039:【FRANCESCO】DYRAが、いた!
前回までの「DYRA」----------
RAAZとDYRA、初めての出会い──。それはずっと昔、雪山の中で行き倒れていた女性を助けたことだった。彼女は、この世にもういない最愛の人が舞い戻ってきたと錯覚するほどに瓜二つの容姿を持っていた。
──トントントン……トン……トントン
(あっ!)
三回。一回。二回。聞いていた扉を叩く数と合っている。飼料小屋で待っていたタヌは物陰から出ると、そっと扉を開いた。すると、女がすっと入ってきた。
「遅くなってごめんなさい、タヌさん。でも、良いお話です。サルヴァトーレ様から伺っていた、タヌさんとご一緒だった女性のことです」
タヌは、ロゼッタがまったく別の誰かからの命令で動いているなど夢にも思っていない。だからこそ、彼女の言葉を聞いた途端、タヌは表情を明るくした。
「DYRAが……!」
「はい。見つかりそうです」
一体どこで見つけたのか、まさか夕方尾行したときに見つけたあの小屋の中にいたのか。タヌはあれこれ想像しながらロゼッタに問う。
「あの……どこに行けば」
「一緒に行きましょう」
ロゼッタの言葉に、タヌは「お、お願いします!」と言って、頭を下げた。
二人は人目につかないようにそっと飼料小屋を出た。幸い、夜中なので、人通りはほとんどなかった。二人は誰にも見つかることなく、街灯の灯りを頼りにして例の小屋の近くまで移動した。タヌは内心、よもや本当にここだったとは、と驚いた。
「見てまいります」
ロゼッタが中に誰かいないか確かめるように小屋の扉をそっと開く。中から人の気配は感じられない。螺旋階段のあたりも同様だ。念のため、罠の類がないかも確かめた後、小屋の外で待っているタヌを迎えにいった。
いよいよ二人で小屋の中の螺旋階段を下りていく。ロゼッタが先導し、タヌが続く。
(わ……)
普通、こういうところは夜に入ったら真っ暗なところではないのか。どうしてこんなにたくさんのランタンを壁に掛けて視界を確保しているのだ。タヌは初めて見る地下水路に目を丸くした。水路だけでも初めて見るのに、両端に段差があって、人が通れるようになっている。
だが、声を出してはいけない。タヌは口を動かすだけで声を発さなかった。ロゼッタがタヌの方へ時折振り返りつつ、先ほど青い花びらを見つけたあたりまで案内した。
(あれ?)
もう少し先に視線をやったタヌは、水路がY字に分岐していることに気づいた。そのとき、分かれ目のところに見える排水溝であるものに気づくとそちらへ駆け寄った。
(あっ!)
タヌは、青い花びらが引っ掛かっているのを見つけた。間違いない。それにしても、どこからどう流れてきたのだろうか。タヌは腰を屈め、水の流れに手を突っ込んで花びらを拾ってから、あたりを見回す。すぐ近くには何も見えない。立ち上がってもう一度、今度は遠くの方を見る。やがて、また青い花びらが一枚、二枚と流れてくる。
(この水の流れを遡っていけば、DYRAがいる! やっぱり、何かあったんだ!)
分岐のどちらから流れてくるのか、タヌはじっと目を凝らす。
(えっ……)
しばらく目を懲らすと、また花びらが一枚、少し経ってさらにもう一枚流れてきた。
(左?)
「どうしましたか?」
「ここ、分かれているし……。DYRAを捜すならどっち行ったら良いんだろうとか、色々考えちゃって」
「それでは、二手に分かれましょう」
ロゼッタの申し出に、一瞬、心細い思いがタヌの胸を掠める。しかし、時間効率を考えたらその方が現実的だ。
「あの、じゃ……」
タヌは首を縦に振った。それを見たロゼッタが分岐の右側を指してから、「後ほど」と言い残して歩き出してしまった。
その場に一人になったタヌは、青い花びらにもう一度目をやってから、水路の分岐を左へと歩き出した。焦って走れば滑って転んでしまう。おまけに水路に落ちたら水の音で見つかってしまう。細心の注意を払い、水路の隅の、濡れていないところを早足で歩く。
(DYRA!)
タヌは、本心では大声で彼女の名前を呼んで捜したかった。しかし、今それをやるわけにはいかない。
(こんなところに……。きっと、何かあったんだろうな。こんなところ、好き好んで行くところじゃないし!)
無理矢理攫われたのだろうか、それとも、騙されて捕まってしまったのだろうか。もし、ここに本当にDYRAがいるなら、恐らく、攫ったか捕まえた張本人も近くにいるかも知れない。タヌは一瞬、もし相手が一人ではなく、何人もいたらと気後れそうになる。だが、それで恐れをなしてはいけない。タヌは首を何度か横に振って弱気を振り払った。
このとき、早足で歩くタヌから少し離れた場所に、大剣を手にした、赤い外套に身を包んだ背の高い男が姿を現した。しかし、歩くことと進むことだけに意識を集中していたタヌは、まったく気づかなかった。
赤い外套に身を包んだ男は奇妙な笑みを浮かべてタヌの後ろ姿を見つめていた。それはまるで、これから起こること、それに対してタヌがどういう反応を見せるか、結果を見たいと期待するような笑みだった。タヌの後ろ姿が見えるか、見えなくなるかくらいの距離まで遠ざかっていったところで、男はゆっくりとタヌについていくように歩き始めた。
タヌは、水路の水の流れを遡るようにずっと真っ直ぐ進んだ。ロゼッタと別れてからここに来るまで、何回か、どこかへ繋がるとおぼしき扉を見つけたが、そのどれにも人の気配はなかった。やがて、進んだ先にL字の曲がり角が見えてくる。左へ進むことしかできない。ここでタヌは視線を落として、水の流れに目をやった。
(あっ……)
青い花びらがまた、何枚か流れてくる。先ほどよりも枚数が明らかに多い気がした。
(もしかして、もう、すぐ近く?)
タヌは確証を得たとばかりに、今まで以上に慎重に動き出した。少し歩くたびにあたりを見回し、身を隠せるくぼみのような場所があれば、一休みを兼ねて様子を見ながらそこに身を隠しつつ、進んだ。そんなことを繰り返しながら進み続けたときだった。
(あれ?)
それまで水が流れる音しか聞こえなかったタヌの耳に、小さいながらも人の声が聞こえてきた。タヌは胸に手を当てて深呼吸をした。息を整えると、忍び足でゆっくりと近づく。声が聞こえる方向がハッキリしてくる。
(もしかして!)
タヌは立ち止まった。そこには上へ上がる小さな階段があった。ただ、外から入ってきたときのようなものではなく、数段しかなかった。
(あっ!)
階段にも、青い花びらが何枚か落ちていた。
(ここ!?)
ここにいるのではないか。タヌは意を決した。足音を忍ばせつつ、できるだけ早くと念じながら階段を上がった。上がった先には簡素な扉が一つあるだけだった。鍵穴がある。タヌは中の様子を見ようと、鍵穴から中を覗いた。
女の姿が見えた。DYRAではない。派手な服を着た、バイオレット色の髪の女だ。申し訳ないが、薄暗い地下水路の小部屋に到底似合わない。タヌの知識でわかる限り、踊り子か、そうでないなら、祭りの日に着飾るときのような感じの服を着ている。
それにしても、こんな地下水路の一角の部屋にDYRAは本当にいるのだろうか。タヌは鍵穴越しに見える限りで、部屋をざっと見回した。
そのとき、女が数歩動いたことで、部屋の奥が見えるようになった。
「……!」
タヌの視界にDYRAの姿が見えた。両手首を天井から吊される形で縛られているではないか。しかも、ぴくりとも動かない。おまけに、ブラウスの胸元あたりが破れている上、足元には大量の青い花びらが落ちている。どうしたらこうなるのか、タヌには想像できなかった。
でも、今見えた光景は紛れもない現実だ。何が起こったのかは助け出してからDYRAから直接聞けばいい。今は助ける方が先だ。それにしても、一体どうすれば良いのか。自分は彼女や、サルヴァトーレのように強くない。おまけに棒切れ一本の武器さえもない。ロゼッタを呼んで、加勢を求めた方が良いだろう。
(でも)
先に確かめなければならないことがある。タヌは鍵穴から目を離すと、取っ手をほんの少しだけ動かす。
(開いてる!)
鍵が掛かっていない。ロゼッタを呼ぶべく、タヌは階段を下りようとした。しかし、身体が動かず、移動することができない。無理矢理立ち上がって動けば、物音を立ててしまう。
(しまった! あっ……呼びにいっている間にどっか別の場所に連れて行かれちゃったら)
もし、戻ってきたときにもぬけの殻になっていたら。見失うようなことになれば。そのときは後悔してもしきれない。それでも呼びに行くべきか。タヌは選択を迫られた。だが、一人で考えなしに飛び込んで失敗しようものなら殺されてしまうかも知れない。
「──何なのよ! この女! これだけ痛い目に遭わせても恐怖の色一つ浮かべもしないで、たまに花びらが舞うだけ! ナメてんの!?」
扉の向こうから、女の金切り声が響いた。
「──この女から不老不死の薬が採れるなら、バラして採れば良いのよ!」
バラして。
この一言が耳に飛び込んだ瞬間、タヌの心は決まった。
「DYRA!」
タヌは後先考えずに扉を開くと、部屋へ飛び込んだ。
これに驚いたのはバイオレット色の髪の派手な服を着た女だった。
「タヌ!?」
DYRAではない、だが、タヌが良く知る女の声だった。頭の中が一瞬、真っ白になり、足も反射的に止まった。声を発した目の前にいる女性をどこかで見たことがある気がした。
「えっ……? か」
タヌが何かを言おうとしたが、女の声で遮られた。
「……ちょっ! ア、アンタ一体、誰よ!」
最初にタヌを呼んだときとは似ても似つかぬ、鋭い刃のように甲高い声だった。タヌと女の声を聞きつけたのか、タヌが入ってきた扉とは反対側にある別の扉が開くと、黒い外套姿で顔を隠した人物二名と、もう一人、青とも金色とも言えぬ不思議な色をした長髪の人物が次々と入ってきた。
「あっ!」
タヌは最後に入ってきた人物を見るなり声を上げた。腰まである長い髪の一箇所、左耳の下あたりから細めの三つ編みを結った男だった。DYRAと乗合馬車でフランチェスコへ向かったときに道中、話をした男ではないか。黒く袖口が広めのコートなど、服装も同じだ。
「誰だ?」
長髪の男がタヌを睨みつける。それは、面識がある人間の反応ではなかった。タヌは二人をハッキリと思い出した。そうだ。この女性も見たことがある。道中一緒だったこの男がフランチェスコの北西で馬車を下りたとき、迎えに来ていた美女だ。そうだ。
「どうして……」
乗合馬車で話をしたとき、社交的で優しいし親切な人だと喜んでいただけに、タヌは大きなショックを受ける。どうして彼がDYRAにこんなひどい仕打ちをするのか。彼女に何か恨みでもあるのか。それならどうして乗合馬車で縁あったときに言ってくれなかったのか。
「お前は誰だと聞いている」
男がハッキリとタヌへ告げた。タヌを見つめるそのブラックオパールのような目は、少しもその輝きが揺らぐことがない。本当にタヌとは面識などないと言いたげだ。
「ど、どういうこと……。一昨日、馬車で」
「知らない」
よどみない口調で告げた男に、タヌは混乱しかける。それでも、怯まない。
「DYRAに、なんてひどいことを!」
タヌはDYRAを助けようと走り出した。しかし、黒い外套姿の男たちに阻まれ、たどり着くことができない。
二人の男がタヌの両脇を押さえ込むべく、腕を掴もうとしたときだった。
「やめとけやめとけ」
突然、部屋の外から声が聞こえた。その場にいる全員の動きが止まった。それと同時に、タヌの両二の腕あたりが血で真っ赤に染まる。
「えっ!」
シャツの袖も恐ろしい勢いで赤く染まる。だが、タヌの腕には傷一つなかった。一方、両脇にいたはずの男たちの姿がない。
「あれ?」
ばたつく足音にタヌはハッとした。二人の男が床にうずくまっている。やがて、二人はぴくりとも動かなくなった。黒い外套なのでよくわからないが、この二人の血で服は真っ赤になったのではないか。タヌはそう考えた。
それにしても一体何が起こったのか。タヌは別の声が聞こえた方を見る。部屋の入口あたりに長い得物を持った大柄な人物だとわかる影が一つ、見えた。
「まったく。愚民共ときたら場所も弁えず。ま、それが愚民の愚民たる所以か。久し振りだな、ISLA、いや、本名でアレーシと呼んだ方が良いか? よくもまぁ二〇年以上、私から逃げ隠れできたもんだ。あぶり出すのにえらい手間を掛けさせやがって」
(あの人、アレーシって名前なんだ)
タヌはそんなことを思いながら、アレーシと呼ばれた男をちらりと見た。
アレーシは、声の主がわかったとばかりに声がした方へ視線をやる。
「お前……まさか!」
「ここで私の名前を口にしない方がいいぞ? お前を含め、無条件で全員、今この場でバラバラにして殺すことになる」
全員、というくだりにタヌの身体がびくりと反応した。
そのとき、声の主がゆっくりと扉枠をくぐって部屋へ入った。赤い外套に身を包み、銀髪の長身で大柄な男だ。顔は目以外を完全に覆う陶磁器製らしき白いマスクで隠れているのでわからない。手には鞘に収まった大剣が握られている。
タヌは男をじっと見上げる。そして隠れた顔のパーツで唯一見える、目元に注目する。
(うわ……)
殺気に満ちた目力の凄まじさに、タヌは全身を震わせた。ぎらついた瞳の輝きは、視線だけで一人や二人殺すことができそうだ。レアリ村でアオオオカミに追い詰められ、絶望的な状況になった当時を思い出す。
「久し振りではあるが、お前と旧交を温める気はさらさらない」
「何が旧交だか。こっちも同じだ」
アレーシがそう言いながら、バイオレット色の長い髪を持つ女を見ると、彼女を逃がそうと、部屋の奥へと軽く突き飛ばした。タヌは、部屋の奥にあるもう一つ扉に気づいた。
「ソフィア。貴女は退散した方が良い。また後でね」
「あ、はい」
ソフィアがアレーシに守られる形で部屋から姿を消した。部屋に残るのは、銀髪の男とタヌ、アレーシ、そして意識を失っているDYRAだけになった。
再構成・改訂の上、掲載
039:【FRANCESCO】DYRAが、いた!2024/07/23 23:23
039:【FRANCESCO】DYRAが、いた!2023/01/05 23:23
039:【FRANCESCO】RAAZ、現る!(1)2018/09/09 14:46
CHAPTER 51 地下水路2017/06/05 23:00