036:【FRANCESCO】行動を共にするべきは?
前回までの「DYRA」----------
タヌを連れ出そうとしたクリストの前にロゼッタが現れる。サルヴァトーレとクリストは兄弟じゃなかったのか? 二人の睨み合いにタヌは驚くことしかできない。どちらについていけば良いのか。選択を迫られる。
(はいっ!?)
クリストの言葉が飛び込むや、タヌは我が耳を疑った。ペッレで親切にしてくれたクリストの兄と名乗ったからこそ、タヌはサルヴァトーレを信じた。彼は非常に誠実だった。とりわけ、人外の強さと美しさを持ち合わせたDYRAへも一切の偏見も持たずに接した上、自らの立場や危険すら顧みずにDYRAを助けた。そのサルヴァトーレが「錬金協会に殺されている」とは一体全体どういうことなのか。
扉の向こうのやりとりはまだ続いている。
「──協会の回し者が、何をわけのわからないことを!」
真っ向から否定する小間使いの声は凜としたものだ。
感情的になっていると声だけでわかるクリストと、鋭い声でも冷静だとわかる小間使いは、あまりにも対照的だった。それにしても、どちらが本当のことを言っているのだろうか。タヌは、二人の声の様子からどちらも本当のことを言っている気がした。
「──兄様はもうずっと昔に殺されている!」
響き渡るクリストの言葉に、タヌは一瞬、目の前が真っ暗になりそうだった。
(はあぁっ!?)
ペッレで初めて現れたときのサルヴァトーレは、『クリストの兄』として極めて自然な振る舞いをしていた。それだけではない。宿屋の帳場にいたあの老婆も二人を知っている風だった。聞けば聞くほど、タヌはこれが異様な状況だと理解する。何より、タヌ自身、渦中の兄と二、三日前に縁があったばかりだ。少なくとも今、この瞬間にタヌが信じられることは二つ。サルヴァトーレはクリストの兄を『名乗って』現れた。自分とDYRAへ極めて好意的に接してくれた。これらの事実だけだ。
「──イスラに心を絡め取られた分際で、何を言う?」
意味するところがピンとこないものの、タヌは重要な言葉を聞いた気がした。ここまででタヌなりにわかったことは、クリストがイスラと呼ばれる人物に近い存在で、小間使いは違うこと。クリストの言う『ワケ有りのもの』をレアリ村で生き残った自分が持っていると思い、錬金協会が付け狙ってきていること。そして小間使いがイスラを『如き』と言い捨てたこと。イスラとはまさか、図書館で出会ったあの老人のことだろうか。タヌにはあの老人が自分を狙うとか追い掛けてくるなどの、物々しいことを命令する人物だとは思えない。それでも、今考えるべきはそこではない。
(これって)
今の状況は非常にまずい。ずっとここにいてはいけない。タヌはそう判断すると、いったんこの場を抜け出すことにした。タヌは先ほど見つけた部屋の反対側の扉へ走ると、そちらの扉をそっと開いた。螺旋階段があり、上には外へ出る扉も見える。
(出られるかな)
今はとにかく、逃げることしか考えられなかった。タヌは二人が声や足取りからこちらへ来る気配がないとわかると、身を伏せて、四つん這いのような体勢で階段を駆け上がった。階段を上がりきると、目の前に扉があった。
(クリスト、小間使いさん! ごめん!)
タヌはそっと扉を開き、そのまま外へ出た。
外は繁華街の裏手だった。建物の間から多くの人通りが見えた。タヌは数軒向こうまで移動してから、隙間のように狭い建物の間を通って、通りへ出ると、人混みの中へ溶け込んだ。
(わけがわからないよ。どうしよう)
タヌは昨日からの出来事が悪い夢か何かで、起きたらDYRAがちゃんとそこにいればいいのに、などと思うようになっていた。
しかし、これが現実だ。
先ほど、万が一の場合はいったん、宿屋へ戻れ、と言われていた。しかし、宿屋はすでにクリストにバレている。タヌは、頭では宿を変えた方が良いとわかっていた。ただ、DYRAの着替えが入った鞄をどうすれば良いのか。あんな目立つものを持ち出すのは簡単ではない。何より、もしあの鞄自体が何かの『目印』なら、大変なことになってしまう。疲れた身体に鞭を打ちながら考えついたのは、貴重品とメッセージカード以外の中身を放棄することだった。
ふらつき気味の足取りで宿屋の近くまで戻ったタヌは、周囲に怪しい人物がいないか見回した。どちらにしろ、急いで宿屋を出る手続きをするにこしたことはない。
宿屋へ戻ると、帳場には相変わらず中年の男が座っているだけで、取り立てて変わった様子はない。
「おかえりなさいませ」
タヌは差し出された鍵を受け取ると、部屋へ戻った。扉を開けた瞬間、誰かが中で待ち構えていたらどうしようなどとも怯えたが、杞憂だった。部屋に入って施錠すると、タヌは安心感から大きな息を吐いた。次に、荷物整理をしようと、隠していた白い四角い鞄を取り出し、ベッドの上に置いてから中身をもう一度見ようと鞄を開いた。
(ごめん! ごめんなさい、DYRA!)
今一度、中に残っているのが着替え用の服だけなのを確認すると、放棄やむなしと決断した。タヌはDYRAへ申し訳ない気持ちでいっぱいになる一方、心のどこかで、サルヴァトーレが作った服でないから良いだろう、などと思う。その上で、彼に頼んで彼女の服を用意してもらえないだろうかとも考える。もちろん、仕立屋が作る最高級の服だ。一生掛かってもお金を払いきれるかわからない。それでも、人の服を許しもなく処分するのだから、弁償するのは当然のことだ。タヌが後ろめたさから小さな溜息を漏らしたときだった。
「──すみません」
扉の向こうからノックの音と人の声が聞こえてきた。帳場の中年男性だった。
「は、はい」
今し方戻ったところなので、居留守を使うのは無駄だ。だが、自分への悪意の仲介だったら今度こそ覚悟をする必要がある。タヌは万が一に備えて、窓の鍵を開けた。いざとなったら窓から抜け出すためだ。ここは三階だが、ちょうど下に庇があり、これを伝っていけば何とかなるだろう。続いて、枕の下に金貨一〇枚を置いた。本当に窓から宿を出る結果になった場合、お金を払っていなかった、などとならないように。
「──お客様です。女性の、先ほど会った、と言っております」
タヌは少しだけ驚いた。本当にここに来るとは。彼女からはもう一度きちんと話を聞きたい。サルヴァトーレの遣いだと言ってきたのだからなおさらだ。サルヴァトーレが近くに来ているなら、今の状況からして助けを求めた方が良いに違いない。だが、間違いなく、小間使い姿だった彼女か確認する必要がある。不用心に開けてはいけない。
「えっと、どんな人ですか?」
「──黒い服を着た、綺麗な人です。お知り合いのお迎えだそうで。さっきペンダントを見せたと言えばわかるって」
間違いない。先ほどのあの小間使い服だった女性だ。タヌは「今、出ます」と返事して待ってもらおうと考えるが、それはできなかった。
「──ここでもうお待ちです。開けていただいてよろしいでしょうか」
女は扉の前にいるという。ここは覚悟を決めるしかなかった。
「え、あ、はい」
タヌは扉の脇に立ってから解錠した。DYRAやサルヴァトーレがいればきっとこうしたに違いない、などと思いながら。
扉を開くと、中年の男の後ろにいたのは、先ほどの女性だった。DYRAほどではないにしろ、女性にしてはやや背が高い。
「どうぞ」
帳場の中年男が案内したからと、そそくさと立ち去ろうとしたときだった。
「この部屋への来客は、男性は必ずすべてお断りして下さい。万が一来たら、この部屋の客はもう去ったと言って下さって結構です。……去りますから」
女性は中年男にアウレウス金貨三〇枚を渡してから、視線で退散を促した。宿賃としては有り得ぬ金額を支払った様子にタヌは一瞬ぎょっとした。対象的に、中年男はその金額が意味することを察すると、金を受け取って頷き、無言でその場から去った。
中年男が去ると、女性が中に入った。施錠を済ませてタヌの前に立つ。
「改めまして、これまでの非礼をお許し下さい」
丁寧に挨拶をした女性に、タヌは「あ、はい」と答えるのが精一杯だった。
「私はロゼッタ・クルール」
丁寧に自己紹介を済ませると、ロゼッタと名乗った女性が話を始める。
「このたびは、アニェッリのサルヴァトーレ様から頼まれて参りました」
いきなり飛び出した核心の名前に、タヌは自分の中の疑問をぶつける。
「さっき、クリストがサルヴァトーレさんのことを、『兄様は錬金協会に殺された』って……」
「色々ご事情はお話ししたいと思っているのですが、そちらは私ではなく、サルヴァトーレ様から聞いた方が確実で、よろしいかと。まず、サルヴァトーレ様からのご伝言を」
そう言われてしまうと、タヌはいったん彼女からの話を聞くしかなかった。
「『錬金協会の副会長一派には決してついていかないように』と」
タヌは、サルヴァトーレが副会長たちを好意的に見ていないと話していたことを改めて思い出した。一方で、まさかクリストが副会長側の人間だったとは。タヌは複雑な気持ちになったが、それでも今、一番頼りたいのはサルヴァトーレなのだ。それは如何ともし難い現実だった。
「あの、ロゼッタさん、ちょっと」
タヌはロゼッタの言を止めた上で、言葉を探しながら切り出した。
「サルヴァトーレさんから、って言いましたよね」
「はい」
「ボク、正直、今、何がどうなっているのか全然わからなくて。その、昨日の朝からDYRAがいなくなっちゃって。その上、昨日の夜からつけ回されるし、おまけにどうやってロゼッタさんやクリストがボクの居場所を知ったのかもわからないから怖くて」
タヌはホンネをぶつけた。何故クリストが自分の居所を突き止めたのか。錬金協会のツテを使って捜したと言っていたが、それだけでこうまで正確にわかるものなのか。
「動揺するお気持ち、お察し致します。ですが、まずはいったん、安全な場所へ」
「あの、サルヴァトーレさんは、この街に来ているんですか?」
タヌは縋るような目でロゼッタに尋ねた。
「申し訳ございません。サルヴァトーレ様はお見えになっておられません。ただ、タヌさんが心配だから様子を見に行ってほしい、できればお連れ様もご一緒に連れ出してほしいと」
サルヴァトーレが来ているわけではないのか。タヌは一瞬、ほんの少しガッカリしたものの、ひとりぼっちではないとわかっただけでも安心した。
再構成・改訂の上、掲載
036:【FRANCESCO】行動を共にするべきは?2024/07/23 23:20
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036:【FRANCESCO】騒々しき時間(3)2018/09/09 14:24
CHAPTER 48 困惑2017/05/25 23:00