322:【MORATA】RAAZが言った、「お前の親父を殺す」をタヌは腹の底から理解する
前回までの「DYRA」----------
父親が二人!? 目の前で起こった現実にタヌは激しく動揺する。キリアンの機転で包囲から抜けることはできたが、キリアンは残されたまま。これからどうしたらいいのかと途方に暮れるタヌの前にキエーザが現れた。
「そ、そんなっ……!」
建物があった場所は煙がもうもうと立ち込めており、あたりの様子は見えない。タヌはここでハッとし、立ち止まった。煙の流れる方向を少しの間じっと見つめる。
「風……」
風上側から回り込めば何か見えるのではないか。タヌは木々の間を走りながら、西側へと回り込んだ。
「あれ?」
人の姿は見えなかった。だが、まだ火が燃えていることもわかる。風上側なので、少しは何か見えるかと期待したが、思うほどには見えず、タヌは気を落とす。そのとき、燃える建物から少し離れた場所を、地面を這うように移動してくる人影が目に飛び込んだ。
タヌはすぐさま駆け寄ろうとしたが、煙が激しいため、数歩しか近寄れなかった。やがて、頭部が僅かではあるものの見えてくる。
「そ……!」
頭部から誰かわかったとき、タヌはもう煙のことなど気にしてはいられなかった。前を見ては煙で見えない。足下を見ながら、時折頭が見えた場所を見ては確かめつつ駆け寄り、身を屈めた。膝より下、地面近くには煙があまりなく、多少苦しいものの、呼吸ができる。
倒れながらも這っているのは、背中に木やガラスの破片を浴び、血だらけになった老人だった。
「ふ、副会長さん! って、えっ!」
腕が四本あるではないか。タヌは一瞬、仰天しつつも、這って前を進もうと動いている方の手、その両手首を掴むと、力いっぱい引っ張った。
「お、重っ……」
だが、重いからと諦めることは許されない。タヌは腰を落としたまま引っ張る。やがて、血だらけになった老人の身体から脱皮でもするかのように、若い男の姿が現れた。まずは頭部、続いて肩。
ここでようやく、タヌは自分が引っ張っていたのは老人の腕ではなかったことに気づいた。
「ディミトリさん……?」
「……え?」
ディミトリは頭を少しだけ上げると、タヌをじっと見た。
「お前、無事だったんだ、な……」
「はい。ボクは山にいろって言われたから」
「そっか……」
ここで、ディミトリはハッとすると、ゆっくりと身体を動かし、身体の自由を取り戻す。老人の身体が自分に覆い被さっていたことを知ると、サッと顔色を変えた。
「イスラ様っ!」
煙が立ち込めていることも、背中に刺さった破片も気に留めず、ディミトリは老人の上半身をゆっくりと起こし、抱き抱えた。
「……ぅ」
老人の指先が僅かに動く。
「イスラ様っ!!」
「ふとこ……ろ……に……」
「懐?」
確認するようにディミトリが問いつつ、老人が着ている服の胸元へそっと手を入れた。二人の様子を、タヌはどうしていいのかわからないと言いたげに、目に涙を溜めながら見つめる。
「おじいさん!」
ディミトリが老人の懐から絹でできた、手のひらほどの大きさをした巾着袋を取り出したところで、老人がタヌに視線をやる。
「おとう……さ……きみ……を」
老人の言葉はそこで途切れた。
何が起きたかわかった瞬間、ディミトリは呆然とした。
「そんな……イスラ様……!」
タヌも涙をぼろぼろとこぼす。煙が充満しているからその痛み故か、今、まさに目の前で自分が知る人間が亡くなってしまったからなのか、声にこそ出さないものの、泣いた。自分の目の前で人が死んだことのショックで声が出なかった。この老人が死んだのはもしかしたら自分のせいなのか。自分が両親捜しを始め、真実に近づいたからこんなことになってしまったのか。タヌの中でそんな考えがぐるぐると回る。
「くそっ……くそっ……!」
唇をぶるぶると震わせながらディミトリが呟いた声は、タヌの耳にも入った。
「このまま……引き下がれるかよ……」
何と言ったかはわからない。何かを呟いたことはわかる。悔しい? 悲しい? 空しい? それに、その言葉を誰に言ったのかもわからない。独り言なのか。亡くなった老人へなのか。それとも──? タヌは、ディミトリへ何と言えばいいのかわからない。謝るべきなのか。それとも──。
「冗談じゃ、ねぇ」
目に溜め込んでいた涙がディミトリの頬にぼろぼろとこぼれ落ちる。それを拭おうともせず、燃える建物をじっと見つめるその瞳は、それまで一度として見たことがない、鋭く、強い光が宿っていた。
「絶対に、絶対に、イスラ様を……絶対に許さねぇ……」
骸となった恩師の頭部を抱きしめ、ディミトリはしばし、声を上げて泣いた。
しばらくして、燃えるものがなくなったからか、自然と鎮火が始まった。風上側にいて、その場から動いていないタヌとディミトリの耳に、物音が聞こえた。
「ふっ! ぐふっ……!」
「え!?」
突然聞こえてきた声に、タヌは目を丸くして驚きを露わにすると、少しずつ煙が晴れてきた周囲を見回した。しばらくすると、建物から少し離れたあたりの地面がガタガタと音を発する。続いて焼け焦げた材木がガバッと散らかると、さらに声が聞こえる。
「けほっ! げほげほっ!」
咳き込む声は女のものだった。タヌはここでディミトリをちらっと見る。できることなら助けるのを手伝ってもらえればと思ったが、まだ泣いている姿を見ると、その考えを捨てた。
老人と話したとき、あの建物に女性はいただろうか。記憶にある限り見かけた覚えはない。ここでタヌはハッとした。
そうだ。一人、誰かわからない人物がいたではないか。その人かも知れない。タヌは煙が晴れてきたのだからと、声が聞こえた方へと走り出した。
「うわあ」
焼け焦げた材木はまだ手で触るには熱かった。だが、本来の重さより少し軽くなっている。タヌは足で少しずつ蹴って、ずらしつつ火が残っていないかを確かめ、大丈夫そうだったら蹴り出した。山状に積み上げられていなかったことが幸いし、時間掛かるもののやることは難しくなかった。
何本か蹴り出し続けるうち、人影が見えてきた。地面に穴が開いており、そこから頭と肘から下だけ出している。顔がハッキリ見えたとき、タヌは目を丸くして驚いた。そして、木が熱くなっていることなどどうでもいいとばかりに走り出し、そばまで寄った。
そこにいたのは、思わぬ人物だった。
「ロゼッタさん! ど、ど、どうしてここに!?」
「タ……タヌさん!?」
周囲が熱いことも忘れて駆け寄ったタヌは、すぐにロゼッタを引き上げた。ようやく引き上げて、地上に出た彼女の姿は、いつもの冴えない小間使い服ではなく、いつだったかフランチェスコで見かけた、母親から自分を庇ってくれたや西の果てで見かけたときと同じ、上下が繋がった緑色の服装だった。ロゼッタは蝶番で繋がっていた蓋をいったん閉じると、先ほどのタヌと同じように周囲の焦げた材木を蹴り出し、ドーナツ状に場所を作ってからもう一度、地面の蓋を開けた。
「どうしてロゼッタさんがここにいるんですか!? あと、あの、父さんにたちに……その、怪我はもう大丈夫なんですか?」
「ええ。話は一つずつ。まずは無事な人を……」
助けよう。ロゼッタはそう言いたいのだなとタヌは理解した。
「はい」
建物は全焼で、いつ焼け焦げた梁などが崩れてくるかわからない。近寄るのを止めた。風上側から建物をぐるりと回り込んで反対側へ出ると、死屍累々という言葉が相応しい惨状だった。ディミトリの案内で移動していたときは秘密の抜け道を通っていたので知らなかったタヌは、愕然とした。
「うわ……」
タヌはRAAZによってなされた、東の集落での惨劇を思い出すと立ちくらみ、その場にうずくまった。ここで視線を下げたタヌの目に、血だらけになって、うつ伏せに倒れている人物が飛び込んだ。真っ赤な手には黒っぽい何かを握りしめている。
タヌは立ちくらみながらも立ち上がり、時折、ふらつきながらも近寄る。倒れているのが誰かわかると、一歩一歩、倒れないように意識を集中する。
「キエーザ……さん」
手にしていたのは、見覚えのある一眼型の色付き眼鏡だった。ハーランが使っていた眼鏡だ。
「キエーザさん!」
倒れている男の身に何が起こったかわかって我に返ったタヌが大きな声を出す。ロゼッタも駆け寄ると、うつ伏せに倒れた彼を抱き起こそうと肩に手を掛ける。が、血の量の多さに、動きが止まる。
「会長たちに……伝えて……」
キエーザの言葉にロゼッタが小さく頷くと、タヌを見る。タヌはハッとした。
「タヌさん。他に誰か、無事な人がいないか、あたりを見てきてもらえますか?」
「は、はいっ」
タヌは一歩ずつ、下がる。そして、キエーザの次の言葉を聞いてから逃げるように走り出した。
「……目に見える姿を信じる……な……」
自分と縁があり、大なり小なりよくしてくれた、それもほんの数十分前に普通に言葉を交わした人が、年を取ってではなく、理不尽に命を奪われ、いなくなる。
タヌは人生で初めて経験する事態に、息をすることさえままならなかった。周囲に無事な人がいないか探すように言われたが、気持ち的に無理だった。焼かれることなく無事だった大木を見つけると、木陰にもたれかかるようにしゃがみ込んだ。
「副会長さん……キエーザさん……」
母親が亡くなったときは容姿があまりにも違いすぎたことや、突然過ぎたこと、さらには自分に刃を向けてきたことが重なった。それ故、現実として受け止めきれず、どこか他人事感が拭えなかった。だが、今度は違う。ほんの少し前まで自分と言葉を交わし、助けてくれた相手がいなくなったのだ。
それだけではない。彼らがそんなことになってしまった原因に、ハーランのみならず、彼と行動を共にする自分の父親も加担しているという。自分を助けてくれたり良くしてくれた人を手に掛けたのが父親かも知れないなんて、こんなひどい話があるか。少なくとも、普通でない。
RAAZは言っていた。再会できたら父親を殺す、と。
「ボク……あれ?」
父親とはそんな仲が良かったわけではない。だからと言って、険悪な関係でもなかった。母親についても言えるが、どちらかというと、両親はどちらも時折家にいるときは話したりするが、そもそもいないときの方が多かった気がする。まして「揃って」いたのはどれくらいだっただろう。考えようによってはレアリ村の人たちの方がよく話したかも知れない。それどころか、関係の濃密さだけの話に絞るなら、DYRAやRAAZの方が……とすら言えるかも知れない。
じゃあどうして、そんな両親を捜そうと思い立ったのか。
理屈じゃない。あのときはただ、行方不明になった両親を見つけて、また家族で暮らしたいと思ったからだ。でも、今はどうだろうか。
止めたいから? もう、今となっては父親を止めたところで、キエーザたちが生き返るわけでもない。だとしてもこれ以上、父親のせいで自分の恩人やお世話になった人が傷つくのを見たくない。DYRAやRAAZ、マイヨはもちろんのこと、知り合ったすべての人たちもだ。中でもロゼッタは、フランチェスコで母親から、西の果てで父親からその身体を張って自分を守ってくれた。
「そっか……」
タヌはここで気づいた。RAAZが「殺す」と言い切るのは、もしかしたら大切な人が残した『文明の遺産』に父親が手を伸ばしたからという単純な理由からだけではないのだ、と。むしろ、それを用いてDYRAを傷つけさせないためなのでは、と。
仮に死んでしまった大切な人が云々という理由だけなら、ピルロの山崩れ騒動のときRAAZは街の人を助けていないはずだし、何より、最初の焼き討ち騒ぎの時点で一人残らず、ということさえ有り得たはずだ。
DYRAが悪意で傷つけられることは、過去に大切な人を失ったRAAZにとって耐え難いのはもちろん、それ以上にあってはならないことだ。話を聞く限り、真相はわからないままながらも誰かの悪意が原因で亡くなっているのだ。そんな彼にとって、DYRAを守ることは自分が考える以上に重い誓いに違いない。
「父さんは……ハーランさんと一緒に……」
今のままではどういう形であれ、DYRAを傷つけてしまう。それに対して、RAAZは阻止するためなら手段を選ばない。父親を殺すことだって何の躊躇もないはずだ。
「ボクは……」
父親を殺すなんて物騒なことはできないし、やりたくない。その一方で、止めたい。始めのうちこそRAAZとの約束があり、何とかして妥結点にならないかという気持ちが心のどこかにあった。でも、今は違う。これ以上、自分以外の誰かを、父親の手で傷つけさせないためだ。
立ち上がらなければ。ロゼッタが気を遣って自分をあの場から遠ざけてくれたに違いない。でも、現実から目を背けてはいけない。
「キエーザさん……あ」
タヌはここでそれまですっぽり抜け落ちてしまったあることに気づく。
「そう言えば、キリアンさんは?」
タヌは何度か軽く頭を振ってから、胸に手を当てて息を整えた。
322:【MORATA】RAAZが言った、「お前の親父を殺す」をタヌは腹の底から理解する
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クッソ暑い日々ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
気がつけばいよいよ週末、コミケです!
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8月17日(日) 南g26a 11PK
新刊はゴシックSF小説「DYRA」15巻! Web版とは違う展開です! そして何より、みけちくわさん描き下ろし表紙が美しいです! サークルスペースには特大ポスター展示します!
ファンの皆様、初見さん、いずれからも満足度が凄まじく高い、Web掲載予定なしで24年末に登場した「DYRA SOLO」も出しております!
引き続き応援、よろしくお願いいたします!