034:【FRANCESCO】タヌ、あの少年と再会したけれど
前回までの「DYRA」----------
DYRAがいない。タヌも見つからない。RAAZは前者、錬金協会が後者を、それぞれまったく異なる思惑を抱えて捜索している。タヌはDYRAを捜しつつ、追っ手をかわすという難易度の高い振る舞いを結果的にこなすが、乗り切れるのか!?
ロゼッタは、小間使い用の着替室に移動した。奥の箪笥を開きながら、どう行動したら良いか、その順番を決めあぐねる。身体は一つしかない。一番効率よく動くことができて、かつ、効果の最大化を図る必要がある。
(そうか)
副会長たちのいる側にクリストがいると会長が呟いていたことを思い出す。ロゼッタとてその存在を認識している。小姓をやっていた少年で、少年なのに色まで武器にする、微塵も可愛げのない輩だ。ロゼッタは会長命令で随分前に彼の素性調査をしたことがあった。何も出てこなかった。黒い噂が出なかったのではない。文字通り、評判自体、何も出てこなかったのだ。地元と称された場所で、近隣住民の誰一人として彼を見たこともなければ、その存在すら知らないと。だからこそ、ロゼッタは彼をまったく信用していない。
(向こうも動くなら、接触の瞬間を狙えば)
男がガキ呼ばわりしながら何かと話題にする問題の少年は、西側にある錬金協会の図書館出張所で目撃された。あそこは副会長たちの派閥が強い。何らかの接触がなかったとは断定しきれない。また、少年が歩いて移動をするなら、夜だからこそ動ける範囲も限られる。目撃情報を正確に拾っていく必要があるが、張り込む場所は概ね決まった。ロゼッタは予備の小間使い服一式を取り出した。クローゼットには小間使い服とは別に、黒のボディスーツと、細身の黒いブーツが置いてあった。こちらは身体の線を隠すことができないタイトなデザインで、小太りの体型ではとても着られるものではなかった。
一方。
男は、ロゼッタが部屋を出た後、奥で再びピアノを奏でていた。
(可愛いDYRA。キミはキミのなすべきことをやればいい。なのに、どうして愚民共はことごとくそれを邪魔するのか。まったく。『どうしてこうなった』だ)
どこか悲しげな旋律が、部屋の中に響いていた。
(ま、ガキの件はロゼッタに投げたし)
つきあってもせいぜい数十年の関係とわかっているが、それでもロゼッタは信頼に値する。男の素顔を見てしまったとき、彼女は微塵も驚かなかった。それだけではない。随分前、まだ縁を持って大した時間が経っていなかった頃、錬金協会の権力闘争に巻き込まれたときもスパイを断り、毒殺計画をも通報してきた。さらに騙されたフリをして悪意ある相手を出し抜き、その果てに大立ち回りまで演じてみせた。男はあるとき、彼女に何故自分についてくるのか聞いた。「会長の澄んだ目が悲しげだから」と彼女は答えた。そして「これ以上は、会長のお心のうちを覗くことになって、礼を失するので」と。愚民とは思えぬ弁えた分別にいい意味で裏切られた。何より、彼女の愛は息子に、それも健全な形で注がれているだけなのが最も評価できる点だった。彼女は危険を顧みない勇気と思慮深さとを持ち合わせた有能な女性。だからこそ、安心して汚れ仕事や誰にも頼めないことを任せられるのだ。
そのロゼッタに依頼した仕事。それは男にとって最も重大な案件だ。
(……DYRA)
それにしても、彼女は一体どこにいるのだ。自由に動ける時間さえあればどこにいても見つけ出す自信はある。くだらないイベントに律儀に出たことが仇になってしまった。こんな形の雲隠れは初めてだ。力ずくで攫われたとも男には思えなかった。
(ガキのせいと言ってしまえば、それまでか。よくもこっちまで振り回してくれたな)
今、タヌはフランチェスコのどこで何をしているのか。男はそんなことも考えた。
協会関係者と思われる追っ手から逃げおおせたタヌは、周囲に気を配りながら宿屋への道を走った。厄介なのは、自分を追ってくる相手が夜陰に紛れて動いていることだ。だからといって連中を避けようと明るいところを歩けばかえって目立つ。先ほど遭遇した三人組の男たちの言葉通り、こんな時間帯に子どもが、と道行く人々の目を引いてしまう。どうしたら上手いこと見つからずに済むかなど考えながら歩く。これでは気が滅入ってしまいそうだ。
一体どれくらい歩いただろう。タヌには宿屋を出て図書館へ行き、今に至るまでの時間が恐ろしく長く感じられた。
ようやく宿屋へ帰り着いたタヌは、部屋へ戻って施錠したところで、大きく息を吐いた。
(良かった。戻れた)
この後、浴室で汗を流したタヌは、肌着だけ身につけたところで力尽き、ベッドへ倒れ込んだ。しかし、誰かに襲われたりしたらどうしようという恐怖からか、なかなか寝付けない。ただでさえ気疲れが溜まっているのに、神経が昂ぶって緊張したままだったからだ。
(DYRA……)
本当に、彼女はどこへ消えてしまったのか。タヌは不安と心配でまたしても胸が一杯になった。タヌがやらなければならないことは両親を捜すことだ。しかし、間接的にではあるものの、両親捜しを手伝ってくれると申し出たDYRAの無事をまずは確かめたい。色々な思いが、頭の中でぐるぐる回り続けた。
翌朝。
「あれ……」
タヌは目を覚ました。いつの間にか眠ってしまった割には、疲れが取れた感じがまったくなかった。むしろ、寝ているときも神経を張りつめていたことがわかるほど、身体が重い。タヌは深い溜息よろしく息を吐くと、ベッドマットの下に隠した白い四角い鞄と中身が無事なことを確認した。盗まれたりはもちろん、特に触られた感じもない。
「ふぅ……」
何事も起こらずに朝を迎えることができて良かった。心底からホッとすると、同時に喉の渇きが激しいことに気づいた。
「水……」
宿屋の食堂でもらってこよう。そんな風に思いながら扉の方へと歩いたときだった。
外からノックする音が聞こえてきた。
「──宿屋の者です」
すぐさま聞こえてきた声で、タヌは、帳場にいる中年の従業員が来たのだとわかった。
「はい」
昨日ずっと、錬金協会の関係者かも知れない、黒い外套姿の者たちにつけ回されているのだ。タヌは声を信じて扉を開くのは不用心だと思うと、まずは用件を聞くことにした。
「──お客様をお訪ねになった方がお見えなのですが」
DYRAだろうか。一瞬頭を掠めたが、タヌはすぐに首を横に振った。もし彼女なら、一昨日の夜、一緒に宿屋へ入ったのだから、堂々と戻ってくるはずだ。サルヴァトーレだろうか。違う。フランチェスコへ移動したことを知らないはずだから。これも有り得ない。では一体誰なのか。そもそも、この状況で自分に客が来るはずがない。しかし、下手に「客なんか来るわけがない」なんて言おうものならかえって怪しまれてしまう。
「えっと、ど、どんな人ですか?」
誰とも聞けぬタヌは少しでも情報を得ようと彼なりに頭を絞って質問した。
「──ああ。お客さんと年頃が変わらない男の子ですよ?」
自分と同じ年くらいの男の子? この街にそんな条件に合致する知り合いはいない。仮にもしいたとしても、ここにいることを知っているのはDYRAだけだ。来訪者があること自体がおかしい。タヌがやはりやり過ごそうと決めたときだった。
「──あの」
扉の向こうから聞こえる男の声がタヌへ、待ってくれ、とばかりの印象を与える。
「──その方は、『ペッレでお会いした』と言っておりました」
(えっ!)
ペッレと聞いて、タヌは来訪者が誰かを把握した。クリストだ。サルヴァトーレからそう名前を聞いている。
「ちょ、ちょっと待ってもらって下さい」
反射的にタヌはそう答えた。
「──今、帳場のところでお待ちしていますので、お伝えしておきます」
扉の向こうから足音が聞こえたが、ほどなく、だんだん遠くなっていった。
(どうなっちゃっているの!?)
名前さえ聞いていなかったはずの相手が訪ねてきた。どうしてそんなことが起こるのか。誰にも言っていないのに、どうして知っているのか。
(けど、クリストは錬金協会の人だし)
もしかしたら、両親なり、DYRAの行方なり、何か断片的にでも知っていることがあれば教えてもらえるかも知れない。タヌは、淡い期待を抱く。
会おうと決めたタヌは、浴室で寝汗を流してさっぱりしてから着替えを済ませる。身支度が済んだところで、DYRA宛の鞄に入っていた財布とカードが入った封筒を自分のたすき掛け鞄に入っているか確認してから部屋を出た。
タヌは帳場から少し離れた簡素なロビーの片隅で、はちみつ色の髪をした少年が手持ち無沙汰そうに待っているのを見つけた。周囲を見る限り、黒い外套姿の人物を含め、特に自分たちを見ているような感じもない。
「やっぱり……! あのときの」
タヌは恐る恐る声を掛けた。すると、少年が顔を上げてタヌの顔を見るなり駆け寄った。そしてタヌの右手を掴み、両手で包み込むように握った。
「ビックリさせてごめんなさい。でも、ぼく、どうしても会いたくて! 良かったぁ。やっと会えた! どの街へ行ったんだろうって!」
藪から棒にそう言われたタヌは、何と言い返せば良いのかわからなかった。どうやってここにいるとわかったのか。その疑問をぶつけたいとも思うが、いったん、相手の出方を見てからにしようと思った。あとは、彼の口から名前を聞くまでは、『クリスト』と口にしないように気をつけよう、などと考える。
「ボクも、もう一度会えないかなって。あ、そうだ。これから朝ごはん食べようと思っているんだけど、良かったら一緒に食べない? 色んな話とか、その……」
誘ってみると、少年が「はい」と笑顔で大きく頷いた。タヌは、この少年が何故、そしてどうやって自分を捜し、見つけ出したのか。そのへんを含め、食事をしながら聞いてみようと思い立った。この少年に限って、昨日の夜からつけ回してきた黒い外套姿の連中の仲間なんてことはないはずだ。タヌはそう信じることにした。
「そうだ。この宿屋さんの近くにあるパン屋さんへ行きましょう。おいしいですよ」
宿屋を出ると、タヌは少年に案内されて、宿屋から程近いパン屋へと移動した。そこはテラス席が用意されている店だった。焼きたてのパンならではの、ほんのりと甘い香りが店内から漂ってくる。昨日、この店の側を通ったときは休みだったからか、店の外に何も置かれていなかったため、その存在にタヌは気づかなかった。
「へぇー。近くにこんなお店があったんだ」
「ここで良いですか?」
「あ、うん」
二人は早速店へと入った。少年はハムを挟んだ三日月型のパンと紅茶を、タヌはレタスとソーセージを挟んだ細長いパンとホットココアを買った。二人は、テラス席の片隅に腰を下ろすと、食事を始めた。
「さっき、ボクを探してくれていたみたいなことを……」
タヌは心のどこかで警戒しつつも、なるべく自然に問うた。少年はにこやかに頷いて、話を始める。
「はい。実はぼく、ペッレでお会いした次の日、一緒に朝ごはんを、と思っていたんです。でも、訪ねたら、ちょうど宿を出ちゃった後っておばあさんに言われて、その後見つけられなくて」
タヌは、少年の話を聞いて、DYRAと待ち合わせのタイミングで入れ違いとなって彼が宿屋に来たことを理解した。
「そうだったんだ。ボクはキミが馬車に乗ってペッレから出るところを偶然見かけたんだ。挨拶もできなくて、名前さえ言ってなかったし、何か悪いことしちゃったって思ってた」
タヌの言葉に、少年は思い出したように切り出す。
「あ! そういえばそうでしたね」
少年はここで紅茶を一口飲んだ。
「名前。ぼくはクリスト。錬金協会でお手伝いみたいなことをしています」
「ボクはタヌ。この間は名乗らなくてごめん」
少年がクリストと自ら名乗ったことで、タヌはようやく緊張の糸を少しだけ緩めた。
「実はぼく……」
「何?」
「あの後、錬金協会の人に頼んで、一生懸命捜してもらったりもしたんです」
藪から棒に切り出された内容に、タヌは内心、心臓が飛び出そうになる。だが、不審感を抱かれるような反応は良くない。パンを半分くらい一気に食べて怪しまれないようにした。
「ど、どうしてボクに?」
「え。ええ。上手く言えないんですけど、何て言うか。その、最近ちょっと、協会の中で色々穏やかでない話が聞こえたんです。それで、せっかく縁があった君が巻き込まれたりしたら大変だって思ってお伝えしようと」
タヌはクリストが心配してくれただけだったことに安堵した。同時に、やはりサルヴァトーレの弟なのだな、兄弟揃って優しいな、などと思った。その矢先。
「お客様」
突然、聞き慣れぬ声がタヌとクリストの耳に飛び込んだ。
一体いつ現れたのか、二人がいるテーブル席の傍に、分厚い眼鏡を掛けた小太りな体型の小間使いが立っていた。
(あれ……?)
タヌは知り合いではないが、どこかで見たことがあるなどと思いながら小間使いを見つめる。
「お迎えに上がりました」
小間使いがタヌの横に立つなり、柔らかい声で告げた。
「へ?」
誰か別の人物と間違えているのではないか。タヌは丁寧に「人違いではないか」と言わなければと思ったときだった。
(えっ)
一瞬前までと明らかに場の空気が違う。クリストの表情も強ばっている。タヌは、これからただならぬことが起こる予感がした。
「タヌさん。その人は……」
クリストの言葉が最後まで発されることはなかった。一瞬早く、小太りの小間使いが手にしているものをタヌに見せたからだ。
「ペッレでお会いした、大切なお友達から頼まれまし……」
小間使いの言葉も最後まで言い終わることはなかった。
再構成・改訂の上、掲載
034:【FRANCESCO】タヌ、あの少年と再会したけれど2024/07/23 23:18
034:【FRANCESCO】タヌ、あの少年と再会したけれど2023/01/05 20:40
034:【FRANCESCO】騒々しき時間(1)2018/09/09 14:19
CHAPTER 46 意外な再会2017/05/18 23:00