いて、部屋の壁の一角に恐ろしいほどの衝撃が伝わり、アレーシが立っている箇所のすぐ脇の壁が崩れた。轟音が響き渡る。男が鞘に収まったままの大剣で壁を突いたのだ。大剣が鞘ごと壁に突き刺さったとき、タヌは反射的に頭を抱える体勢でうずくまった。剣が折れないのもだが、銀髪の男もとんでもない強さを持っているのではないか。
男はおもむろに壁に突き刺した大剣を鞘から抜く。ルビー色の諸刃の剣が現れた。アレーシの方へ切っ先を向けた次の瞬間、大剣の刃が細かくなって大量の赤い花びらに姿を変えると、凄まじい勢いで舞い上がった。
(え!)
それを見たタヌは、言葉で何と表現すれば良いのかわからなかった。剣を手にした男の腕から真紅の花を咲き誇らせた蔓らしきものが何本も凄まじい勢いで伸びているではないか。赤い花びらが刃に姿を変えていく。それが蔓と相まって、まるでDYRAが持っている蛇腹剣のように見える。二、三本がアレーシが先ほど放った金属の鞭に絡みつくと、そのまま切り刻む。残りの蔓もアレーシの周囲に襲いかかった。
「なっ……!」
アレーシの動きを封じるかのように、崩れず残った壁や足元へ、蔓の先端が鏃の如く次々と突き刺さった。
「『長生きし過ぎた』ぁ? 誰に向かってものを言っている? お前の言葉を借りて私に言わせれば、お前はヨチヨチ歩きの小僧にも満たないぞ?」
言い終えた瞬間、アレーシの周囲に突き刺さった蔓が一斉に引っ張られ、男の腕へと戻っていった。真紅の花が咲き誇った蔓は嘘のように消えていた。大剣も再び赤い花びらが集まり、ルビー色の刃へと姿を戻していく。
突然、背中から突き飛ばされるような感覚がアレーシを襲う。
「ぐぁっ」
壁が崩れ、体勢を崩したアレーシが床に倒れた。タヌはゆっくり立ち上がりながらその様子を見て、何が起こったか理解した。
(さっきのアレ……え! 壁を壊して引っ張ったの!?)
銀髪の男が畳み掛けるようにアレーシの両腕を掴み、そのまま力ずくで身体を起こすと、部屋の反対側の壁へと半ば投げるように突き飛ばした。このとき、タヌはDYRAを助けようとアレーシから離れてそっと近づく。
「助ける気はさらさらないが、命乞いするくらいの可愛げはないのか?」
楽しそうに銀髪の男が告げた。
「お前は……自分が敵なしだと思っていることが一番の勘違いだよ。……彼女が目覚めれば」
アレーシが睨んで言い返した。そして力を振り絞って手にした金属の鞭をまとめて掴むと、DYRAに向けて鞭を水平に振るうように投げた。
「DYRA!」
タヌは、とっさにDYRAに抱きつくと、その身を楯にした。同時に、背中に激痛が走った。まるで、細かい破片が刺さったような痛みだった。
「っ……痛!」
それでもタヌは彼女から離れない。
「俗物の徒の分際で、どこまでも目障りなことを」
「ほぉ。愚民が自分の意に沿わない者を『俗物の徒』と言い捨てる、か。滑稽すぎるだろう」
タヌは痛みを堪え、二人の男たちのやりとりに割って入るように声を出す。
「何でそんなにDYRAのせいでもめるのか知らないけど……」
涙を浮かべながら激痛をこらえ、タヌは続ける。
「どっちもおかしいことだけはわかる……」
そこへ、アレーシが予備の鞭を取り出し、タヌへ振るう。
「いい加減、止めとけ」
銀髪の男の声と共に、タヌの背中を守るように赤い花びらが嵐のように舞い上がる。金属の鞭は遮られて、届かない。アレーシが悪鬼の如き形相で銀髪の男を睨みつけた。
「興が醒めた」
アレーシとは対照的に、うんざりだと言いたげな感情をありありと込めて、銀髪の男は告げた。手にした大剣の切っ先を再びアレーシへと向ける。
「ガキ」
唐突に呼ばれたタヌはハッとした。まさかこの状況で自分が呼ばれるとは夢にも思わなかった。しかし、背中の痛みのせいで、返事もままならない。
「無力とわかっていてなお、守ろうとするとはな」
「え……あ……」
「今すぐここから立ち去れ。寄り道をするな。脇目も振るな。そしてそのまま、お前が頼れる者のところへ行け。命が惜しいなら、一刻たりともこの街に留まるなよ?」
「……それ……二度と、DYRAに会えなくなるなら……嫌ですっ」
タヌは、苦しい息の下で答えた。銀髪の男もアレーシもそれぞれ、僅かではあるものの驚きの表情を浮かべた。
「ま、本来ならそうしたいが」
それまでからでは考えられない、銀髪の男の優しい口調。タヌはどこかで聞いたことがある気がした。意識が遠くなりそうなのを必死でこらえ、記憶の糸をたどる。だが、痛みが邪魔して、思うようにたどれなかった。
「可愛いDYRAを悲しませる気はない。……早くしろ」
「は、はい……」
銀髪の男の言葉を、タヌは再会の確約と解釈した。そして、痛みをこらえながらゆっくりとDYRAから離れた。
「すぐ会えるよね……」
タヌは一歩離れてDYRAの姿を見てから、入ってきた扉の方へよろめきながら歩き出した。
銀髪の男とすれ違ったときだった。
(あれ?)
思い出すことのできない『何か』がタヌの記憶を掠めた。しかし、今はそれが何だったのか確かめる余裕は時間的にも、気持ち的にも少しもなかった。
「さてと」
タヌが部屋から出て階段を下りていく足音が聞こえなくなった頃を見計らって、銀髪の男がおもむろに口を開いた。
「二人だけになったな。ようやく話せることもある、か」
視線も口調も勝ち誇っていた。
「可哀想だが、お前は永遠に完成しない」
「……どうかな?」
「可愛いDYRAを利用しようと卑しい心を出したんだ。その時点でお前の身体は完成しないし、させる気もない」
銀髪の男が嘲笑いながらアレーシからゆっくりと離れ、DYRAのもとへ近寄った。視線をアレーシの方へ向けたまま、天井から彼女を吊り下げている鎖を、まるで空き缶でも握り潰すように強く握って引きちぎる。DYRAの膝が床に着く前にすぐさま身体を抱きとめた。
「可哀想に……」
その身体は恐ろしいほど冷え切っていた。
「さて、用事も済んだし、そろそろお暇する。どんな形であろうがお前はもちろん、お前に与した輩を許す気などないからな」
銀髪の男は大剣を霧散させるとDYRAを抱き上げて、先ほどタヌが出ていった扉を悠然とくぐった。
「……くそっ」
アレーシの呪詛の言葉を聞きながら、二人は舞い上がった赤い花びらの中へと姿を消した。
タヌは苦痛に耐えながらも、地上へと戻った。地下水路をどう歩いたかはもう記憶にない。
西門の脇、ロゼッタに匿われた飼料小屋までたどり着いた。鞄から着替えを出すと、血だらけのシャツを脱ぎ捨て、新しい方へ袖を通す。思ったより傷が深くないのか、シャツを見る限り、背中はひどく破れているものの、血はほとんど付着していない。
外へ出て、タヌは空を見上げた。すでに微かに白み始めていた。
(あの人が……)
顔こそわからなかったが、赤い花びらが素性を語っていた
(RAAZ)
DYRAが探し求めていた相手で、不死身の錬金術師と言っていた。そのRAAZが『命が惜しくば、一刻たりともこの街に留まるな』と忠告してきた。自分やDYRAを助けてくれた彼の言葉を今は素直に聞き入れた方が良いし、そうするべきだ。今はとにかくフランチェスコの街を出なければ。タヌは西門まで走ってくぐりぬけると、そのまま街の外へ出た。
少し離れたところまで走ると、タヌは足を止めた。
(あの人……)
RAAZの姿をタヌは思い出す。心のどこかで不死身の錬金術師なんてどんなにか恐ろしい人物だろうと想像していた。だが、実際は、眼光の鋭さにこそ驚いたが、声が若いなど、だいぶ違う。むしろ、冷酷無比なのはアレーシの方だった。
「DYRAにとって、お前は殺す対象でしかない」
タヌは、乗合馬車で出会ったあの社交的な彼と、あそこにいたアレーシが同一人物とはどうしても思えなかった。普通に考えて、初対面でない上に人混みですれ違ったとかではない、それどころか異常な状況での再会。ああも徹底的に知らないと言い切れるだろうか。
気になることはまだある。
一つはDYRAとRAAZの本当の関係だ。もしかしたら、舞い上がる花びらの色は違えど、同じような能力を持つ者同士ならではの『特別な関係』なのではないか。タヌはそれが気になって仕方がなかった。
(大丈夫かな……)
もう一つは、RAAZに助けられたと知ったとき、DYRAが何を思うかだ。あくまでタヌの印象だが、DYRAは殺意を持ってRAAZを追いかけているように見えた。
(そういえば)
DYRAは自身のことを話そうとしなかった。それどころか、自身について質問することすら許さない。タヌの中で信じたくないことが脳裏に浮かぶ。
(もしかして、DYRAは自分のことが全然わからない?)
質問を許さないのは、実は他ならないDYRA自身が自分のことをわかっていないからではないのか。
(そんな)
タヌは、浮かんだ考えをすぐに頭の中から追い出した。それは、もしかしたら彼女の記憶を根こそぎアレーシを含む、悪意ある誰かが奪い去っているのではないか、だ。
どうかそんなことだけはないように。タヌはただ、願い、祈った。
再構成・改訂の上、掲載
040:【FRANCESCO】あの人が……RAAZさん?2024/07/23 23:26
040:【FRANCESCO】RAAZ、現る!(2)2018/09/09 14:48
CHAPTER 52 慈悲と報復2017/06/08 23:00
CHAPTER 51 地下水路2017/06/05 23:00